ベルトの金具を外す音が聞こえた。それが聞こえた途端、自覚できるほどに心臓が強く 打ち始める。目を開けば、覆い被さるヒル魔の輪郭がぼんやりと滲む。粒子の粗い白黒写 真のように、その表情をしかと見ることはできない。 それでも彼が見ているのは分かる。 緊張している自分を、否応無しに不安を顔に出している自分を見て、笑いもせず髪を撫 でてくれる。髪の中に指を通して、今まで見せたこともない表情と仕草で。 ヒル魔は何も言わなかった。丸みを残す頬を撫で、首筋を愛撫し、胸の上に口付けを落 とし、指を落としてじわじわとセナから吐息を引き出し、目を瞑ったままその一つ一つに 反応するセナの表情をうかがった。 最後に、もう一度キスをした。片足を抱え上げると、濡れたそこが暗い夜気に晒される。 セナは薄く開いた目で天井や枕元を見上げ、ヒル魔から逃げた視線を泳がせたが、やがて 目を瞑って深く息を吐いた。 その瞬間、漏れた悲鳴は、歯を食いしばるごとに低くくぐもったうめきに変わった。 ヒル魔も思わず舌を打った。 「息っ」 押し殺した声で囁かれる。 「止めるな」 意識は轟音の渦に巻き込まれたようなものだったが、ヒル魔の声だけは確かに聞こえた。 セナは止めていた息を大きく吐いた。合わせるように押し入るもの。 「んっ…」 セナは何度となく息を止めた。目を堅く瞑る。 ヒル魔が自分でも知らぬ間に眉根に皺を寄せていた。浅い息。彼は目を瞑り、セナの額 に自分の額を押し当てた。 「苦しいか」 浅く押し出す息の合間に、僅かに頷く。 「痛いのか」 尋ねながらヒル魔の手がセナの頬を包み込んだ。セナは涙で濡れた頬を、その掌に押し 付け、小さく泣いた。 「セナ」 ヒル魔はセナの目の縁や髪の生え際に何度もキスをした。 痛い。苦しい。体を重ねるということは、そういう事だ。ヒル魔とセナが触れ合うとい うことは、そういう事だった。 ヒル魔はセナにキスを続ける。逃げようとする手を握り締め、苦しさと涙で見えなくな った目を見つめる。 名を 「セナ」 呼ぶ。 「ん、う…」 セナは喉の奥で小さく泣いた。 包み込んだ手の中で、セナの手が小さく動いた。一年前にヒル魔が無理矢理部室に拉致 して天井から吊るした時、あんなに柔らかく頼りなかったその小さな手は、いつの間にか 硬く荒れていた。指先がすがるものを探している。ヒル魔が指を添わせると食い込むほど に強く握ってきた。 ヒル魔は、慎重に、動いた。するとそれに合わせてセナの、声にならないかすれた息が 途切れ途切れ吐き出される。また眉根が苦悶に寄る。 ヒル魔はもう一方の手を自分の背に誘った。途端に爪がかすり、何度も引っ掻く。 もう一度キスをして耳元に唇を寄せ囁いた。 「咬め」 え…、と微かに聞き返すような声が漏れる。ヒル魔はセナの目を覗き込んだ。セナもヒ ル魔を見ている。ヒル魔は情欲を笑みに浮かべて、す、と首筋を反らしてみせた。セナは ヒル魔の顔と首筋を交互に見て、苦しみの中、少しだけ気を抜くように目を瞑った。返事 の代わりに口元がそれと分かる微笑で、相手への信頼を示した。 深く突くとセナは声を上げ、息を攣らせながらヒル魔の肩に噛み付き、また苦しさに喘 ぎと息を吐き出した。 ヒル魔が押し入り奥の一点に達したとき、セナの声音が変わった。下半身に触れるもの がある。見なくても分かる。ヒル魔は眉根を寄せたまま笑った。 彼はセナを揺らしにかかった。狭く締め付ける器官に対してそれは容易ではなかったが、 痛みと苦しさの狭間から少しずつ感じられるものがある。ヒル魔は手を伸ばして、再び立 ち上がりかけたセナのそれに指を絡める。 「あっ、やっ、やめて…」 セナが声を上げた。 「ん、別に痛くはねえだろーが」 「いっ、い、い……」 言いながらも指を動かすと、セナは歯を食いしばりながら、その一音を繰り返す。 それが怯えを丸出しにしたかつての姿を彷彿とさせたものだから、ヒル魔もわざわざ意 地悪い声音を作って、一言囁いた。 「イけよ」 手に力を入れる。セナの身体が跳ねる。 ヒル魔は少しずつ自分にいいように動き出した。セナは噛み付いていた首筋から口を離 した。もう噛んでもいられない。開きっぱなしの口から、動き、揺さぶられるごとに高い 声が漏れる。 熱がきりきりと引き絞られる。渦のように触れる感覚を片っ端から巻き込んでゆく。嬌 声と荒い息が、段々ピッチを上げて追い上げる。ヒル魔はセナを指で追い立てるのをやめ、 相手の腰を抱えた。昂ぶりが、彼の息にも滲んでいる。 何度目かに突き上げた時、セナの嬌声が止んだ。目も口も堅く閉じ、指が強くヒル魔の 背中に食い込む。皮膚を破った感触があった。と同時に下腹が濡れた。汗とは違う温かな ものが下腹を流れ落ちる。 自分もそろそろ潮時だと。 思った、その時、セナの脚が腰に絡みついた。 余りにも思いがけないことだったので。 思わず漏れそうになった声を噛み殺す。が、腰を引くことはできなかった。勢いで突き 上げたその中で、自分の身体が震えるのが分かった。彼もとうとう強く目を瞑った。 「………」 噛み締めた歯の奥から荒い息を吸っては吐く。声にならない悪態をぎりぎりと奥歯で磨 り潰す。セナが喉の奥で小さく泣きながら、ゆっくりと全身を弛緩させる。絡み付いてい た脚が、力を失って落ちる。 「……………」 ヒル魔はがっくりと肩を落とし、項垂れた。随分と作ったことのない苦々しげな表情が 浮かんでいた。 セナは荒い息の中で、切れ切れにヒル魔の名を呼んだ。背中に食い入っていた指を離し、 そっと耳に触れる。セナはそのまま腕を柔らかく首筋に巻きつけた。その腕があまりにも 重たいものであるかのように、ヒル魔がぐたりと身体を伏せた。 もう意識などなく、感覚ばかりがセナの中に漂う。汗に濡れたヒル魔の身体が自分に密 着しているのが、ここまで自然で落ち着いたものになるのがちっとも不思議ではない。汗 の匂いも、うるさいくらいの息も。 「セナ」 低く自分を呼ぶ声が聞こえた。 はい、と返事をしたつもりだったが、顎が重い。気の抜けた返事のようなものが息と一 緒に吐き出された。 しかし、ヒル魔は続けて何も言わなかった。 セナは瞼を下ろした。ヒル魔の重みと汗の感触と。 「あ」 漏れるともなく小さな声が漏れた。眠る前のようなぐずぐずした意識がふと反応した。 初めてかぐ匂い。 この清潔すぎるマンションの一室で、ヒル魔の匂いを感じたのは初めてのことだった。 |