ヒル魔がシャツを脱ぎ捨てるのをセナは呆然と眺めた。何度となく見たことのある細く 締まった裸に、今更見惚れる。筋肉のついた身体には単純なほど憧れるし、細いくせに均 整の取れた身体を見れば心の中では純粋な賞賛が湧く。 ただし今目の前に晒された身体は、その晒し方から、腕の置き方、存在までが今まで見 てきたそれと変わってしまっていた。ただ一点、セクシャルという点において。それが果 たして本人にコントロールできるものかセナには測れもしなかったけれども、目の前でヒ ル魔がシャツを脱ぎ捨ててみせた瞬間、その身体は今まで見たことのあるそれとは全く別 のものになってしまったのだ。 頭がぼうっとした。熱にあてられたかのようだった。 だらりと垂れた手を引き寄せられる。反った胸に口付けられるのを、恐れながら下目遣 いに見ていると小さな痛みが走った。ヒル魔が小さく笑う。セナが戸惑うと、彼は表情を 見せないように自分の顔をセナの耳元に寄せ、囁いた。 「痕が残ったな」 「えっ…」 耳たぶに唇が触れる。思わず身体をすくめると、また笑い声が身体を震わす。 「見てろ」 すい、とヒル魔の表情がのぞく。目だけが笑っている。しかし彼はその笑みさえ引っ込 めて、掴んだままのセナの腕を持ち上げた。露になった腕の、白い内側。ヒル魔の目がそ ばめられる。唇が触れた時には完全に伏せられていた。唇が肌に吸いつく小さな音。セナ は息を止めてそれを見詰める。 舌が触れている。舌先が肌を撫でている。そして微かに歯が噛む。セナは目を瞑り、息 を吐いた。息が震える。 唇の離れた跡がひやりと冷えた。セナは目を開ける。目を合わせないように俯きながら。 そして先まで唇の触れていた上腕の内側に目を走らせる。窓から射す幽かな明かりで、肌 が赤くなっているのが見える。花びらほどの小さな赤い痕が見える。 キスをした証拠がこのような形で残るなど、セナは知らなかった。ヒル魔はとうに手を 離していたが、セナは腕を上げ、もう片手でその部分を撫でたり、見詰めた。 「消えないんだ…」 声に出して呟くのをヒル魔は面白そうに眺めている。 「一つ二つで珍しがってんじゃねえぞ」 ヒル魔はうなじに手を当てながら首を反らし、自分の足の間にちょこんと座り込み子供 じみた好奇心に駆られたセナを見下ろして笑った。 肩に手をかけられ、押し倒される。すとん、と落ちるように身体はベッドの上に倒れて いる。トランクスに手をかけられ眉を寄せると、目を瞑っていろと命じられ、言われたと おりにする。 真上にはヒル魔の気配。うっすらと汗の浮いた額に口付けが落ちる。目を瞑って、思う。 この人の唇も、柔らかいんだ。 首筋に小さな痛み。赤い痕を思う。首をすくめると、一旦離れたそれが唇に柔らかく触 れる。優しい。優しい。こんなに優しくされていいのだろうか。 が、下半身に指が触れたときには流石に目を開けた。ばっちりと目が合った。ヒル魔は 薄い笑みを絶やさず、目を合わせたまま触れた指を動かす。セナが抵抗しようとすると、 その手を掴み、押さえつけた。セナはもう片手でヒル魔の肩を押しのけようとする。しか しヒル魔はそんな抵抗などものともしない。 「…はっ」 耐えかねたセナの口から吐息が漏れた。途端に自分が物凄く浅ましいことをした気がし て、セナは唇を噛む。 ヒル魔の指が濡れている。濡れた指が絡みついているのが分かる。それを濡らしたのは、 他ならぬ自分だと思うと頭の中が爆発しそうだった。 もう肩を押し返しもできない。気持ちがいい。よすぎる。自分でした時とは勿論、比べ 物にもならない。油断すればすぐにでも声が漏れようとする。イきたい。いつの間にか頭 がそればかり考えている。待って。嫌だ嫌だ嫌だ。そんな彼の目の前でなんて、できない。 しかし脚がつるように痙攣し、爪先が耐え切れずシーツを掻く。セナはヒル魔を押し返 していた左手の拳を噛んだ。しかし痛みを凌ぐほど、圧倒的に快感が加速する。 「おい、糞チビ」 慣れた呼び名で呼ばれる。恐れながら目を開けると、呆れた顔が見ている。 「鼻の穴、ふくらんでんぞ」 ぶはっと口から息を吐いた、次の瞬間、無防備な身体に一際強い快感が押し寄せた。 「ああっ、あ…」 セナは思わず目を瞑った。さっきまでの葛藤が嘘のように気が抜けた。脚が緊張を解か れ、膝がゆっくりと伸び、シーツのうえに弛緩する。気持ちよさを突き抜けた身体がぐっ たりとマットに沈み込む。 もうあられもなく口から大きく呼吸していると、ぼそりと何か呟く声が聞こえた。 「……ええ?」 ぼんやりと目を開き、弛緩しきった口から不明瞭な問いかけをすると、俯いて手を見て いたヒル魔が顔を上げた。 「意外と早かったな」 すまして言われたその言葉を理解するには若干の遅れを要した。早い、の一言がようや く頭に届いた瞬間、セナは既に真っ赤になっている顔を更にくしゃくしゃにした。 「はっ、はや……」 「いつもは、違うのか?」 「ちが、ちが……」 違うとか。セナは目を伏せる。潤んだ視界がくしゃりと歪む。違うとかそういうのじゃ なくて…。 「だって、ヒル魔さんが…」 「俺が? 俺がしたから興奮したのか」 セナは声を詰まらせた。言えるはずもない。しかし言わずとも分かることだ。明確すぎ るほどに。セナはきゅっと口を結んだ。微かに眉を寄せ、羞恥に目を潤ませてヒル魔を見 上げる。 すると、不意にヒル魔が肩を落とした。 「降参だ」 同時にぬめる指が下へ伝い、その入り口を撫でる。セナがびくりとして目を見開くと、 掠れた声が早口に囁いた。 「悪いが、時間がねえ」 ヒル魔が、興奮しているのだと。 気づいたのは性急なキスとぬめる指が侵入してからだった。 セナは息を詰めた。しかし苦しさに大きく息を吐いた。目を瞑り、感触だけを辿る。な だめるように常に自分に触れるヒル魔の唇や、まだ頑ななほど自分の右手を封じる強い腕 や、決して想像もしなかった箇所を撫でる指などだ。 細く、固い指。それは少しずつ深いところまで入りこんでゆく。温度の違うそれが身体 の内部に触っている。じわじわと押される。撫でられる。探られている。セナはそれを追 うのに集中した、口から絶え間なく荒い息が出入りしたが、構わなかった。 苦しいとも気持ち悪いとも、何ともつかない。が、その感覚がある瞬間、電撃のような ものに変わった。耐える間もなく口から悲鳴に似た声がつく。 じわりと快感が這い上がる。いや、もっと急な。先まで指を絡められたのと似た、非常 にダイレクトな感覚だった。セナは再び拳を噛んだ。 やがて指がぞわぞわと退いた。いなくなる、と思うと無意識に安堵して身体が緩む。し かし、それは完全に去る間際で留まり、指がもう一本、入り口を撫でているのが分かる。 閉じた瞼のうえで吐かれた息には躊躇いが混じっている。セナは小さく息を詰め、恐る 恐る吐き出す。 流石に圧迫感に耐えられなかった。感じたことのない類の痛みにセナは声を漏らす。 「痛い、いたっ……、や、」 んう、と息を呑む。やめて、とは言えなかった。 「ひ、ヒル魔さん…」 何度目かに呼ぶと、ようやく応えが返ってきた。 「何だ」 「手」 「手?」 「手……放して……」 それはヒル魔も忘れるほど、強く縫いとめていたセナの右手だった。ヒル魔の手は、ま るで先が見えないことを慮るようにゆっくりと離れた。 右手が自由になると、セナは手を伸ばしてヒル魔の顔に触れた。 触れた瞬間、怯えたように離れる。そして指先からゆっくりと頬や髪に触った。 次に口付けが下りてきた時、セナはその手をヒル魔の背中にまわした。まだ髪に触れる 勇気はなかった。けれどもできることなら、その首筋にしがみつきたかった。そうすれば もっと安心できるような気がした。 セナはヒル魔の背中に強く爪を立てた。ヒル魔が微かに顔を顰め、慌てて手を放すと、 ヒル魔は怒ったようにセナにキスをした。 長いキスだった。引き出された舌を歯で噛まれ、驚いて引っ込めるが、また誘い出され る。だんだん息が苦しくなる。ぼうっとしながら、心の中では何度も相手の名前を呼んだ。 がむしゃらに相手にしがみつき、気がついた時には両腕はヒル魔の首をきつく抱いていた。 「それでいい」 と、ヒル魔が言った。 少し眉を寄せながら薄く笑う、その額や首筋に汗が浮いていた。 |