ベッドのうえに足を上げて靴下を脱いだ。ヒル魔は脱いだものをポイと後ろに投げ遣る。
ズボンから抜いたベルトも同様で、バックルが床にぶつかる硬い音がした。
 ボタンの途中まで外されたシャツを脱ぎ、中のTシャツを脱ぎにかかる。裾を両手で掴
んで、ぐい、と持ち上げ、腹に触れた冷たい空気に追いつくように首を抜く。シャツのト
ンネルを抜けた首に唇が触れた。こめかみにも、触れた。セナは止まった。腕にTシャツ
は絡んだままだが、そのまま相手に委ねた。
 血が物凄い勢いで身体中を巡っている。熱い。どこもかしこも。そして鋭敏になってい
く。服を脱がされ、露になってゆく素肌の先から、細胞が囁くように伝える。
 セナは目を閉じる。
 鼻息が耳につく。思わず抵抗しそうになる両手はTシャツに絡んだまま身体の前で動か
ない。耳がさっき以上の飽和状態に陥る。いつの間に口を開けさせられたのか分からない。
キスはさっきまでセナが想像していた以上の段階に至りつつあった。映画でもドラマでも
キスシーンの音はこうではなかった。唾液の跳ねる音も、合間つく息の激しさも。恥ずか
しさからだろうか、目の縁が濡れた。
 今夜最初のキスでさえ、身体の奥から引っ繰り返されるような衝撃だったのに、ヒル魔
はそれさえたやすく飛び越えた更なるものを与える。どこまでゆけばいいのだろう。今の
気持ち良さを、次に与えられるものは易々と越えている。一体どこまで。
 首筋を噛まれ、そのうえを舌がなぞった。舌を熱いものと感じたのは初めてだ。その後
でやってくる肌寒さが耐えられぬほどに。剥き出しになった胸と腹は無防備に震えていた
が、ヒル魔が口づけを落とすと全身で反応を返した。弱々しく震えていたものが、触れた
瞬間、電気でも走ったかのように跳ねる。
 と、ある声がセナの耳を掠めた。声、それよりも短いもの。長いキスから離れるときの、
一息。短い、息遣いの激しさ。追い詰められたような、息。
 その微かな振動が鼓膜を掠めるたび、身体の端に何かが走る。腰のうえをちりちりと痺
れるようなむず痒さが走る。セナは何度もそれを味わった。身体を震わせながら、突き上
げる未知の感覚に翻弄されながら聞こえるそれに、高ぶる。呼応するように自分の口から
も息が漏れた。それは激しさというより、突き上げられた幼さが鋭い悲鳴を上げるようだ
った。
 ヒル魔の指が、舌が唇が、胸のあたりを探索している。少女のような柔らかなふくらみ
を持つ訳でもないのに。それでも執拗にそこに触れ、時折手が胸を、それもセナが言葉で
は躊躇するような場所を弄りながら唇がキスをしに戻った。
 唇が離れ、またあの息。ツンと胸が痛くなる。それでいて気持ちいい。
 好きです。
 囁いたそれは声になっていないと思った。しかし一瞬、ヒル魔の指が止まった。
「…セナ?」
 ああ、また名前を呼ばれた。
「好きです」
 涙に掠れた声で囁く。好きなんです。
「もう一度、言え」
 耳を舐めるような声で囁かれ、涙ぐみながら繰り返す。
「好きです…」
 最後の発音が終わらぬうちに唇が塞がれた。
 セナはくぐもったうめきを漏らし、両手を縛めていたTシャツをもどかしげに外した。
指先で引っ掻くように、必死にヒル魔の首に腕をまわす。そうでもして掴まっていなけれ
ば、このままどこか遠くへ飛ばされてしまいそうだった。
「セナ」
 唇の離れた一瞬、息のかかる距離で彼は呼ぶ。
 身体が密着しいよいよ熱が高まる、そのときセナは自分の身体に起きている変化に気付
いた。
「あっ、だっ…だめ……」
 慌ててヒル魔の身体を引き離しにかかるが、一年前最弱とまで言われたセナが力で敵う
はずもない。逆にすぐうえにある顔が意地悪く笑う。
「何が、だめだって?」
「あ、あの、あの」
「これか?」
 もちろん気付いていないはずがないのだ。逃げようとするセナを、ヒル魔は一番の弱点
を掴んで引き留めた。セナは痛みに悲鳴を上げる。触れられただけでも既に耐えられない
ような若いそれは今、布ごしにヒル魔の細い指に搦め捕られている。
「だめ、だめ、だめ……」
「ダメもクソもねえ」
 細い指がジッパーをおろし、ズボンを脱がしにかかる。
「で、でも、だめ……」
「ここが気持ちよくなんなくてどうすんだ。今までの甲斐がねえだろうが」
 それでも頑なに首を振っていると溜め息が聞こえて、手が離される。だがまだ危機を脱
したはずがない。恐る恐る見上げると、やはり相手はじっとセナの目を見ていた様子で、
「セナ」
 などと名前を呼ぶ。それだけで堪らなくなってしまうのに。
 結局ズボンは脚から引き抜かれた。下着一枚になったセナは、ズボンが後ろに放り投げ
られる音を聞きながら、怯えから正座をしてしまう。じりじりと膝でにじりさがっている
と、くるりとヒル魔が振り向いて、いつものひどく嫌な思いつきをしたときのような嫌な
笑みを浮かべた。セナは愛想笑いを返す。
 ヒル魔が急に長い足を投げ出した。その両足の間にセナが正座をしている。緊張して、
思わず両手が拳を握った。
 ヒル魔は黙って手を伸ばした。そして、まるで初めてそうするかのように両手で肩を抱
いた。セナの肩幅。まだまだ小さい。セナは肩を掴む手とヒル魔の表情を交互に見比べる。
ヒル魔が意味を含んだ笑いで促す。セナはヒル魔と目を合わせ、少し恐れながら目を瞑る。
瞼がかすかに震えた。
 肩が抱き寄せられる。首が心持ちうえを向く。唇が重なる。静かに。最初は少し儀式め
いて。二度目に触れたとき、舌が触れているのだと実感する。さっきは混乱に近い中で与
えられたものがもう一度、今度は確かに与えられていることが実感できる。それは無作法
にセナを蹂躙することはなかった。三度目のキス。四度目。五度目。
 冷たい指が顔の線をなぞる。喉元が震えるのを確かめる。更に滑り降りて、何かを探し
ている。
 まだ、キス。今は唇にだけではない。触れられればセナが息を吐くような場所。吐息の
端に上擦った声を滲ませる場所。指でなぞり、唇がたどる。
 ヒル魔は指先で、最後に露になった部分に触れた。
「あっ……」
 セナの目から涙が零れ落ちる。
「…恥ずかしいのか」
 ヒル魔が問う。セナは答えない。
 ヒル魔は次々と零れる涙を拭っている手を取った。細い手だ。弱々しい手だ。震えてい
る。それを引き寄せ、唇をつける。弾かれた様にセナの顔が上がる。その視線を真正面か
ら捕らえたまま、ゆっくり指先に舌を這わせる。セナが鼻で大きな息をつく。肩が震え、
残った片手で顔を覆ったまま必死で声を殺す。
「…感じないか?」
 セナは困ったように首を振る。
 ヒル魔は黙ってセナの手を、自分の唇へと導いた。
「ヒ…」
 セナの口から困惑した声が漏れる。セナの手は導かれるまま唇に微かに触れ、喉仏を押
して、ほとんど肌蹴てもいない胸へとおりる。
「ヒル魔さ……」
 弱々しい語尾が消え、セナの口は半開きのまま固まった。
「え…え……?」
 もう随分前から驚きを通り越した口が、何ものも発することが出来なくなっていたのは
分かっていたが、今は新たな驚きと共に恐怖と不安をない交ぜにした沈黙だった。
「驚いたか?」
 触れていたところから手が離れる。その代わり一回り以上大きいその手の中に掴まれた。
 目の前の男は悪魔のように笑いながら、手を掴み力強い片手でセナを抱き寄せ耳元で囁
く。自分はセナの裸体を見、セナに触れ、セナとの口づけでこうなったのだと恥ずかしげ
もなく言う。気持ちいいぜ、と意地悪そうに笑う。囁く。そして宣言する。
 その言葉にセナは顔を赤く染め、背け、目を逸らした。





 next  index