五分間 「忙中閑あり」 アストラルは覚えたばかりの言葉を呟く。忙しさの中にも一時の閑はありき。 カレーができるころ、96も帰ってくるだろう。遊馬は夕方のテレビを見ながら寝転がり、脚を半分キッチンに投げ出している。96のアパートなのに自宅のような寛ぎよう。 エアコンのぬるい風は狭いキッチンまで届いているけれども、それでも床は冷たくて、アストラルは遊馬のつま先が心配だ。 座ったばかりの丸椅子から立ち上がって、遊馬の足下に立つ。靴下を履いた自分の足の裏で、遊馬の裸足を撫でる。 「…なに?」 遊馬も軽く足を持ち上げ、アストラルが押しつける足の裏と自分の足の裏をぴったり合わせる。 「冷たい」 アストラルは囁いて、きゅっと足の指を曲げ遊馬の足の指を掴む。掴まれた遊馬はぐもぐもと足指を蠢かせる。 危ういバランスで触れ続ける足の裏。遊馬のつま先はアストラルから靴下を脱がせようとする。足首と靴下の間にひやりとした指が潜り込む。冷たい、とアストラルが繰り返すと遊馬は突然両足でアストラルの左足を挟み込む。 「逃げんなよ」 遊馬の裸足はアストラルの臑を滑って膝の上まで辿り着く。アストラルは息を止めて、それを見守る。するりと滑った爪の先が膝の裏を掻く。遊馬が足を動かすたびにスカートがひらひらと揺れる。 「あっ……」 小さな声が漏れてアストラルはびくっと肩を震わせる。遊馬の足も止まる。寝転んだまま、遊馬は首を反らした。逆さまに見えるテレビの画面。隅に浮かぶ現在時刻、緑色の数字。 遊馬は上体を起こすと、自分の膝の間に立つアストラルの脚を抱きしめた。 「…ダメだ」 「まだ時間、ある」 十分すればベルもなる。固形カレーを入れなければならない。一日目から二日目のカレーの味にする裏技。遊馬の好きな味。96はもう少しさらっとしたカレーが好き。遊馬は二日目のカレーが好き。もうすぐできあがる好物。 「我慢しろ、ゆ…」 遊馬はスカートの上からアストラルの下半身にキスをする。呼吸が止まる。血流は速くなる。自転速度の遠心力についていけないかのように、理性と思考が振り落とされそう、だ。 「ゆうま…」 頭を撫でると、遊馬は遠慮無く頬をすり寄せ、顔を埋める。 五分もあれば楽勝の若さ故の弱点が、まるで強みのような。狭いキッチンの床の冷たさに慣れる前に遊馬の熱を自分のものにして、包み込む自分の体温で遊馬をあたためる。 タイマーのベルが鳴る。遊馬は荒く息を吐きながらアストラルを抱きしめている。アストラルもまた遊馬を抱きしめたまま離すことが考えられず、しばらく遊馬の呼吸を聞きながら思考を放棄した身体で心地良さに満たされていた。 ティッシュの乾いた感触が夕方の陽やテレビの音や、カレーの匂いの中で物寂しくて、それをトイレに流しに行く遊馬を引き留めてせがむキス、帰ってきた遊馬ともう一度キス、手を洗って、またキス。 遊馬はテレビの前に戻らず、丸椅子に腰掛ける。アストラルは固形カレーを鍋に投入し、味を見ながら火力を落として、次は冷蔵庫へ、サラダの準備。 96の帰宅はトマトを切っている途中。狭いキッチンから迎える二人の「おかえり」の声に、玄関で立ち止まった96は鼻を鳴らすような無粋なことはしなかったけれども、エアコンを切って窓を開け容赦のない換気をする。 「寒い」 遊馬が文句を言う。 「今夜は雪になるぞ」 テレビが言ったばかりの情報を繰り返して、96はベランダにもたれかかり上着のポケットから煙草を取り出す。紫煙を吐き出す空の明るい灰色、晴れた西から差す陽に顔を照らし、目を伏せる。遊馬は逸らされた胸の露わになった隆起をじっと見つめる。 「…馬鹿」 視線に気づいた96が、煙と一緒に呆れた声を吐き出した。アストラルには背中越しにしか聞こえなかった唐突な科白。振り向くと遊馬が椅子の上で顔を伏せ小さく笑っている。96は煙草でアストラルを指さし、言った。 「見張っとけ、馬鹿」
名言「僕だったら5分でできるよ」
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