ハイヒール・オン・ザ・ソイル 「君は誰も彼もを助けたいのか?」 そう尋ねると遊馬は何故か照れたようにそれを否定した。 「そんな大それたことは考えてねーけどさ、仲間がピンチの時は助けたいと思うのが普通だろ」 「私のことは?」 「お前は一心同体だよ。絶対にかけがえのない」 「小鳥や鉄男達は?」 「友達で親友さ」 「カイトやハルトも?」 「一度デュエルしたら仲間なんだよ。お前だってハルトのことは気に掛けてたじゃないか」 「シャーク」 「だって!」 遊馬は急に大声を出し、怒り出した。 「ほっとけないじゃん!」 なあ、と遊馬は手招きをする。 アストラルはその腕の中に収まった。すると遊馬は満足そうな笑いを浮かべ、一言一言を大事そうに言った。 「お前がピンチの時、オレは諦めなかった。オレ達の気持ちは一つになってゼアルの力を手に入れた。オレとお前はどんな状況でも諦めないでかっとビングしてきたから、何度でも、何度だってピンチを乗り越えたんだ。お前なら分かるだろ? オレ達が諦めなきゃさ、かっとビングし続ければ、きっと助けたいものも助けられるんだ。オレの世界も、アストラルの世界も」 「そうだな…」 遊馬の手に引き寄せられ、アストラルは額を触れ合わせる。 「きっとそうだろう、遊馬」 「絶対そうさ、アストラル」 傲慢なほどの自信を込めて遊馬は言う。 世界中の何よりもアストラルが大事だと。 どんな仲間も決して見捨てはしないと。 この矛盾する言葉はしかし、遊馬の中に共存していてアストラルは口を閉じる。 矛盾があるならばそれを解消するのが、運命を共にした私の役割だろう? 皇の鍵が光を放ち、アストラルは金色の霧になって屋根裏部屋に現れる。 同時に、机代わりのトランクの上、デッキケースからどろどろと黒い液体が流れ出て床の上で形を作る。 「こんな場所に呼び出して、何の用だアストラル」 ナンバーズ96は屋根裏部屋を見回して言った。 ハンモックの上には遊馬が眠っている。穏やかな寝息。全く気づいた様子もない。 「お前は私の記憶の一部。お前が私とその使命に尽力するのは当然のことと思うが?」 「自覚が遅すぎるんだよ、貴様は。それどころかまだこの人間を諦めていないとは」 ナンバーズ96は嘲笑い真っ黒な触手をハンモックの上に伸ばすが、皇の鍵から溢れる光がそれを弾いた。触手の先は黒い霧となって散る。 「チッ」 「無駄なことに力を使わせるな。お前とて遊馬に執着したことを忘れたとは言わせない」 「たかが人間だ。オレのしもべにしてやろうと思っただけのこと」 「そろそろ認識を改めろ。遊馬がただの人間でないことはお前も承知しているはずだ。そうやって口先だけでの抵抗は認識にひずみを生じさせる上に、私が煩わしい」 アストラルの視線は冷たく、冗談も通じない様子にナンバーズ96は気を削がれたのか溜息をついた。ふわりと床から浮かび上がり、アストラルの正面に、アストラルと同じように腕を組んだポーズで立つ。 で、と促すとアストラルは横に視線を向けた。 「遊馬のことだ」 二人がこれだけ喋っていても遊馬は目を覚まさない。 穏やかな寝顔を、アストラルは慈愛を滲ませた目で見つめる。 「お前達ナンバーズも、遊馬の心は分かっているだろう」 「ガキだな。ハッピーエンドを信じている。確かにゼアルには全てをねじ伏せる力もあるんだろうが…」 「現実をねじ伏せ得ても」 「それが夢見るハッピーエンドかは疑わしいものだ」 「私は遊馬を悲しませたくない」 「心を乗っ取ればいい。オレがしようとしたように」 「失敗したではないか」 「貴様が邪魔をしてくれたからな」 「遊馬は…」 アストラルのほっそりとした指が遊馬の額に伸ばされた。 「遊馬でなければ意味がない」 「じゃあ邪魔を排除するか? 遊馬の心を惑わせるものを全て破壊する」 「ナンバーズ96、認識を改めろ。人間は破壊されるのではない、死ぬのだ」 「そいつはお前以上に知っている」 「いいだろう。では遊馬の心が一体どこに傾き、踏む道を過たせるのかも知っているな」 「あの時ホープを手にした小僧だ。それを見守っていた小娘だ。ナンバーズハンターに…そうそう、その弟とお前を天秤にかけたこともあったなぁ?」 「ハルトについては得た情報に操作がされている可能性がある。我々の力で解決は可能だ。しかし」 「シャークだな?」 呼び出された時から見当はついていた。 これまでの経過からナンバーズ96は避けられる傾向にあったものの、役に立つ局面も存在する。 「お前はデュエルでこの世界のシステムに介入したな」 「そうだ。ARにオレの姿を映し、オレの名前を表示させた。オレの存在を仮想現実世界に認識させた。が、アストラル、お前も似たようなことをやっただろう?」 「皇の鍵の中でのみのこと」 「このオレの力が必要なんだな」 「お前が私に仕えるのは義務以前の問題だ」 「素直に頼めばいいものを…」 しかしナンバーズ96は大して気分を害しもせず、むしろ楽しげな表情を浮かべた。 空中に黒い手を滑らせると、ARヴィジョンが展開する。 「さあ、なにをお望みだ? 神代凌牙、十四歳。過去にデュエルモンスターズ全国大会に出場し…」 「既知の情報は省け。私は彼の行動パターンが見たいのだ」 「人間の荒れ果てる様を見物したいとは。お前もいい趣味を持つようになったなぁ、アストラル」 監視カメラのログを引きずり出したナンバーズ96は触れるだけで条件に合致する映像を引き出す。全国大会決勝戦で敗北した神代凌牙。その後の姿。 するとそこは遊馬の屋根裏部屋ではなく、ハートランドシティのどこか、暗い裏通りに変化する。舗装が剥げ、そこここに水たまりのできた湿った路面。破れたパイプからだらだらと流れ落ちる汚水。引っ繰り返ったゴミ箱。 それらを全て踏みつけにして凌牙が歩いている。上着を失い、服も引き裂かれたのか、胸元が大きく開いていた。靴が片方脱げて、左右にバランスを崩しながら歩いていた。 「病院を出て、ふむ、ここまで歩いてきたらしいぞ。随分な距離だ」 ナンバーズ96が呟く。 カメラが切り替わり、凌牙はビルの階段を地下へ向かって下りてゆく。片方残っていた靴も消えていた。 地下室は潰れたゲームセンターらしく、床が水浸しになっていた。遊具はどれもこれも稼働を停止し、いくつかは強化プラスチックの窓を破られ、景品が奪われていた。そんな廃墟のような光景が、非常灯の緑色の明かりに薄暗く照らされている。 凌牙は窓の破られたUFOキャッチャーに手を伸ばした。彼がそこから取り出したのは履き物だった。白いエナメルのハイヒール。 アストラルとナンバーズ96は凌牙の後を追う。 凌牙はその後、アンダーグラウンドの住人らしい屈強な男どもに絡まれ、囲まれ、デュエルで勝ったと思うと力ずくで屈服させられそうになり、ハイヒールのまま戦う。 「なかなかやる」 ナンバーズ96は笑う。 「だがここまでだ」 監視カメラが壊され、凌牙の悲鳴は途切れた。 ナンバーズ96は別のアーカイブから学校の監視記録を引きずり出し、凌牙のデュエル、凌牙と遊馬の出会いを映し出す。 「近づくな関わるなと言いながら誰よりも遊馬に助けを求めているのは、こいつだな」 「だから遊馬はシャークを常に気に掛ける。彼が大丈夫であったことなど、ないのだ」 アストラルは溜息をつくかわり、口元を覆い物思わしげな目で凌牙を見下ろした。 「遊馬の心労が終わることはないぞ? こいつは何度でも闇に落ちる」 きろりとアストラルの瞳が動きナンバーズ96を捉えた。 「事実だろう」 ナンバーズ96が言った途端、溢れ出す水色の奔流が世界を満たす。ARヴィジョンが崩れ、屋根裏部屋の光景が蘇ったが、それも光のようなものの奔流ですぐに見えなくなった。 「…なっ、なにをしやがる!」 「方法を考えた」 「排除するか、このシャークとかいう小僧を」 「もしシャークが死んでしまったら遊馬は嘆き悲しむだろう。何故それを阻止できなかったのかと自らを責めるだろう」 水色の奔流はもうナンバーズ96の口元まで迫っている。 ごぼり、と音を立てて水色の奔流に二人の身体は沈んだ。 アストラルの色…、アストラル世界の光の色だ。 「その存在を喪失してはならない。しかし遊馬が必要以上に心を傾けるのも避けたい。ならばどうすればいい?」 ナンバーズ96は苦しげに藻掻き、喉を掻き毟る。 「取り込んでしまえばいいのだ。お前のように」 黒い身体が霧となって散り、次の瞬間水色の光と共にアストラルの中に吸収される。 「これならば安全だろう? 自分の一部としてしまえば、何も憂慮することはなくなる」 そう上手くいくかな!と胸の中からナンバーズ96の声がする。 アストラルはそっと胸に手を当て、答えた。 「シャークはきっと受け入れる。彼は遊馬のことが好きなのだからな」
2012.3.3
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