overwritable fate




 触れ合えない運命。アンタッチャブル・ディスティニー。
「それは少し意味合いが違うようですね」
 委員長が言う。
 オレとアストラルの間に横たわる透明な壁でもない溝でもない何か。オレたちは触れ合えない。殴りたいと思っても突き抜ける。ハイタッチをしようとした手はすり抜ける。抱きしめようとした腕は空振り。ふわふわと空中に浮かぶアストラルは頭一つ上からじっとオレを見つめ、何も言わず鍵の中に消える。
「チョコじゃなくてもいいんじゃないですか?」
 委員長の大きな瞳の表面を緑色に発光するプログラムの英数字が流れてゆく。
「カードならもっと簡単ですよ。それに既製品のプログラムのどこが悪いっていうんです?」
「委員長だってもらうなら手作りがいいって言っただろ」
「言いましたけど、もらえるならなんでも嬉しいですよ」
 お喋りをしながらも委員長の手はキーボードを叩いていて、机の上のARヴィジョンにはリアルタイムで修正が反映される。
 オレが初めて組んだプログラム。
 ARチョコレート。
 昨夜アストラルが鍵の中に引っ込んでから一生懸命組んだ。でもノイズは酷いし、ラッピングとの組み合わせも上手くいかない。ラッピングのプログラムは複雑で既製品を使うとしても、せめてチョコレート本体は自分で作りたかった。でもこのままじゃ、あいつはこう言うに決まっている。
 遊馬、何だこの物体は。
 物体って。オレが精魂込めて作ったARチョコが謎の物体扱いだ。
 本当は誰にもバレたくなかったけど、オレはとうとう委員長に頭を下げる。委員長は、内緒の相談にそのポーズは目立ちますよ、と廊下に連れ出してくれた。
「アストラルにARチョコですか? アストラルはARの物体に触れるんですか? 彼は遊馬くんのデュエルの最中いつも隣にいるということですが、僕たちにも特別な時しか見えないんですよ?」
「つってもさあ、チョコレートの実物渡してもどうせ触れないし、アストラルが触れないチョコをオレが食っちまうのも放っとくのも放っといたままカサカサになったのを捨てるのもヤじゃん」
「まあ、虚しいですね」
「ARチョコなら溶けねーし腐らねーし」
「その代わり食べられませんよ?」
「あいつは元々だよ」
「そうか、それは失礼しました」
「あとさARチョコならあいつ、ナンバーズ回収するみたいにズバビューッとなんかできそうな気がして」
「ずばびゅー?」
 ともかく委員長はオレが作ったプログラムの修正を快く引き受けてくれて放課後の図書館で待ち合わせる。ちなみにプログラムを開いた委員長の第一声は、これは酷いですね、だった。
「遊馬くんは修正した時に間違えた箇所をきちんと消してないんですよ。それさえきちんと出来ればノイズの大部分はなかったはずです」
「オレそういう細かいの苦手で」
「好きな人のためなら苦手なこともかっとビングじゃないんですか?」
「だ…誰が好きな人がアストラルだって!?」
「しーっ! 声が大きいですよ」
 奥から右京先生が咳払いと目配せ。委員長がARシステムに接続した時からずっとそこにいる。むしろ前科があるのは右京先生で、委員長は騙されて先生が作ったウイルスをばらまいただけなんだけど。ナンバーズクラブとかいって色々な事件に首を突っ込んだから、心配してくれてるんだろうと思う。
 オレがうんうん言いながら一晩かけて作った失敗作を、委員長はあっという間に綺麗な形に仕上げていく。
「さてとチョコレート本体はこれで完成。ラッピングは…ああ既製品ですか」
 急に委員長は立ち上がり、遊馬くん、と椅子を勧める。
「え?」
「ここまできたらラッピングも自分で作ってみてはどうです?」
「えー、もう無理だろ」
「かっとビングはどうしたんですか。いつもの遊馬くんなら無理なんてこと言わないでしょう? チャレンジでしょう?」
「だけどもう夕方…」
「僕が教えますから。昨日これだけ頑張ったんでしょう? 簡単ですよ」
 委員長は簡単って言ったけれど、実際には図書館の閉館時間まで粘った。というか右京先生がついていてくれて、閉館時間を五分だけ延ばしてもらった。
 リボンはほんのり発光するブルー。あいつの色。
 君の色じゃなくていいんですか、と委員長は言う。
「オレの色」
「赤ですよ」
「なんで」
「アストラルは遊馬くんのことが好きなんでしょう?」
「委員長さっきからさあ、好きとか、なんか、女子みたいなこと言うよな!」
「どうしても手作りチョコを渡したいっていう遊馬くんに言われたくないですね」
 言い合いをしていると、右京先生がぽんぽんと手を叩く。
「喧嘩はそこまで。鍵を閉めるよ」
 図書館を出たオレたちを右京先生は途中まで送ってくれる。結構日は長くなったけど、冬の夕方は薄暗くて寂しい。オレたちはモノレールの駅の前で別れる。街灯とショーウィンドーに照らされた明るい道を選んで、オレは帰る。
 本当は家に帰ってから渡すつもりだった。でも出来上がったばっかりの興奮もあって、オレは早くそれを渡したくて、それでアストラルに何か言ってほしくて、ひとけのない堤防まで一気に走るとアストラルを呼び出す。
「アストラル、アストラル」
 川の上流の空はもう夜で、星が出ている。その下にふわりと青白い光をまとってその姿は現れる。まるで目覚めたばかりのように瞼が開いて、金色の瞳がオレを見下ろす。
「やっと呼んでくれたな」
「退屈してたか」
「今日の午後は君が呼ぶまで出るなという約束だったから」
 オレはDゲイザーを装着し、ARヴィジョンを展開した。夜の風景が淡く重なる。本当の夜と、マトリクスの光のせいで青自体が少し光っているみたいなARの夜。
「アストラル、手、出せよ」
 オレが言うとアストラルは目の前に手を伸ばし、それから高低差にちょっと顔をしかめてオレの目の高さまで下りてくる。そして片手を出す。
「んー、両手」
「こうか?」
「ん……」
 急に緊張してきたけど、ここで怯むなんて男じゃねえ。かっとビングだ。
 オレはDパッドに用意していたボタンを押す。
 軽やかな音楽が響いた。オレが作ったプログラムはただARチョコレートが出てくるだけだったはずだ。これはきっと委員長だ。
 アストラルの掌の上、オルゴールの音と一緒に小さなポリゴンが弾ける。最初七色に光って跳ねたそれは下から積み上がりラッピングされたチョコレートの形になる。
 オルゴールの音が止んだ。アストラルはしげしげと手の上のチョコレートを眺め、触ろうとする。
「あっ…」
 オレが止める間もなかったけど、アストラルはまるでそれに触れるみたいな感じでチョコレートの形をなぞった。
「ハート」
 アストラルが呟く。
「君たちの、心の形」
「…お前にも心はあるだろ」
「これを私に?」
「バレンタインの話はしたろ。お前にも世話になってるしさ、友チョコって流行ってるみたいだし、父ちゃんが教えてくれたんだけど別に女子が贈るのが当たり前って訳じゃないみたいだし」
「ありがとう、遊馬」
 言い訳みたいに連ねる言葉をすとんと切ってアストラルが言う。
「…おう」
「君の手作りなんだな」
「な…なんで知ってんだよ! さてはお前…」
「分かる」
 アストラルはARチョコを両手で胸に抱きしめる。それはまるで本当に触れるものみたいにアストラルの手の中にある。
「私には分かるのだよ、遊馬。君のこと、君の気配、なんでも」
 オレはアストラルに手を伸ばす。触れないことは分かっている。オレたちは両手の掌を会わせる。掌の間がふんわり光る。アストラルの水色の光とARの光が溶け合って金色の粒子が散る。
「あっ…」
 アストラルの掌からARチョコが突き抜けた。アストラルはそれを持ち直そうとする。
「なあ、アストラル」
 オレはARチョコを持とうとするアストラルの手に自分の手を重ねる。
「カイト呼ぼうか」
「…どうして」
「デュエルする」
「何故、急に…」
「カイトと皇の鍵の中でデュエルして、また合体してシャイニングドローでお前も触れるチョコレートのカード作る」
「無茶な…」
「かっとビングだろ!」
 そこまでリスクを冒さなくてもいい、とアストラルは言って、不意に恐い顔になる。
「ナンバーズ96」
 凛とした声が呼ぶとARの夜の一部が溶け出して、不機嫌そうな声が降ってきた。
「なんだよアストラル、もうお前の八つ当たりで蜂の巣にされるのは……遊馬!」
 やる気なさそうに出てきたナンバーズ96は喜んでオレに触手を伸ばそうとするけど、それを急に出現したホープがムーンバリアで守った。
 チッ…と舌打ち。それをアストラルが睨みつける。
「見ろ、ナンバーズ96」
 アストラルは両手の中のものを見せた。ナンバーズ96は顎に手をやるポーズで、ちょっと離れた上空からそれを見下ろす。
「AR…チョコレートか。遊馬が作ったんだな」
 ナンバーズ96は手を伸ばし、遊馬、オレの分は、と要求する。
「ねえよ」
「何故だ」
「お前は胸に手を当てて今までのこと反省しろよ」
「オレは使命に忠実なだけだ。記憶が半端なままそれを棚上げにしてるアストラルと違って…うおっ」
 いつの間にかアストラルの後ろについたホープの剣先がナンバーズ96を狙う。ナンバーズ96は顔を歪めて、ひらひらと手を振った。
「分かったよアストラル。で、何故オレを呼んだ。自慢したかったのか」
「それもある」
「あるのかよ」
「これを皇の鍵の中に持ち込みたい」
「馬鹿言え。オレたちはこの世界とは全く違う存在だ」
「しかしお前はこの世界のARシステムに介入してみせたな」
 ナンバーズ96は黙ったまま、ニヤニヤと笑った。
 ホープの剣をそっと手で押しやり、アストラルのもとまで近づいてくる。
「オレにもそれを触らせるか?」
「壊すようなことがあればお前を永久に鍵の中に閉じ込める。永久にだ」
「誰が壊すような下手な真似をするか。オレが触るのだぞ。遊馬が作ったものを」
 そう言うとナンバーズ96はアストラルの手の上に浮かんでいるそれにいとも簡単に触る。
 アストラルと同じ金色の瞳が細められる。ナンバーズ96の黒い指が触るとその箇所に小さなノイズが走って、また元のフォルムに戻る。
「ほらよ」
 ナンバーズ96の手が離れた。
「遊馬、次はオレのために何かを作れ。できればこの世界を破壊するスイッチをな」
 黒い触手がオレの頬を撫でた。
 アストラルが睨みつけホープで攻撃する前にナンバーズ96の黒い姿はARの夜の中に溶ける。
「…アストラル」
 まだARの夜を睨んでいるアストラルにオレは呼びかける。
「アストラル、ほら」
「あ…」
 アストラルは手の中のARチョコレートに触る。
 確かに触れた。もうすり抜けることも突き抜けることもしない。ふりではない、アストラルが胸の中に抱きしめても形を崩さない。
「遊馬…」
 ほのかに発光する両腕が伸びる。片手にARチョコレートを持って。もう片手でオレの背中を抱くふりをして。
 触れ合えない運命。フェイト・ウィッチ・キャンノット・タッチ。委員長が翻訳サイトで英語にしてくれた。
 でもいつかキャンノットじゃなくて、キャンにしてみせる。
 このARチョコみたいに、触れ合える運命をオレはアストラルと、きっと掴む。






2012.2.14