パリの新年




 半分潰れた車のラジオから割れ鐘のような音楽が流れている。鼻にかかるフランス語を踏みつけにするのは遊馬の足で、その両足は煤や灰や瓦礫の上で楽しげに踊っている。ナンバーズ96は遊馬が街灯に掴まってくるくる回転したり、壊れた車や瓦礫の山に飛び乗るたびにそれを追いかけるのに忙しい。
「遊馬、遊馬!」
 警戒警報を蹴り飛ばして道路に着地した遊馬の手を取り、ナンバーズ96は尋ねる。
「なにを浮かれている」
「なにって? お前は楽しくないのか?」
 イルミネーションではなく燃えさかる炎に照らされたシャンゼリゼ通り。西には半分に折れ曲がったエッフェル塔が見える。華の都と呼ばれたパリを破壊し尽くし炎の海に変えて、それでなお楽しくなかろうはずがない。しかし、ナンバーズ96には分かる。
「いつもより、楽しそうだ」
 指摘すると、遊馬はにやりと笑った。
「ほら、聞いてみろよ」
 遊馬は掌を耳に当てる。ナンバーズ96も軽く周囲を見渡し、耳をすます。
 ラジオから繰り返し流れるボヌ・ナネー!の声。カレンダーのない日々、そもそもナンバーズ96の中には時計だって存在しない。しかし、へしゃげた車のラジオが陽気な音楽と共に繰り返すその言葉が、人間の、新年を祝う言葉だとは流石に分かった。
「昨日から今日になっただけだ、そんなことが嬉しいのか」
「お前には聞こえないのか?」
 遊馬はナンバーズ96に向かって手を伸ばす。影の中から触手が現れ、遊馬の身体を持ち上げる。遊馬はナンバーズ96の首に腕を回し、ほら、耳をすませろよ、と囁いた。
 音楽と歓声。皆が一つの言葉を繰り返している。ボナネー!ハッピーニューイヤー!世界各地、バラバラの人間達がたった一つの事実に熱狂している。時計が午前0時を回り、カレンダーが変わったこの瞬間を祝う。
 ナンバーズ96の腕の中でも遊馬の身体がうずうずと震えている。理由などない。デュエルでの勝利以上に理由のつけられない、本能的な喜びが瞳の中にちらついている。興奮しているのだ、と気づいた。
 どうしたい、と囁くと、なんでもしたい、と上擦った声が答えた。
 互いに手を取って足下の車を潰す。ラジオがノイズの悲鳴を上げて途切れる。瓦礫の山を蹴飛ばして、ビルの崩れた先でまた爆発が起きる。この新年のために用意されていたのか花火の爆発だ。爆音と光の雨。その下を遊馬が走る。ナンバーズ96はその手を引くように飛ぶ。遊馬は笑う。笑い声が、花火の振動に押し出されるように遊馬の腹の底から湧き上がる。
 凱旋門の上から、二人は炎に照らされたパリを見渡した。
「全部燃えてる。オペラ座も、ルーブル美術館も。モナリザだろ、ミロのヴィーナスだろ、神様の絵も天使の絵も、全部」
 夜空に立ち昇る火の粉を眺めながら遊馬は呟き、ナンバーズ96にもたれかかる。
「古い時間が終わって、新しい時間がやって来たんだ」
 誰がつれて来たか分かるか、と尋ねるので黒い指で相手の顎を撫でてやった。






年賀状小説 Yさんへ