ロングウェイ




 少し遅い帰宅をした遊馬は明里に怒られるのもおかずを奪われるのも気にしない様子で、と言うか心ここにあらず、と言うよりはもっとはっきりと眠そうで。食事とアストラルが立ち入り禁止な永久コンボに風呂というやつを済ませて屋根裏に戻り、さっさとハンモックに横になってしまった。
 アストラルは知っている。今日もずっと彼を背後から見ていたから。遊馬は学校の帰り道、わざと遠回りをした。一緒に歩いていたのは観月小鳥、武田鉄男、委員長の等々力孝、それからあのデュエル以来すっかり打ち解けた表裏徳之助、更に後ろからキャッシーがついてきているのに気づいて遊馬が呼び寄せた。
 皆が皆、絶え間なく喋っていた。アストラルの見る限り決して饒舌でないキャッシーさえ言葉を発していた。そして遊馬の足は、誰かと帰宅の道順に関して喋った訳ではないのに、自然と遠回りの道を選んでいた。おそらく、一番家が遠いのはキャッシー。彼女と別れて、また一人、一人と手を振って、最後に別れたのが鉄男。最終的には本来の倍の距離を歩いていた。
「遊馬」
 もう自宅が見える道になり、アストラルは遊馬に尋ねた。
「何故、自らすすんで非効率的なルートを選択した?」
「ん? 遠回りのこと?」
 遊馬は上機嫌でアストラルを見上げ、答えた。
「楽しかったからに決まってんじゃん」
「楽しい…」
「徳之助たちも一緒にさ、あんなにたくさん喋ったの初めてなんだぜ」
 明里に怒られている最中も、傍目には黙っておとなしくしているようだったが、実際には疲れていただけなのだろう。エネルギー補給の際も、噛む回数と速度がいつもより遅かった。喋りすぎて顎が疲れている。
 ハンモックの上の遊馬は満足そうに目を瞑っている。このままではすぐ眠ってしまうだろう。
「遊馬」
 アストラルは少し強く遊馬の名前を呼んだ。
「なんだよー」
 もう眠りに潜りかけていたのか、遊馬は目を瞑ったまま曖昧な発音で返す。
「テレビをつけてくれ」
「ああ?」
 この曜日は毎週、深夜にエスパーロビンの前シーズンが再放送されている。
 遊馬は、あー、と言いながらハンモックを探るが、リモコンはテレビの上だ。そう伝えると、しょーがねーなー、とぶつぶつ呟きながら目を開けハンモックを下りた。
「…すまない」
「んー、いいよ、オレも見る」
「眠いのでは?」
「いい、見る」
 遊馬は座椅子をテレビの正面に据え、ちょっと考えてそれを左にずらした。
 テレビをつけたが、エスパーロビンの時間まではまだ間がある。深夜のニュース番組が一時間。遊馬はあくびを繰り返し、とろんとした瞳にニュース映像を映す。アストラルはその隣に座り、エスパーロビンが始まるのを待つ。
 ふがっ、と小さな音が聞こえて振り向くと、遊馬は首を大きく反らし目を閉じている。今のいびきのような声は開いたままの口から聞こえたものだった。眠っているのだな、とアストラルは思った。そしてそれが少し辛そうな体勢であるとも思った。人間の関節の可動域を考えれば、おそらく。しかしアストラルにはどうしてやることもできない。
 遊馬、と小さく声を掛けるとまた、ふがっ、と小さな声を上げて遊馬が顎を引く。目は開いたが一瞬のことで、彼はんーと小さくうなると今度はがっくり項垂れ、また眠ってしまった。
 アストラルはそっと遊馬の寝顔を覗き込んだ。いつもめまぐるしく表情を変化させる遊馬は、今何と名前をつけられもしない穏やかな表情で眠っている。
 耳慣れたオープニング音楽が聞こえて来て、アストラルの意識はテレビに引き戻された。いつものように、じっと座ってロビンを見守った。時々、遊馬の寝息が聞こえた。

「遊馬、遊馬」
 優しく呼ばれ、何かいいことでもあるのだろうかと瞼を開くと、いつの間にか視線は低い位置にあって床から屋根裏部屋を見上げている。その中にアストラルがいて、自分を見下ろしている。
「アストラル…?」
「終わった」
 アストラルが顔を上げると、その向こうで光っているテレビの画面。テレビショッピングのテンションの高い声が鼓膜を震わす。遊馬は黙って手を伸ばし、テレビを消した。
「寝てた…」
「ああ。君は眠っていた」
「ロビン終わっちゃったー」
 見逃したー、と呟くが、呟きほど不機嫌な気持ちにはならない。
 遊馬はまだ眠気にとらわれていて身体を動かす気になれず、床からアストラルの顔を見上げた。
「面白かった?」
「今日はロビンが次元の…」
「あー長くなりそうだから明日な。明日聞くから」
 起き上がろうとしてごろりと体勢を変える。それでも眠気に取り憑かれて、またじっとしてしまう。
「明日」
「ん?」
「明日も遠回りをするのか?」
 遊馬は顔を上げた。アストラルが小首を傾げてこちらを見ている。
「遠回り…?」
「私が話すロビンの話を聞いてくれる、と?」
 それを聞くと、眠りの膜を破って意識が蘇り、遊馬はくくくと喉の奥で笑う。
「何がおかしい」
「聞いてほしいの?」
「…君が、私に尋ねて…」
「いいよ」
 遊馬は身体を起こし、アストラルの顔を下から見上げた。
「遠回り、してやろうか」
 アストラルはすうっと目を細め、君が構わないなら、と答えた。
「偉そう、お前」
「君こそ」
 遊馬はハンモックに身体を横たえると、わざとそれを一度弾ませ、揺れる感触を楽しんだ。アストラルは傍に浮かんで、それを見下ろしている。
「あー、今日楽しかったー!」
 時間を考えてか、遊馬は小さくそう叫んだ。
「寝るのもったいないけど、寝る! 明日楽しみだから」
 少し目が覚めていたが、身体中に残った心地よい疲れは睡眠を欲している。瞼を伏せれば、すぐにでも眠気は這い寄ってくるだろう。
「おやすみ」
「おやすみ、遊馬」
「また明日」
 目を瞑った遊馬は案の定すぐに眠りに落ちた。その傍で、アストラルはほんの少し目を見開いて遊馬の顔を見下ろしていた。
 またあした…、と小さな声で呟く。
 遊馬は今度こそ目を覚ます気配はない。アストラルは遊馬の胸で光る皇の鍵に触れた。その姿は一瞬金色の霧になって、部屋から消えた。






2011.8.9