元気を出してほしいから




 風にまかれて、カードが一枚飛んでゆく。遊馬が手を伸ばすのと同時に隣のアストラルも手を伸ばすが、それは遊馬の指先を掠めアストラルの掌をすり抜け街灯に照らされた景色の向こう、黒く広がる川面へ向かって消え去る。
「ああ…」
 遊馬が情けない声を上げた。
 今日はハンバーガー屋で遅くまで鉄男や委員長と喋っていて、デッキを組み直したばかりだった。そう、今日カード屋に寄って新しいパックを買ったばかりだったのだ。その一枚が夜風に飛ばされて消えてしまった。
「あーあ…」
 嘆きの声が口から漏れる。もう戻らない、たとえカードを再び手に入れ同じデッキを組み直したとしても、窓の外がだんだん暗くなるハンバーガー屋でだらだらと喋りながら過ごした時間と感じたわくわくと完成した喜びは、カードが指から離れていったあの瞬間全て消えてしまった。確かに記憶は残っていても、まるで夢のように霧散してしまった。
 遊馬は手すりから身を乗り出したまま、指先の向こうを見ている。カードはもう川に落ちてしまったのだろうか。これから海まで流れてゆくのだろうか。誰に拾われることもなく、水底へ沈むのだろうか。
 ふわりと、触れられるはずのないアストラルの手が伸ばした遊馬の手を包み込んだ。
「危ない」
 アストラルは囁く。
「それ以上身を乗り出しては危険だ、遊馬」
「アストラルー」
 遊馬は甘えた声を出したが、しかしカードがその水色の掌をすり抜けてしまったのは彼も見たのだ。渋々橋の上に足をつけ、がっくりと肩を落とした。
「遊馬…」
 俯いた顔をアストラルは覗き込むが、しかし慰める言葉を知らない。ただじっと遊馬を見つめるだけだ。その豊かな表情の内、実に情けなくしょぼくれた顔を。
「遊馬」
 アストラルは顔を近づける。気配が耳のそばを包み込む。遊馬が顔を上げると、アストラルは今度は手を添えてキスの形を真似た。
「ゆうま」
 優しい声音が、呼ぶ。
 遊馬は背筋を伸ばし両足でしっかりと立つと、ふうっと大きな息を吐いてもう一度肩の力を抜いた。
「…慰めてくれてんのか?」
 アストラルは軽く肩をすくめ、帰ろう君の家へ、と促した。
「…分かったよ」
 遊馬は一歩踏み出す。歩き出すと二人の姿は街灯から外れ、また照らされる。
「キスで簡単に機嫌がよくなるなんて思うなよな」
「ふむ…効果はなかったのか」
 顔を赤くした遊馬は顔を逸らす。川面から吹きつける風が冷たい。
「一回じゃ効果ねーよ」
「一回では」
 アストラルは繰り返す。
「回数の問題かね?」
「ちげーよ!つうか分かってんだろ、お前も!」
「遊馬」
 アストラルが正面にまわり、また頬に両手を添えた。
「あれはまあまあいいデッキだった」
「まあまあかよ!」
「消えたカードは残念だが、君ならもっと素晴らしいものを作り出せる」
 キスの気配はやさしく額に触れた。
 アストラルに慰められる日が来るとは思わなかった。まさかこいつが自分のことを思ってこんな言葉をかけるようになるなんて。
 遊馬は走り出す。冷たい風が火照った頬や耳を吹き抜ける。
「遊馬!」
 アストラルが追いかける。
「ありがとな!」
 走りながら遊馬は叫んだ。






2011.12.19 タイトルみたいな気持ちで書いた