失楽のユビキタス 13 命の輝きの奪われた世界。 オレが破壊してきた世界。 破壊の熱は、享楽や興奮は一時のもので、永遠に続きはしない。 オレ、は。 今は既にオレという言葉を用いるのも適しない。オレは既に自我でさえない。 オレは意志だ。破壊され、熱を失い、死んでゆこうとする世界を元の形に留めようする意志そのものだ。最後の恒星を中心に宇宙の形を留めている。オレはあらゆる場所と時空に偏在している。宇宙の果てを漂うガスの粒子一粒から、今や唯一生命の存在する惑星に降る雨の中にまで。オレは遍く在り、意志として全てをつなぎ止めている。遊馬を待ちながら。 あの日、少年皇とアストラルが宇宙からアストラル世界へ風穴を開けようとして失敗した瞬間からどれほどの時間が経っただろう。 世界の果てまで飛ばされそうだったアストラルはオレの意志により孤独となることを免れたが、実質その身一つで宇宙空間へと放り出された。しかしアストラルにはそれでも十分だった。アストラルには、遊馬を取り戻すという強い意志があったからだ。意志の力は、かつてオレが遊馬を失い再び創り出そうとしたそれとは違っていた。アストラルには希望があった。この世界、この宇宙のどこかに遊馬はいるとアストラルは信じていた。信じる力が光よりも早く、闇をも貫くスピードでアストラルの身体を動かし、彼は宇宙のありとあらゆる場所を旅し続けた。ただ、遊馬を探して。 アストラルはその道程で知識として知っていたものを経験として得る。かつて繁栄した力、輝いていた星、引き合う宇宙、星が銀河が生命として花咲いていた歴史を。それは同時に破壊と空虚の現在、無へと至る未来を学ばせるものだった。そこここに死が漂っていた。しかしアストラルは決して諦めなかった。アストラルの信じる力は挫けず折れなかった。 「遊馬」 アストラルは呼び続ける。 「遊馬…!」 もうオレが呼ぶことのできなくなった名を。 アストラルが呼べば、その声はオレを伝って最後の惑星に届く。一欠片の遊馬の細胞から全ての命の始まった星へ。 遊馬はいまだ眠っている。この星のどこかに眠り続けている。オレは破壊の風が吹いたあの時、遊馬の魂が引き剥がされてしまわないよう必死で繋ぎ止めた。この星の中に遊馬はいる。地上に、海に満ちた生命の中のどこかに。だがまだ目覚めない。アストラルが呼ぶと、星のどこかが震える。マグマが唸りを上げ、氷山は軋みを上げる。オーロラが空を覆い、雷鳴は天と地を結んで轟いた。三度散り散りとなったナンバーズたちにもアストラルの声は聞こえている。もう一度、集う日を待ち、人の手から人の手へ渡り続ける。 奴らもまた待ち続けている。遊馬の力を得たアストラルが自分たちを束ねてくれる日を。そのために取り憑いた先で人間の闇を増幅させたりするのは力を得る為に致し方なく、人間の歴史がまた破壊と創造を繰り返すのを見ながらオレは、かつての自分だったら嘲笑っただろうかと薄く思う。既に意志となったオレに感情めいたものは遠い昔の出来事で、今のオレにはそれを懐かしむこともできない。 オレを存在させているのは遊馬だ。 遊馬に会いたいからオレはこの宇宙に存在し続ける。この宇宙を存在させ続け、滅亡を避けようという意志と使命をアストラルと少年皇に与えた。 お前が帰ってくる世界を、遊馬、お前のために。 もし遊馬が蘇ったとしても、もうオレを見ることも感じることもできないが。 遊馬、とオレが呼ぶこともできないが。 会いたい、遊馬、オレはお前と永遠に一緒にいたかった。 オレの意志は惑星に雨を降らせる。新たな命が地から芽吹く。 もうすぐ何千年が過ぎようとしている。破壊の風に吹かれた熱帯雨林もすっかり緑で覆われ、人間の文明は天井知らずの発展を遂げようとしては自然に手折られ、また復活し、いつしかオレと遊馬が初めて出会ったころと同じほどの文明が地上を支配している。 ビルの谷に雨は降る。雨音が遊馬を呼ぶ。 まだその気配はない。 ハッピーバースデイ。 昔、遠い昔に聴いたことのある声だ。 ハッピーバースデイ、ハッピーバースデイトゥーユー。 歌だ。 オレはそれを感じ取る。この世界を漂う死んだ星、命を持たない岩、ガス、塵、全てにオレは存在し把握しているが、それを認識したのは宇宙を漂うそれがこの最後の恒星の光に照らされた正にその時だった。 熱エネルギーがそれを稼働させた。それは真空の中で歌を歌った。 ハッピーバースデイトゥーユー、ハッピーバースデイトゥーユー。 膨大な過去の中から鮮やかに蘇る光景。雪降る冬のホテルの一室。赤ん坊の泣き声。オレの震える手に抱かれた小さな身体。オレに寄り添っていた遊馬。歌うロボット。 ハッピーバースデイトゥーユー。 オボミ、だ。 遊馬がそう名前をつけた、あのロボット。地球が破壊し尽くされたあの日、遠い宇宙に放り投げられたままだった機械の塊。 家電製品の親戚め、長い長い時間をかけてここまで旅をしてきたのだ。 丸い卵形のフォルム、腹の立つほどの聴いた電子音声。 オボミは惑星の重力に引き寄せられる。それはオレの意志だったかもしれないが、オレは知っている。あのネジと歯車とコードの集合体にも意志は宿っている。オボミの意志は主である遊馬に仕えること。遊馬の食事を用意し、遊馬のデュエルを記録し、遊馬の話し相手になる。オボミが遊馬を目指すのは当然のことだ。 大気圏に突入したオボミは夜明け前の流れ星となる。燃え残った破片が大陸の端の小さな島国の、広い砂丘の上に落下する。人間たちはそれをニュースにし、夜が明けると調査隊が砂浜から破片を回収する。 かつて料理を作った鉄のアーム。原形を留めない歯車。その中に、厳重に保護された卵ほどの大きさのカプセルがある。人間の一人がそれを解析し、中に収められていた電子頭脳を回復させた。 ピピ、ピピ、と連続する音。 オレは建物を包み込む雨となってそれを聴く。 遊馬が行ってきたデュエルのデータが読み上げられる。膨大なそれが終わると、ロックされたファイルが出現する。人間にはその防壁を突破することができない。格闘の末、人間は部屋を出て行く。オレは意志の力で機械に干渉する。それを聴きたいと強く望んだのだ。 ――パスワード。パスワード。 電子音声は繰り返す。オレは遊馬を思う。 返されたのはエラー。 ――アナタノセッテイシタパスワードヲ、ニュウリョクシテクダサイ。 遊馬が設定したパスワード…。 オレはすっかり忘れてしまっていた自分の名前を思い出す。 96。 ナンバーズ96。 ――アクセス、キョカ。 音声ファイルにアクセスされた途端、機械という機械が大量の演算を始める。 機械が熱を発する音をもすっかり押しのけてしまうような第一声が響いた。 『オレの名前は遊馬』 遊馬! 遊馬の声だ! オレは震える。オレの震えは全宇宙に伝わり、遊馬を探し続けるアストラルもそれを感じる。 『かつては九十九遊馬だった。今はただの遊馬だ』 遊馬! アストラルが叫び、この惑星目がけて飛び出す。光をも超える速さだが、まだ恐ろしいほどの距離があった。しかしアストラルにも聞こえている。オレの聴く声を、アストラルも聴く。 『明日は地球が終わる。だからお前にメッセージを残すぜ。お前が宇宙の中でも退屈しないようにさ。オボミのことは大切にしろよ。こいつはオレのこともお前のことも全部知ってるんだから、な、96』 オレに口はない。叫ぶためのものがない。感情を生み出すものもない、はずだ。 しかし意志だけとなったはずなのにオレは叫んでいる、遊馬の名前を。 遊馬、オレはここだ遊馬! 「分かってるよ」 遊馬の声が聞こえる。 それだけではない、遊馬の姿が見える。 記憶ではない。過去ではない。身体を失い、意識としての形さえ失ったはずなのに、オレの目には遊馬が見えている。 「どうしたんだよ、オレのこと忘れたのか?」 忘れるはずがない、遊馬、遊馬。 「ああ、そっか。どれくらい時間が経ったんだ。お前は自分の姿も忘れちまったんだな」 遊馬の手がなぞる、その中にオレの頬がある。オレは目を見開く。開く瞼があり、遊馬の姿を捉える目がある。オレは自分が遊馬に向かって手を伸ばしていることに気づく。黒い指、手、腕。 「ゆうま…」 声が。遊馬と発音する唇が、舌が。震える喉が。 「遊馬…」 「久しぶりだな、96」 オレはオレの姿を取り戻す。佇む遊馬の前に、わずかに浮いた姿。 「遊馬」 手を掴まえると、遊馬も手を握り返す。 「アストラル世界には帰れなかったんだな」 「…この宇宙は断絶された。もうすぐ死に絶えるだろう。オレは、もう一度お前を作ろうと」 「だから言っただろ、卵産んでもオレが踏み潰すし、オレを産もうとしたら後悔するだろうって」 「悔いてはいない。オレはお前を愛しているのだ」 強く手を握ると、遊馬はちょっと唇を曲げながらも笑った。 「…なんだその顔は」 「照れてんだよ」 「照れ?」 「嬉しいんだよ、悪いか」 遊馬の腕が伸びてオレを抱きしめる。オレは掌で遊馬の身体に触る。 遊馬、だ。 全ての記憶が蘇り流れ込む。地球での日々、彷徨った星々の空、波音、夕焼け、ありとあらゆる遊馬の記憶。 それを全て取り込んだ遊馬が息を吐く。 「お前さ」 身体を離すと、指先でオレの額を突いた。 「産みすぎだろ」 「オレはお前に会いたかった」 「うわぁ…」 こんなに?こんなことしまくって?と呟く遊馬は顔を赤くし、上を向く。 「愛されてんなあ、オレ」 「だから言っただろう、愛していると」 「っつうかスゲーじゃん、この星の生き物の祖先、全部オレじゃん。しかもアストラルまで創ったのかよ。王様の気分どころじゃねえよな。神様超えたぜ?」 オレたちは並んで世界を見下ろす。 この惑星を。最後の恒星を。それを中心とした今にも終末を迎えそうな宇宙を。 せっかく遊馬を取り戻したのに、この世界は無に落ちようとしている。 「アストラル、凄い勢いで飛んでるな」 遊馬は宇宙の彼方を見た。 「お前の声が聞こえたからだ、遊馬」 「でも、あいつにはオレは見えない」 「何故だ」 「分からないのか? オレはもうお前と同じモノなんだよ。それにアイツの遊馬はオレじゃない」 ほら、と遊馬は耳に手を当て耳を澄ます。 「聞こえるだろ。“オレ”が産まれたぜ」 産声が聞こえる。赤ん坊の泣き声だ。歌声ではない、しかし一個の生命の誕生を主張する力強い泣き声。 雨が上がる。雲間から太陽の光が射し、極東の都市を照らし出す。 「“遊馬”だ」 遊馬が言った。 「しかしお前は…、アストラルに会いたいのではなかったのか」 「えぇ?」 オレの問いに遊馬は素っ頓狂な声を上げる。 「ちょっと待てよ、お前、オレが最後に言った言葉忘れたのか?って言うか何度も言っただろ、忘れるなって!」 「しかしお前は最後に…」 「オボミに残したメッセージ聴いてないのかよ!」 オレたちは意識を雨上がりの街に戻す。研究所のビルの一室、オボミの電子頭脳が大昔の遊馬の声を再生し続けている。 『お前を呼ぶ名前が欲しいんだ、96。番号じゃなくて、お前がオレのことを遊馬って呼ぶみたいに、お前にも名前がさ。ブラック・ミストってやっぱりモンスターの名前だろ。もしかしたら96って番号がもうお前のアイデンティティなのかもしれないけど、“オレ”が“アストラル”って呼んだみたいにちゃんと呼ぶ名前が欲しくてさ。 なあ96、この世界に遊馬はオレ一人しかいない。その遊馬の相棒が、ナンバーズの力を自在に操って、アストラル世界から与えられた使命を果たそうとしてて、それって、もうお前がアストラルなんじゃねえのかな。お前、オリジナルのアイツのことあんまり好きじゃないみたいだから、こう呼ばれるの好きじゃないかもしれねえけど、オレには目の前にいるお前が唯一のアストラルだと思うんだ…、オレのアストラル……、うわ、なんか興奮するぜ、この呼び方』 笑い声が続く。音声データの中の遊馬は嬉しそうに笑っていた。 「……お前のこと、呼んだつもりだったんだけど」 遊馬が呟く。 オレはとぼけた顔でそんなことを言う遊馬を触手で締めてやろうかと思ったが触手は現れなくて、じゃあ殴ってやろうかとも思ったが拳はほどけて掌になって遊馬の両肩を掴み、ぐっと引き寄せる。 が、言葉が出ない。 遊馬は何度も繰り返した。覚えとけよ、オレが死んでも、ひとりぼっちになっても、退屈になってもこれだけは忘れるなよ。オレはお前のこと好きだからな96。大好きだぜ。お前を抱きしめてさえ、オレは歓びを得るんだ。 「なに泣いてんだよ、らしくねえなあ」 「泣く……?」 遊馬の指がオレの目の端を拭う。水が散る。それは雨のように降る。 「オレが泣いている…?」 「涙、出てる」 目元にキスをし、遊馬もオレの身体を抱きしめる。 オレは泣く。泣きながらある夜の遊馬を思い出した。歓びとはなにか、知らなくても覚えていろと言った遊馬。オレは涙のこぼれる限り泣き続ける。遊馬はオレの身体をずっと抱いている。 囁き声が優しく耳を撫でた。 「さ、そろそろ準備するか」 「準備…?」 「“アストラル”が到着する」 「しかし“遊馬”はさっき産まれたばかりだ…」 「馬鹿、十三年なんてあっと言う間に経っちゃったよ」 ほら、出会った、と遊馬が指さす。 惑星の上、大陸の端の島国で十三歳まで成長した“遊馬”と、“遊馬”目がけて宇宙の果てから飛んできた“アストラル”が出会う。 「早速ケンカしてるぜ。歴史って繰り返すんだな」 「今度の歴史は繰り返されては困るぞ」 「当然」 オレと遊馬は手を繋ぎ、世界の果てを見上げる。 再び蘇る日蝕の光景。赤く燃える円環。燃え滾る混沌の闇。 「前回、ゲートは閉じられてしまった」 「きっと今度は上手くやるさ。あいつらはオレたちの子どもなんだから」 遊馬は笑い、オレが楽観的過ぎると言うと、だから、と世界の果てを指さす。 「最後の仕事をしなきゃな」 いつかお前言ったよな、オレと一体化しろ、って。 遊馬は囁く。 「いいぜ。プロポーズ受けてやる」 あまりに真剣な声だったので、今度はオレが皮肉を言ってやりたくなる。 「オレはオレだ、と言わないのか?」 「いいんだよ、お前のこと好きなんだから」 別々の身体でイチャつくのはあいつらに任せるさ、と遊馬はもう一度、今度はオレの唇にキスをした。 「一緒になって、一つになって、世界そのものになるとか、人間の時は考えもしなかったぜ」 「あの星の上にいた頃は、オレだって思いつきもしなかった」 「オレたちが世界になって、あいつらが未来を作れるか。これが上手くいったら本当の子作り成功って感じだな」 地上ではその時が近づく。ナンバーズの力が結集し、再び“遊馬”と“アストラル”が力を合わせようとしている。 混沌の闇に燃える空。この向こうに別の世界がある。希望の世界。そんなものを望むことになろうとは! この世界の全ての破壊を望んだこのオレが。 世界の破壊ではなく再生を成そうとしている。 「ゲートを開くことに成功して、アストラル世界がこの世界に流れ込んできたらさ」 遊馬は言う。 「多分それもう再生って言うより創成だぜ」 「創成…」 「この世界とアストラル世界が混じっちゃって、新しい世界を創る」 オレたちは顔を見合わせた。 遊馬は目を丸くしてオレを見ていた。 「すげえな…!」 遊馬は誇らしげに笑った。 それはオレが初めて見る笑顔だった。遊馬、こんな顔でも笑うのだ。遊馬、遊馬…。 「遊馬」 オレは呼ぶ。 「96」 懐かしい名で遊馬が呼ぶ。 繋いだ手が溶け合う。溶けた端からオレたちの思考は一つになり、一つの意志が世界に広がる。 オレ、と、オレ、の区別もつかなくなる。 その中で遊馬とアストラルが天に向かって手を伸ばし、新しい世界を掴もうとする。 オレはそれを見る。感じる。聞く。 ゲートが開く。 溢れる光が流れ込み、燃える混沌と混ざり合い、世界が新たに形作られる。 そのどこまでもオレは広がる。全てに宿る。新しく産まれる全てのものに宿り、意志を与える。 しだいに語るこの言葉さえ 消え オレは感じられる 全て と なり 混沌が 光となる 世界に 初めて響く 波音 を 聞いた
2011.12.6
|