失楽のユビキタス 12




 夜明け前の、目覚めの気配。
 オレは闇と夢の狭間を漂う。まだ幼い遊馬は夢の闇の中を彷徨い続けている。オレの声は遊馬の夢の中では闇の唸りとしてしか届かない。闇の更に奥の暗黒へ誘う声。遊馬は怯えている。別にオレはいたずらに遊馬を怯えさせようとしているのではない。
「ゆうま」
 遊馬の背後に佇み光を放つ姿。
「恐ろしくはない、遊馬」
 アストラルは遊馬の耳元に囁きかける。
「あの闇の向こうに我々は行かねばならない。遊馬、あの闇を破り、混沌を光に変えなければならない。それが私たちの使命だ」
 しかし遊馬にはまだアストラルの姿を見ることができない。その謎めいた声に、こぼれそうになった涙を拭い、前を向く。闇の奥から囁き続けるオレの方をじっと睨む。
「混沌を、光に…」
 遊馬は一言一言を噛みしめるように言う。
「混沌を、光に」
 アストラルは遊馬の声に寄り添うように囁く。
 オレの意識は完全に遊馬の夢から離れる。日の出を前に熱帯雨林の闇は青く澄んでいる。木々の間から立ち昇る闇はやがて昇る朝日に浄化され、夜の世界へ帰ってゆく。しかしオレの意識は残り続けて、二人を見守っている。
 皇子は目を覚ます。既に傍らには従僕が控えていて、皇子は身支度を調えると朝日が昇る前に神殿に向かう。皇と皇子と神官たちは昇る朝日に祈りを捧げる。
 その皇子の後ろには常にアストラルがついている。
 生み出されたその日から、アストラルは常に遊馬の傍に在った。いついかなる時もその傍を離れなかった。皇子はまだ神に仕える者としても未熟でアストラルのことは気配程度しか感じ取ることはできない。しかし自分には常に寄り添う存在があることは感じている。
 オレは二人に向かって語り続ける。この宇宙の歴史、目前まで迫ったこの世界の未来、彼らの使命を。それは神託の結果に、遊馬の夢の中に表れる。遊馬も幼いながら気づきつつある。自分が何をしなければならないか。
 やがて遊馬は夢の中でも泣かなくなる。アストラルの言葉に耳を傾け、闇の果てをじっと見つめる。
 都市の繁栄も長くは続かない。痩せた土地に作物は育たず餓死する者が増える。一番の原因は干ばつだ。本来ならば雨期に入っているはずなのに、一滴の水も降らない。生贄が次から次へと地下の泉に投じられ、最後は遊馬の父である皇自らがその身を投げ打つ。遊馬は悲しみ、久しぶりに流す涙と共に祈りを捧げ、アストラルはずっとその隣に寄り添い続けた。
 ついに雨が降り、王国の人間は生気を取り戻す。畑に緑が蘇る。
 土地を豊かに満たす水が上がり喪が明けたその日、少年皇が即位した。
 遊馬は自らの血を神に捧げた。命の源である食べ物を得、祈りを捧げる言葉を吐くその口から。遊馬は儀式に則って自分の舌を傷つけ、血を流す。アストラルはその血を受けた。
 おそらく何年も、何万年も何億年も待ち焦がれた瞬間だったのだ。
「遊馬」
 アストラルは少年皇の名を呼ぶ。
「アストラル…?」
 遊馬の目は初めてアストラルの姿を捉える。その目が輝くのをオレは見る。
 美しいだろう、遊馬。それがお前の運命だ。地下の泉のように清らかな姿。太陽の光のような黄金の瞳。何十億年もかけてようやく辿り着いた再会。これこそお前の求め続けたアストラルだ、遊馬。
 遊馬は手を伸ばす。アストラルも手を伸ばし、まだ淡い光のような自分の顔を近づけ遊馬の口から溢れる血を飲む。
 指先が、触れる。
 互いの首に、頬に。そして両手はもう離さないとでも言うかのように互いを抱きしめる。
 それでいい。オレにはもう喜びも悲しみも存在しない。
 在るのはお前たち二人と、お前たちが成すべき使命だけだ。
 アストラルは遊馬に教えた。
「私たちのいる世界は、ただ一つ孤独の海に浮いているが、唯一ではない」
「どういうことだ」
「この世界の他にも世界はある」
 二人は天文台から夜空を見上げていた。空には星が輝いている。が、その全てがもう存在の消滅してしまった星たちだ。終末の光がこの地上に届くまでにはまだ何万年という時間がかかる。
 アストラルは指先を夜空に滑らせ三つの円を描いた。
「一つは終わりを迎えようとしている世界。繋がりの力を失い、孤独を彷徨いながらやがて虚無に至る。なにも起きず、なにも始まらず、なにも終わることのない平板で暗くぬくもりのない世界となる」
「…それがオレたちの世界か」
「そうだ」
「他の世界は?」
「今でも星同士が引き合い、繋がり合い、様々なものが生まれ続ける世界」
「様々なもの…」
「光も命も、君の感じる喜び、愛情、様々なものが」
「希望が生まれ続ける世界、か…」
 アストラルは頷く。
「その世界に行くにはどうしたらいい」
「もう一度、門を開けなければならない。この世界と向こうの世界とを繋ぐ扉を」
「向こうの世界の名前は?」
「アストラル世界」
 お前の名前だ、と遊馬は掠れた声で囁いた。
「お前がオレの、オレたちの世界の希望なんだな、アストラル」
「私は必ず君と使命を果たす。私はその為に生まれ、君の傍にいるのだから」
「オレの神」
 遊馬はアストラルを抱きしめる。
「オレもお前のものだ」
 遊馬はアストラルの手を取ったことで、自分が神の力を得たことを知る。彼らはその文明の程度を考えると驚くべき力で他国家の征服を始める。それはただの侵略ではなかった。この星に散らばったナンバーズの力を再び一つに束ねるための戦いだった。
 アストラルにはオレの教え込んだありとあらゆる戦略が知識があった。それはかつて遊馬がオレの目の前で繰り広げたデュエルの歴史だった。
 遊馬にはアストラルの助言を容れ、行使する力があった。それはかつて遊馬がオレの目の前で繰り広げた勝利の光景のように圧倒的だった。
 智でもち力でもち二人は世界を束ねてゆく。王国は巨大に、大陸さえ呑み込むかと思われるほど広がってゆく。しかし大事なのは領土以上に力だった。地の底、海の底で眠っていたナンバーズたちの力が目を覚ます。そして今一度、遊馬とアストラルの姿に引き寄せられ、集う。
 ついにやって来たその日、太陽は大きな影に呑み込まれ、赤い円環となって禍々しく中天に輝いた。
 日蝕だ。
 二人は彼らの王国の中心たる赤い神殿の頂点に立った。
 百の力はしかるべき場所に配置された。炎の力を持つもの。水の力を抱くもの。風となり力を運ぶもの。地を駆けその力を運ぶもの。射す光が、描かれる影が全ての力をその神殿へ、二人の手の中へ注ぐ。
 アストラル、と。
 遊馬、と。
 二人が互いの名前を呼び合った。
 空にかざされる二本の腕。それは赤い光と青い光になって、混沌とした闇の空へ昇る。
 オレは見た。見ていた。感じていた。
 遊馬、お前がオレに語った、オレたちのものではなかった未来。しかし、その力もやはりオレたちのものだったのだ。
 縒り合わされた二人の力。強大なる光。ゼアルの力。
 太陽のような金に輝く髪。両眼には互いの面影を残し、微笑みは力強い。
 彼の掲げた手から溢れ出した力は懐かしい姿を天空に蘇らせる。
 カオスナンバーズ、希望皇ホープレイ。
 ホープレイの剣が混沌と燃える闇を切り裂こうとする。
 そうだ、やれ。この世界の断絶を切り裂け。箱庭など破壊し世界を手に入れろ、遊馬。
 混沌の切りつけられたその刹那、輝く光が裂け目から射した。
 これだけ離れていればいっそ懐かしくさえ感じるアストラル世界の光。アストラルの身体の孕むのと同じ、輝く水色のフォトンの光。
 だが混沌はじわじわとその裂け目を塞いでしまう。意識体となったオレにも分かった。アストラル世界の力だ。この攻撃を、アストラル世界ははね除けてしまったのだ。
 裂け目は閉じると共に物凄い力の風を巻き起こし、あらゆるものを破壊した。熱帯雨林の緑はもぎ取られ、配置されたナンバーズの力は再び散り散りに世界へと散らばる。
 ゼアル、は。
 なおも世界の裂け目に手を伸ばしていた。その向こうには希望に溢れた世界がある。アストラル世界をこの手にし、この世界を救うのが遊馬とアストラルの使命なのだ。
 だがアストラル世界の拒絶の風はゼアルの身体をねじ切り、バラバラにしてしまう。身体だけではない。
 叫び声が聞こえた。
 オレにははっきりと聞こえた。遊馬とアストラルは互いの名を叫んでいた。二人の魂はバラバラにされ、ナンバーズのように、この世界の果てと果てまで引き離されようとしていた。
 そうはいくか。
 遊馬。オレの遊馬。オレはお前と交わり、何度もお前を産み、お前の命をこの星まで届けた。お前のことを見失うはずなどない、遊馬。
 アストラル。オレはお前だ。そもそもお前の記憶の一部だったオレが再び創り出したお前なのだ。遊馬に寄り添い遊馬と全てを共にするお前はオレだ、アストラル。
 オレは意識を広げる。地を海を空を覆い尽くす意識となる。ナンバーズたちを探し、吹き飛ばされてしまいそうな遊馬の魂とアストラルの魂をしっかりと捉える。
 もう一度再会させてみせる。
 オレたちは再会する。
 必ず出会う。
 遊馬。







2011.12.5