失楽のユビキタス 7




 終わりが近づくにつれ、オレたちの旅はいよいよ愉快だ。
 圧倒的な力をもってデュエルを楽しむ遊馬。勝利のホーンが鳴り響いた瞬間、四方八方から雨あられと銃弾やミサイルの雨が降り注ぐ。オレとブラック・ミストはそれを一つ残らず叩き落とし、都市がまるで炎の柱のように燃え上がるのを笑いながら眺める。遊馬はブラック・ミストの掌の上で悠然とそれを眺めている。相変わらず退屈そうだ。王の気分なのだろう。
 旅には同行者が増え、それが遊馬がオボミと名前をつけたロボットだ。これはネジや歯車やコードの塊であるが故に、オレたちの道行きに恐れずついてくる。デュエルと破壊の際にも遊馬の傍を離れず、気づけばブラック・ミストの足下にちゃっかりと居座っている。邪魔だ邪魔だと思っていたが、これがついてくる限り遊馬はあたたかい食事を摂取することができるので機嫌がいい。エネルギー補給は遊馬の数少ない楽しみであるし、これがなければ次のデュエルのやる気も出ないので、オレは目を瞑ることにした。
 家電製品の親戚、とオレが馬鹿にすると「ナマエ、オボミ」といっぱしに言い返す生意気な機械だが、存外に優秀らしく遊馬の全てのデュエルと足跡を記録している。出会う前のデュエルも全て、ネットワークに残された記録から掘り起こし、遊馬がもう一度見てみたいと言ったそれがARビジョンによって再現された時にはそれはそれははしゃいだものだ。
 夜は屋根の下で眠った。冬と呼ばれる季節が近づいていた。ドアを剥がして焚いた火を眺める遊馬は、また遠い目をする。九十九遊馬とアストラルの築いた過去を懐かしんでいる。いや、未来かもしれない。あったかもしれない未来。二人で得る強大な力。オーバーレイネットワークの構築。ゼアルの力。遊馬が決して手に入れられないもの。それはオレがナンバーズ96であり、遊馬がオレと共にある以上、絶対的に断絶された可能性だった。オレには遊馬とオーバーレイネットワークを構築する力はない。ゼアルの力を手に入れることはできない。
「遊馬、閨へ行くぞ」
「はあ?」
 声を掛けると遊馬は暖炉の火を背に振り向く。それは少々アホ面だった。オレの言った意味が分からないらしい。閨、という言葉が遊馬のデーターベースにはないのだ。
「寝るぞ」
 端的に言ってやると、なんだベッドか、と立ち上がる。
「今、お前なんて言った?」
「閨だが」
「どうしてそんな言葉知ってんだよ」
 なんかエロいの、と遊馬は声をひそめて笑う。
 オレは遊馬を横目に睨む。
「ドスケベはどっちだ」
「お前の貪欲さだって負けてないだろ」
 人間の寝床の上でオレたちは交わる。遊馬の護衛を自認しているらしい機械はオレたちの閨にも入り込んでその様子をじっと見ている。もしかしたら記録までしているのかもしれないが、オレにはオレと遊馬の交わりが機械なぞに理解できてたまるか、と思い放っておいている。遊馬は触手に飲み込まれる寸前、自分がオボミと呼ぶそれに向かって軽く笑って手を振ってみせる。
 このように道行きはおおむね愉快で楽しく滞りのないものだった。ただ一つのことを除けば。
 セックスの最中、オレが触手を引っ込めて上に跨がると、その時だけ遊馬はオレを憐れむような目で見る。そして行為に対して急に冷めたように跨がったオレのことを無視した。視界にも入れようとしない。口や穴にそれを突っ込まれる時は流石に目を開けるか時々抵抗するが、それ以外ではぬめぬめとしたものが身体を這い射精まで導くのを黙って受け入れている。こっちが犯しているはずなのに、逆に奉仕でもさせられているようだ。まるでヘルスの扱いかと言うと、どこでそんなもの覚えたんだよ、と遊馬はオレの触手の先端を握り潰して言った。
 遊馬のそれを根元まで飲み込む。人間のように痛みは感じない。それは快楽というものも同様だったが、オレはオレなりに身体の奥に湧き起こるそれを感じている。遊馬が射精する瞬間、オレはそれを心底気持ちいいと思う。最後の一滴までそれを搾り取りながら嬌声さえ上げる。
「うるせ」
 遊馬が短く吐き捨てた。すぐにも抜いてしまいたいようだが、オレは触手で遊馬の身体を押さえつける。すると遊馬はオレを見上げ、憐れむような目で見るのだった。
 オレは遊馬が吐き出した精子を自分の中に取り込んで解析し分解する。取り出した遺伝子をオレの中に作り出した細胞の中に突っ込んで定着させようとする。
「もういいだろ」
 遊馬がもぞもぞ動く。オレが触手をほどくと素っ裸のまま仁王立ちになり、大きく伸びをした。
「96」
「なんだ」
「また卵産んでも、オレが踏み潰すからな」
「分かっている」
 遊馬はぺたぺたと足音を鳴らして台所に向かい、冷蔵庫を開けた。中には先の住人が世界の危機を目の前に買い溜めしたのだろう、パックに入った出来合いの食事やジュースの缶が詰め込まれている。遊馬は炭酸を一本取り出して、冷蔵庫の扉を開けたままオレンジ色の明かりを背にそれを飲み干す。
 溜息が聞こえた。それは一気飲みをしたせいかと思ったが、遊馬はオレを見て溜息をついたのだった。その証拠に喋りながらゲップをした。
「お前さあ」
 ここで早速ゲップ。
「そんなことして後で後悔するんじゃねえの」
 缶を掴んだ手でオレの腹を指さす。今まさに遺伝子操作の真っ最中のオレの腹はぼんやり光っている。アストラルのような青白く明るい光ではなく、暗い闇の中でようやくそれと分かる光だ。オレの細胞と遊馬の遺伝子のハイブリッドはなかなか上手くできあがらず、失敗したものは下半身からどろどろと漏れ流れる。それが床を汚すのを遊馬は嫌そうに見た。遊馬にももうバレている。オレが遊馬とオーバーレイネットワークを構築できない代わりに、証になるものを作ろうとしていることに。オレたちが最強のナンバーズと、そのしもべとして選ばれた人間たる、証。
 それでもゼアルの力などとは比べものにならないと、オレも遊馬も分かっている。しかしオリジナルであるはずのアストラルでさえ人間との間に子どもを作ろうなどとは思いつきもしなかったはずだ。いつか遊馬が言ったとおりだ。こんな未来はオレと遊馬でしか作れない。ざまあみろ、アストラルめ。
 開きっぱなしの冷蔵庫からは冷気が白いもやになって流れだし、あまりに長いこと開けているものだから警告音がピーピーうるさく鳴り始める。だが遊馬はそんなこと気にもしない。その目は赤く仄かに光るオレの腹を見つめている。憐れみの目で。
 だからオレは笑う。遊馬の視線をオレのものにした喜び、自分が触れたこともない思い出ではなくオレといる現実に遊馬の意識と思考を縛りつけた悦びを感じて笑い、こう答える。
「何故、後悔する必要がある?」
「知らねーよ」
 遊馬は冷蔵庫から離れる。扉がゆっくりと閉まり、背後から照らしていた光がなくなる。暗がりの中から遊馬は見る。
「必要とかじゃなくて、後悔するんだよ、お前は」
 オレが笑ったのが遊馬には見えているのだろうか。ようやく成功した細胞が腹の底で熱を持ち始める。それは分裂しながら急速に生命の進化を辿る。
 後悔?
 するはずがない。今まさにオレは成功の喜びに打ち震えているのだ。

 雪が降り出した。オレたちはある島にいて、そこに存在する都市を滅ぼし尽くした。
 廃墟に佇むホテルの部屋で、オレは遊馬との子どもを産んだ。
 人間が出産をする程度までそれは成長していた。オレは部屋中に触手を這わせ、どうしたものかと大きな腹を見つめていた。遊馬もじっとそれを見ているだけだった。以前卵を産んだ経験はあるが、子どもを口から吐き出すわけにはいかない。そもそも大きすぎる。
「オボミ」
 遊馬が傍らに控えるロボットの頭を撫でる。ロボットは目の前に出産の仕組みを映し出すとともに電子音声でガイドを読み上げる。
「へえ、こんなところから産まれてくるんだ」
 物珍しげにまじまじと遊馬は図式化されたそれを眺め、オレの足の間を見た。
「だってさ」
「人間の真似をして、そこに出口を作れと?」
「最初から全部真似事だろ。入口作ったのと同じじゃん」
 オレは黙ってそれを拒否する。
 ロボットはなおも資料を読み上げる。人工的な出産方法の一つをオレは取り入れることにする。そもそも、考えれば簡単なことだった。腹から取り出せばいいのだ。
 オレはブラック・ミストのような口を腹に作り出す。
「牙はやめろよ」
 そう言ったのは遊馬だった。オレは遊馬の口から気遣うような言葉が出たことに少し驚きながらも、牙のようだったそれを植物の花弁のようなものに変え、蕾が開くようにゆっくりと腹との通路を空ける。
 卵を産んだ時のような苦しみはなかった。しかし腹からその手に胎児が落ちてくる瞬間、腹の奥からライフとも言えるようななにかがごっそり抜けるのを感じた。
 オレの手は震えていた。そこには赤ん坊と呼ばれるものがのっていた。おそらく五十センチにも満たない小さな、しかししっかりと人間の形をした生き物。重い、と思う。オレはそれを重いと感じる。
 手の中に取り上げられた瞬間から、それは大声で泣き出す。オレはそれに驚いて自分の腹を閉じるのに手間取ってしまう。泣いている、これは呼吸をしているのだ。オレの作った肉体が息をしている。肺を使って酸素を取り込み、心臓で酸素一杯の血液を全身に送り出している。目の前で大きく息をしている遊馬がそうしているように。
「…96」
 オレの名前を呼びながら遊馬はオレの抱いた赤ん坊に手を伸ばす。柔らかい皮膚に触れ、驚いたように手を離し、もう一度ゆっくりと優しく触る。
「ハッピーバースデイ、ハッピーバースデイ」
 ロボットが繰り返す。それはいつの間にか旋律を持って、電子音声の歌になる。ハッピーバースデイトゥーユー、ハッピーバースデイトゥーユー…。
 赤ん坊は両手を挙げ、しきりに空を掴む。いつまで経っても泣き止まない。
「どうにかならないのか」
 オレは尋ねるが遊馬は首を振る。またロボットに頼ると、歌を中断させたロボットが新たな情報を映し出し読み上げる。授乳。沐浴。オムツの商品情報がだらだらと連なり、オレと遊馬は顔を見合わせた。どちらも何も言わなかった。母乳を与えるような存在がいないことはどちらの目にも明らかだった。
 遊馬はしゃがみ込むとロボットの目を見て言う。
「オボミ、必要なもの全部探して持って来てくれ」
「オーケー、ユウマ、オーケー」
 ロボットが立ち去る背中を遊馬は見送る。これからロボットは全てが灰になった街を彷徨い、それを探し出すのだ。もし残存するものがあれば。
 オレと遊馬はベッドの上で寄り添い合い、産まれたばかりの赤ん坊を見つめていた。
 一面のガラス窓の向こう、音もなく雪が降り続いていた。遠くに破壊の余韻の残り火が燃えていた。しかしまったく静かだった。静寂の中、赤ん坊の泣き声だけが響いている。
 それがだんだんと弱まり、完全に消えてしまうまで、オレと遊馬は動かなかった。






2011.11.28