失楽のユビキタス 4 色とりどりの光が降り注ぐ。人工のそれに照らされて遊馬は人込みの中を歩く。背の低い遊馬は急ぐ人間にぶつかられたり、舌打ちをされている。オレは遊馬がそれに甘んじているのが信じられない。早くデュエルをするんだ。そしてこの都市も破壊し尽くせばいい。 しかし遊馬はぶらぶらと街を歩く。対戦相手が待つビルは街の中心に建つ。ここからもそれが見える。クリスタルのようなビルの表面に人工の光が反射して、都市全体がミラーボールに照らされたフロアのようだ。遊馬はそれを楽しんでいるのかと言えばそうでもなく、だが決して急ごうとせず遠回りにビルに向かった。 「遊馬」 オレは影の中から呼びかける。 「何をのろのろしている」 「うん?」 上の空の返事。フラッシュのような光。広告が一際大きな音楽と共に新製品を映し出す。その光が、足を止めて見上げる遊馬の顔も照らし出す。 退屈な毎日に爽やかな刺激を!スポーティな走りがあなたの本能に火を点ける! そんな謳い文句も次の朝にはむなしいものとなるのだ。 「あ」 遊馬が不意に声を漏らし、車道へ飛び出す。向こうから猛スピードで自動車が近づいてくる。爽やかな刺激、スポーティな走り。 「96!」 呼ばれる間でもない。タイヤに敷かれる前にオレは触手で遊馬の身体を守る。女の悲鳴のようなスキール音を響かせ、車は横滑りに反対車線に突っ込んで、対向して走っていた軽自動車の鼻面を潰す。 オレが触手をほどくと遊馬はその様子を見て「おお!」と笑った。 「スッゲーな、高級車って」 「遊馬?」 「あれに乗って行こうぜ」 周囲は騒然としている、が人間は歩道から遠巻きに見るだけだ。近づいてくる者はいない。遊馬は軽自動車を半分潰した黒のオープンカーの運転席を指さす。オレはエアバッグに顔を突っ込んで気絶した男を触手でつまみ上げ、アスファルトの上に捨てる。遊馬はドアを開けず、乗り越えるようにして助手席に収まる。 「どうだったっけなあ」 遊馬は適当にギアをがちゃがちゃと動かす。ボンネットからドルンドルンと不穏な唸りがする。 「おい遊馬」 「これだ」 アクセルを踏んだ瞬間、手綱の切れた馬のように――オレはそんなもの見たこともなかったが――自動車は走り出す。左右にガタガタ揺れながら、猛スピードで通りを駆け抜ける。先を行く車も向かってくる車も全てが遊馬の運転する真っ黒なオープンカーを避ける。遊馬はあちこちに頭や身体をぶつけながらも大声で笑う。オレは助手席に触手で掴まりながら、ブラック・ミストの掌より座り心地の悪い車の上からクリスタルのビルを見上げる。 適当にハンドルを切りながらも、それはどんどんと近づいてくる。遠くで光っていたのが、通りの先に見え、それがどんどん近づき、更に近づき、おい近づきすぎだろと思った時には、遊馬の運転するオープンカーは、くだんのビルの玄関を突き破っていた。 一階に入ったテナントの、高級ブランドの服やら毛皮やら香水瓶やらを壊し引き裂き、自動車は大理石のカウンターにぶつかってようやく止まる。遊馬は自分が壊れやすい肉体だというのを完全に忘れているのか、オレの触手に守られて内側でげらげらと笑っている。 「あー楽しかった」 「馬鹿か、本番はこれからだ」 「分かってるさ」 遊馬はヒビの入ったフロントガラスを蹴り崩し、ボンネットの上に立つ。客も店員も逃げてしまったフロアに一人だけ残った人間が、こちらを憎悪の目で睨みつけている。 「安心しろよ、勝つから」 「当然だ」 デュエルが始まる。そこから先は特に言うこともない。遊馬は強い。オレが助言をしなくても、ナンバーズの力を使いこなし圧倒的な力の差で相手をねじ伏せる。自動車の運転の方がよほど覚束ない。 オレは召喚されたブラック・ミストの掌の上から遊馬が勝利する様を見物する。吹き飛ばされた人間からナンバーズを回収し遊馬に渡すと、遊馬はそれでぺちぺちと自分の頬を叩きながら、不意に笑みを消した。 「…96」 「なんだ」 「今から壊すんだよな、全部」 「破壊する、いつものとおりだ」 「あのさあ」 遊馬は床に倒れたままの敗者を指さす。 「一人ずつ殺してって言ったら?」 振り返った遊馬は笑っていない。目に浮かんでいるのはいつもの倦怠ではない。真っ直ぐにオレを見て、遊馬は言った。 「一人ずつ?」 「一人ずつ、全員」 「全員?」 「たとえばこのビルにいる全員」 オレは黙って両腕を広げる。その瞬間、オレの影は波のように蠢き、床を、壁を、天井を這って伸びる。シャンデリアが砕け、人工の光が閉ざされる。その中で遊馬はオレの両腕から伸びた触手が床の上の男を、デュエルの敗者を貫くのを見る。首が飛び、血が噴き出す。上階からも悲鳴が聞こえる。それもすぐに絶える。断末魔は響いては絶え、肉体の壊れる音、皮膚が裂かれ肉が千切れ骨の砕ける音が響き、血の滴る音にかわり、…それからビルは静まりかえる。 全ての触手を収め、遊馬を見た。がらんとしたフロアで点滅する照明に照らされて遊馬がオレを見ている。床も、壁も、ショーウィンドーのガラスにも血しぶきが飛び散っている。それは明滅する空間で赤というよりどす黒い。遊馬は両手を当て耳をすます。聞こえるのはビルの外の遠いサイレンだけだ。 「全部…」 遊馬は呟いた。そして急に服を脱ぎ、オレの目の前に立った。 「いいぜ」 笑顔で、言う。 「もう全部壊しても」 オレは遊馬の言ったとおりにした。ようやくいつものペースが戻ってくる。破壊の炎と悲鳴、オレの享楽。遊馬はあのフロアに生き残っていた無傷の毛皮を羽織りブラック・ミストの手の上からオレの仕事を見物していた。笑いの余韻が残っていた。いつものように眠りこみもせず、最後まで見ていた。 ビルの最上階から燃える街を見下ろす。遊馬は炎の明かりを背に毛皮を脱ぎ捨てる。オレが触手でその身体を絡め取るとゆったりとそれに身を委ねたが瞼を伏せようとはしなかった。 「96」 右手が伸びる。 「オレのことどう思ってる?」 「どう…?」 「オレのこと、好きか?」 「なにを馬鹿なことを」 「どうしてオレの言うこときいてくれたんだ?」 遊馬は一本の触手を手に取り、唇を押し当てる。 「お前がそうしろと言ったからだ」 「で?」 「非効率的な方法だったな」 「それだけ?」 眉を寄せながら遊馬は笑い、オレは吐きそうだった、と言った。 「でも、これでいい」 両手が伸びて、遊馬はオレの首を抱く。 「吐きそうだったけど、オレはやっぱりお前しか欲しくなかったし、ゲロ飲み込みながらお前がオレのために破壊じゃなくてちゃんと人殺しって分かることも迷わずやってのけるの見ててなんかもう勃っちゃいそうでさ」 息の触れる距離で遊馬は囁く。 「また、好きだなって思ったぜ」 遊馬はオレにキスをする。 「触って」 ねだる。 オレは触手ではなく自分の掌を遊馬の身体に這わせる。 まるで人間のようなセックスだった。遊馬の屹立した性器を、オレは自分の身体を適当にいじくって穴を作り包み込む。上から跨がって腰を振ると遊馬が助けを求めるように見てくる。遊馬が気持ちいいのだと、オレは身体の内部から感じる。もう人間の真似をしているのも気にならない。思考がたった一つの欲求に縒り合わされてゆく。遊馬の快楽が…遊馬が欲しい。 遊馬が射精すると、精液と一緒に熱と遊馬の感情も一緒に流れこんできてオレの中身をぐるぐるとかき混ぜる。 「遊馬」 息を切らし、気を失いそうになっている遊馬を見下ろし、オレは呼ぶ。 「遊馬…」 オレは何を言おうとしているのだろう。
2011.11.22
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