王様のきもの




 海の匂いがする。今日は真っ直ぐ帰ってきたのに。川沿いの堤防を走り抜けただけなのに。これは海の匂いだ、潮の香りがする。残り香ではない。たった今海を目の前にしているかのような、そんな匂いだ。遊馬は顔を上げる。
 裸の背中が夜気に震えた。盛大なくしゃみをしそうになったのを慌てて手で押さえる。ついた掌や、座り込んだ足下は暖かい。毛足の長い絨毯は、広げたのは本当に久しぶりだけど、今でも暖かく遊馬の身体を迎え入れてくれる。
 服か、何か身体に掛けるものでもと首を巡らせるが、手の届く範囲にはない。服を、放り投げたんだ、と今更ながらあの勢いに笑いがこみ上げる。あぐらをかいた膝の上にアストラルの頭がのっている。本当に眠っているらしい。耳をすませばかすかな寝息も聞こえる。自分と同じ呼吸をしているのだと気づくと、同じ空気を吸っていることさえ愛しくて溜息が出る。
 アストラルは寒くないのだろうか。触れれば表皮は気温よりも更に低い気がした。遊馬は身体をひねると、壁に立てかけられた包みに手を伸ばした。どこかに毛織物か毛皮が入っていたはずだ。大昔の動物の、本物の毛皮。今では取引も禁止されているはずだ。ジャガーだっけ、と遊馬はあの斑点模様を思い出す。王様の着物なんだ、ジャガーは。
 指先は包みを結わう紐に引っかかり、よし、と思ったがその他の箱や包みも巻き込んで倒れてしまう。大きな音がした。遊馬は身体を硬直させ、息を止める。しかし階下から叱る声は聞こえず、アストラルが目を覚ます様子もない。ほっと息を吐いて、箱からはみ出した毛織物を引っ張り出した。
 ジャガーの毛皮ではなかったが、十分あたたかい。遊馬はそれをアストラルの身体に掛けた。するとぱちりとアストラルの瞼が開く。
「遊馬」
 視線が遊馬を探す。遊馬は手を伸ばしてアストラルの手を握ってやる。するとアストラルもそれを握りかえし、ほっと息をつく。
「これは」
「寒くない?」
「君こそ…」
 もう片手で膝枕のアストラルの頭を撫でてやると、手を引かれた。
 アストラルは毛織物を羽織って、待つ。遊馬は他の箱や包みをひっかきまわしジャガーの毛皮を取り出す。
 遊馬も毛皮を頭から被って、アストラルの前に座った。
「服を着たらいいのでは?」
「着ない方があったかい」
 二人は野生の仔のように絨毯と毛皮の間のあたたかな隙間へ潜り込む。
「な?」
 遊馬はアストラルの身体を抱き寄せ、囁く。
「この方があったかいよ」
 アストラルの身体にじわじわと熱が移る。そしてアストラルの内部からも熱が生まれ遊馬に伝わるのが分かる。喋るかわりに手で触れ合って、もう少しの夜更かしをした。






事後が好きで