スクーター・ハッピー




 真夜中はハンモックに。真夜中は鍵の中に。二人か顔を合わせるのは大慌てで走っている通学路であることが多い。
「遊馬、また遅刻か?」
「またとか言うな!それにまだ遅刻じゃない!」
 遊馬は叫ぶがアストラルは通り過ぎた街路の時計を一瞥して溜息をつく。
「諦めたら人の心は死んじゃうんだよ!」
 遊馬はアストラルを振り返りなおかつ指さし大声で科白を決めたので、進行方向の信号に気づかない。歩行者用のそれは赤に変わった。
「遊馬!」
 アストラルの叫びと遊馬の野性的な勘が働いたのは同時のことで、横断歩道を踏み込みすぎて止まったそのつま先の数センチ先をタイヤが走り抜ける。遊馬は悲鳴を飲み込み、二、三歩下がる。尻餅を回避したのは運動神経のなせる技か。目の前ギリギリを掠めたバイクは急ブレーキをかけて止まった。見覚えのある車体。運転手がヘルメットのゴーグルを持ち上げる前に遊馬はその名前を呼ぶ。
「シャーク!」
 凌牙はその声を聞いてか溜息をついた。
「なんだよ、シャークまで人の顔見て溜息ついてさ」
「オレまで?」
 アストラルの見えない凌牙にはなんのことやら分からない。しかし遊馬は説明することなどせず、なあなあシャークぅ、と甘えるように近づく。
「学校行くんだろ?乗せてってくれよ」
「お前、ここに座席がいくつあるように見える」
「詰めれば座れるんじゃねえの?」
 馬鹿、という一言とともに拳が遊馬の額を小突いた。
「いってえ」
「痛いわけあるか」
 馬鹿につきあっている暇はないとでも言いたげに凌牙はエンジンを吹かす。遊馬は慌ててシャークの袖を掴んだ。
「シャーク、学校行くんだよな?」
 不意に凌牙は真面目な顔になる。遊馬も真剣な目で相手を見つめる。
 やおら凌牙の手が遊馬のネクタイを掴んで引き寄せた。ほんの数秒、唇が重なった。
 ネクタイを手放した凌牙は少し笑っていて、そのまま遊馬を置き去りにする。遊馬は呆然と凌牙を見送る。
「遊馬」
 アストラルが呼んだ。信号が青に変わっている。人波が遊馬を追い越す。遊馬は正面に向き直ると、黙って走り出した。そのまま学校につくまで喋らなかった。チャイムが鳴って、先生と同時に教室に入った。あと五分早く起きるように、と右京先生が手にしていたDパッドで遊馬の頭をこつんとやる。教室中が笑う中、遊馬はおどけもせずに席に着く。小鳥が世話をやこうとしたが、遊馬は黙って自分のテキストを起動させた。
「なにかあったの?」
「別に」
 遊馬は答え、小鳥を振り向く。
「遅刻したから、反省してるだけさ」
 そう笑うと、似合わない、と小鳥が顔をしかめた。
 昼休みに屋上の給水塔へ上ると、アストラルが意外そうな顔をした。
「君は今、気まずい、という心境なのでは?」
「なんで」
「彼と顔を合わせたくないのではないかと予想したのだが」
「ああ、今朝のあれ?」
 遊馬は給水塔の脚にもたれかかり、アストラルも話をする距離まで下りてくる。
「オレ、初めてキスした相手は姉ちゃんだしなあ。あと男はノーカンだろ」
「ノーカン?」
「ノーカウント。数えないだろ」
「数えないのか」
「それにお前とはいつもしてんじゃん」
 アストラルは自分とのことに話が触れられると思っていなかったのか、ちょっと目を見開く。してるだろ、と遊馬が畳みかけると、今度はそのほっそりした手を伸ばして指先で遊馬の唇をなぞった。
「私と君は触れ合えない」
「でもオレはキスしてるつもりだぜ?」
 お前は違ったのか、アストラル。そう真面目な顔で覗き込まれれば、アストラルも心を揺さぶられるらしく、私は…、と呟いたまま黙り込んでしまった。
「オレたちは触れなくても、他の誰もできないことができるよ」
 オレとお前でオーバーレイネットワークを構築!遊馬はくすぐったそうに囁く。
「オレたちは一心同体なんだ。合体までしちゃうんだぜ、っていうかしちゃったんだぜ」
 遊馬は顔を寄せ、すり抜けてしまう唇同士を重ね合わせる。
「このキスだって、意味なくなんかねーよ」
「…では彼とは?」
 アストラルはしつこく尋ねる。
「カウントしないと言うが、君は午前中それをとても気にかけていたようだ」
「ああ、だって嬉しかったんだ」
「嬉しい?」
「って言うか最初意外でびっくりしてたんだけど。煙草の匂いがしなかったんだ、シャークの奴」
 ああ、とアストラルが息を吐く。
「彼は煙草をやめたのか」
「多分、そうなんじゃねえかな」
 やったビングー、と遊馬は笑う。
「彼も肉体に及ぼされるリスクに気づいたということか」
「そうじゃなくて、オレの熱意が通じたの」
「君が彼を説得する言葉はほとんど私の受け売りだったではないか」
「でも説得したのはオレだろ!」
 だから、と遊馬はアストラルに身体を近づける。
「ご褒美」
「なぜ、ねだる相手が私なのだ」
「だって全部見てたのはアストラルだろ。お前がくれなきゃ」
 君のロジックはめちゃくちゃだ、そう言いながらもアストラルは頬に添えるように手を寄せる。
「目はつむらないのか、遊馬」
「つぶってちゃ分かんねーだろ」
 キスをしている間にチャイムが鳴った。昼休みが終わる。遅刻をする…、とアストラルが言いかけたが、遊馬はもう一度とアストラルにキスをねだった。






シャークさんのキスは色男のキス