archive hot sea




 マトリクスの緑色の光が滝のように流れ落ちる。全ての魔法が解けて現実世界が姿を現す。遊馬はまた負けてしまった。相変わらず同級生とのデュエルは勝率が低い。
「対策をしなさすぎですよ」
 等々力は呆れたように言いながらDゲイザーを外す。
「ボクとのデュエルも、トドのつまり三回目じゃないですか」
「でも委員長、今のカード初めて使ったろ?」
「キミのガガガガールだって、ボクは今日初めて見ましたよ」
 人が日々成長するようにデッキも進化するんですから、そのへんも考慮に入れないと、と等々力は尻餅をついたままの遊馬に手を差し出す。
「このカードにだってデメリットはあるんです。遊馬君が気づいてくれなかったので助かりましたが」
「よっしゃ研究してやるよ、次は絶対オレが勝つからな!」
「次回も使うとは限りませんよ?」
 お前悪い顔して笑ってるぞ委員長、徳之助みたいだ!と遊馬が叫ぶと、なんだウラー!と背後から当の本人の声。ギャラリーの中にいたのか。しかし遊馬は、だって悪い顔してるぞー、と悪気もなく言う。
 デュエルの後はこうやってお喋りに夢中になるのだが、いつもならばうるさく口出しをしてくる存在がなかったので、最近はナンバーズの絡まないデュエルも見るようになったのに、と思いながら遊馬はアストラルの姿を探した。
 アストラルは少し高い所に浮いたまま、上空を見上げていた。
「アストラル?」
 遊馬が声を掛けると等々力も徳之助も一緒に同じ方向を見上げる。
「どうしたんだよ、アストラル」
 アストラルはちらりと三人を見下ろした。しかし何も言わない。
「また戦略面でお説教をもらったんですか?」
 等々力が楽しそうに言う。違うと否定すると、徳之助まで、オレたちに見えないからって誤魔化しはよくないウラと畳みかけた。
「違うって」
 さっきのカードを見せてくれと頼むと委員長はあっさりと見せてくれた。伝説の都アトランティス。海中に沈む古代都市の絵。それはたった今まで彼らの周囲に広がっていた景色だった。深い色をした青い海の底。遥か水面からは太陽の光が柱のように射した。その中を泳ぎ回り、鱗を光らせる魚。スポットライトを浴びているかのように異様な迫力を持ったモンスターたち。遊馬は、また使えよ、と等々力をつつく。等々力は、次の戦略をほいほい喋るデュエリストがいますか、と勝者の表情で遊馬に忠言した。
 遊馬はふと後ろを振り返った。アストラルはついてきてはいたが、相変わらず上空に視線を投げていた。
 アストラルがようやくこちらを向いたのは夜も更けて、デッキ構築に疲れた遊馬が目をしょぼしょぼさせながらハンモックによじ上ろうとした時だ。
「遊馬」
 と唐突に呼ばれ、遊馬はええー?とやる気のない返事をする。
「何だよー」
 オレもう寝るんだから、とハンモックに身体を横たえると、アストラルは遊馬の上に座るような格好で乗ってくる。重さなどは全く感じないが、アストラルがそんなことをするのは初めてで遊馬はちょっと眠気が飛んだ。
「君たち人間は海に執着があるようだな」
「海…?」
「テレビではよく海を特集する、君と君のお姉さんも夏だからという理由で海に行きたがった。カードの中でもバリエーションを変えて存在する。私も地球の表面積の大半が海であることは理解している」
「ちょっと、アストラル」
 今まで溜め込んでいたものを全部吐き出すかのように喋り出すアストラルに、遊馬はストップをかける。
「海がどうしたんだよ」
「今日のデュエル」
 フィールド魔法が展開し、海底の神殿で行われたデュエル。
「ああ…」
 遊馬は少し納得する。
「お前、水にも触れないもんな。ああいうの初めてだったっけ」
「君が泳ぐプールよりも深い…」
「このへんの海は泳げないけど、昔父ちゃんと行った海は本当にあんな風だったんだぜ? 真っ青で、透明で、海の中と光の中を泳いでるみたいで…」
 遊馬は手を伸ばし、自分の上に座ったアストラルの腹のあたりを撫でた。
「命は海から生まれたんだ」
「海から」
「何十億年も昔、海の中で生まれたちっちゃい細胞みたいなのが生まれて、プランクトンみたいなのになって、魚になって、恐竜になって、猿になって、人間まで進化したんだぜ」
「その経過には誤りがあるようだが」
「細かいこと言うなよ」
 かっこいいじゃんか、進化! 遊馬はもう眠気も飛んできらきらした目でアストラルを見る。
「君たちの祖先は海から生まれた」
「そう」
「海という言葉と生むという言葉が似ているのは、そこに理由があるのか?」
「うん?そういう難しいことは分かんねえけどさ」
 命が生まれる前の海って凄かったんだって、温度が二百度もあったんだって。遊馬は決して触れ得ぬその灼熱の海にさえ触れるような手つきでアストラルの身体の上をなぞる。
「お前はどこから生まれたんだろう」
 水色の身体、ターコイズの模様、額や各所に埋め込まれた深い海の底のような色。
「触ったことないけど、お前も水みたいな感じがするのにな」
 アストラルは口を噤んでいる。遊馬は勝手に喋り続ける。お前もアストラル世界の海で生まれたんなら、海の色はどんなだろう。青いとお前も水と混じっちゃいそうだ。知ってるか、火星の夕焼けは青いんだって。だから違う色の海かも知れないよな。赤…真っ赤じゃなくて、夕焼けの海みたいな色とか、緑とか? 川とか海の色も時々緑っぽく見えるもんな。透明な緑もきれいかもしれないぜ。温度だって違うかもな。冷たいかな、冷たすぎると凍っちゃうよな。
 アストラルが生まれた時の記憶を取り戻していることを、遊馬は知らない。アストラルは話そうとしたことがない。尋ねられたことがなかったのは理由だが、しかし今も敢えて話そうとは思わなかった。遊馬の描く海の中に自分が泳ぐのは心地良かった。
「あったかい海かもしれないな」
 根拠もなく言う遊馬の言葉にアストラルは頷いた。
「アストラルの世界、オレも見たい」
「ああ、遊馬」
「楽しいことがある世界」
 アストラル世界の海を泳ぐのだということを遊馬は言ったが、それは半分眠気に溶けてふにゃふにゃと揺らぐ。
「あすとらる」
「なんだ、遊馬」
「ぜったいに行こうな、やくそくだぜ…」
 アストラルは遊馬の上に寝そべり、彼にだけ聞こえる声で返事をした。遊馬の手はそれを抱こうとして、ぱたりと自分の腹の上に落ちる。
 遊馬が眠り込んでも、アストラルはしばらくそこから動かなかった。寝顔を見つめ、寝息を数え、彼の安息を感じようとしていた。あたたかい海、波の揺らぎのリズム、遊馬の寝息。アストラルは遊馬の胸の上に顔を伏せ、瞼を伏せて眠るふりをした。






「そらとぶひかり」