ボーイ・ミーツ・ガール




 夕方と呼ぶには少し早い日の中を歩く。最初はもう少し早足で歩いていたが、手の中の買い物の袋が重くてスピードが落ちた。後ろからついてくるアストラルも同じ速度で。隣を自走するオボミも遊馬の歩調に合わせる。二人と一体の道行きは、人通りの多くなってきた街の歩道を誰追い抜くでなく、追い抜かされるでなく機嫌よく進む。アストラルは見えないとしても遊馬とオボミが並んで行く姿は目をひいたので、大人であればそれなりに微笑ましく、同年代かそれ以下であればちょっとした羨ましさを含んで遠巻きにするのだった。かくて快適な道行きかな、というわけで。
 途中、偶然見知った顔に出会った。小鳥は女友達と買い物をしていて、先に気づいたのは小鳥じゃない。
 こんにちは九十九君、何してるの?買い物?
 ああ頼まれたんだよ。
 遊馬ったらどうせ寄り道してるんでしょ。と小鳥が割って入る。
 ちげーよ、寄り道なんかすっかよ、オレだって忙しいんだからさ。遊馬は重い包みを片手で抱え直し、手を振る。じゃーな小鳥。
 小鳥の返事は何だったろうか。オボミはマタネ、マタネと繰り返して手を振ったけれどもちょっとスピードアップしていて、遊馬はそれに追いつくのに軽く駆け足になる。
「速いよオボミ」
「ノロマ、ノロマ、ユウマノノロマ」
「何だと!」
 笑って遊馬はそれを追いかけた。
 信号待ちでキャッシーにも出会った。渡った所で彼女は右へ、遊馬は左へ曲がることになったから、彼女が、ゆ、遊馬…、と控え目に話しかけ、おー、キャットちゃん、と手を挙げて応えるだけで大して会話は進んでいない。多分あの小声で、お買い物…?と尋ねられ、ああ、とか返事をしただけだ。横断歩道を渡りきったところでキャッシーが立ち止まり、胸の前で小さく手を振る。
「またね、遊馬」
 ああ、また学校でな!と手を振って別れた。
 これだけでも偶然にしては人に会うと思ったのだが、とどめにその背中を見かけたのは神代凌牙で、このときは遊馬からその名前を呼んだ。
「シャーク!」
 凌牙は振り返る前から声で分かっていたのだろう、不機嫌そうな顔をしていた。
「今日は煙草吸ってないんだ」
「馬鹿か」
「いきなり馬鹿って何だよ!」
「日曜の昼間っから街中で吸うかよ、馬鹿」
 じゃあ日曜じゃなかったら、昼間じゃなかったら、街中じゃなかったら、と思う。確かに凌牙が煙草を吸うのを見かけるのはそういう場所ではないけれども。鼻をきかせると、かすかにあの苦く喉の奥をなぜる匂いがした。染みついているのだろうか。
 しばらく並んで歩こうとした。凌牙が多分嫌がって歩調を速める。遊馬がそれに追いつこうとすると、今度はオボミがスピードを上げて二人の間に割り込む。何度か凌牙の膝にぶつかったが、凌牙は不愉快そうにそれを見下ろしはするものの想像したような、例えば蹴飛ばすようなことはしなかった。そうだよな、と遊馬は一人で思った。シャークって本当はそういう奴じゃないんだ。
「じゃあな、シャーク」
 と歩道橋の前で手を振ったのは遊馬。凌牙は応えなかった。
 歩道橋のスロープを上りながらオボミがやけに「ユウマ、ユウマ」と呼びかけた。
「何だよ、きついのか?」
 遊馬は反対側に荷物を持ち直して、空いた手でオボミの手を握る。荷物を抱えていた手に、鉄でできたオボミの手はひやりと冷たく心地がよかった。
 そろそろ夕方の色を帯び始めたように見える、しかし日はまだ高い。家の前の通りまできて、遊馬はアストラルを振り向く。
「今日は静かだな」
「そうだろうか」
「いつもはアレは何だコレは何だってうるさいだろ」
 アストラルは顎に手をあて、言葉を選ぶ。
「君が忙しそうだったから」
「忙しい?」
 買い物して帰るだけだろ、と言うとアストラルは遊馬が今日街中で出会った人間の名前を挙げる。
「小鳥とキャッシーは、もっと君と話したがっていたようだった」
「…そうか?」
 向こうだって友達と来てたし、キャットちゃんは何か用事があったみたいだし、と言うとアストラルは小さく溜息をつく。
「何だよそれ」
「いいや」
 家への階段を上る遊馬は、また跳ねるようなステップを踏む。
「遊馬、君は早く家に帰りたかったのか?」
 アストラルはそう尋ねた。
「え?」
 遊馬は振り返り、ぽかんとして頷く。
「そうだけど」
「なぜ?」
「だってさ、オレも料理するんだってところお前に見せたいから」
 お前ちらし寿司見るの初めてだろ。ばあちゃんと一緒に作るんだ。
 遊馬は玄関のドアを引く前にもう一度荷物を持ち直す。重たい酢の瓶、その他色鮮やかな食材。
「食べられなくっても見るだけでキレイだからさ、作るとこ見てろよ」
「ユウマ、ユウマ」
 オボミがユウマの服の裾を引く。分かったよ慌てんなよ、と遊馬は玄関に引っ張り入れられる。オボミがくるりと振り向いた。そして今し方まで遊馬が見上げていた場所を見上げた。アストラルには視線が自分のそれと合うのを感じた。
 オボミの頭で揺れるリボン。
 遊馬が女性の心理に疎いのは今に始まった話ではない。
 アストラルは閉まろうとするドアから身体を滑り込ませた。すると、玄関の内側では遊馬がドアを押さえて待っていた。視線が合う。アストラルは微笑んだ。
「なに笑ってんだよ」
 言いながら遊馬も笑った。






一級フラグ建築士