接触願望




 触れ合えはしない。ただし、いつも傍にいる。今も並んでテレビを観ている。夜遅い時間のテレビを。デュエルのことは話さない。カードも既にケースの中にしまって鞄の中だ。
 予告が終わると、隣の空気がほどける。番組が終わって気が抜けたのだ。また来週のエスパーロビンまでこの時間はお預け。遊馬はテレビの電源を落として息をつく。まばたきをすると明かりのない部屋に唯一の光源の消えたせいで、真夜中の眼球が暗闇を貪っている。目が痛い。疲れた。ロビンのことは気にかかるけれども。
 目を瞑ったままぐったりと横になる。瞼の上に腕をのせると、ずしりとした重みが心地よい。瞼の裏には緑や赤の奇妙な模様が見える。ぱちぱちと爆ぜるそれは、銀河を覗き込んでいるかのようだ。
「眠ったのか」
 アストラルの声。
「寝てねーよ」
 遊馬は返事をしたが、目を開けもしなかったし起き上がりもしなかった。しかし不機嫌だった訳ではない。最近は気づき始めている。アストラルと一緒にテレビを観て、どうでもいいことを喋ってだらだらするこの空間が心地よいことに。
 アストラルがちょっとした感情を持つことが遊馬にとって少し嬉しく、喋ることに楽しみが見いだせるようになったこと。些細な何かが毎日少しずつの変化をもたらして、いつのまにかこんな空間を作り上げてしまった。
「遊馬、眠るのならいつもの場所に移動した方がいい」
「だから起きてるって」
 腕をどかし、瞼を開く。アストラルは隣に、テレビを観ていた時と同じポーズのまま座っている。
「…お前も目、開けたまま寝てたんじゃねーの?」
「眠った存在が意図的に外部に働きかけることはない」
 君たちがそうだ、とほっそりした指が遊馬を指さす。
「私という存在も、同様に」
 アストラルが眠る姿を見せることはほとんど、否、全くないと言っていい。眠らなくても平気なのか。それとも姿の消えている間にどこかで休息を取っているのか。もし疲労というものを知らない存在だとしたら。そのくせ、デュエルでその命さえ危うくなる存在。
「お前さあ」
 遊馬は寝転がったまま、折り曲げられたアストラルの足を指さす。
「伸ばせば、足」
「何故」
「楽な格好、すれば」
「私は今現在苦痛を感じていない」
「そういうんじゃなくて!」
 遊馬は自分の足をばたばたさせる。アストラルに何かを伝える時、それはひどく難しい。この超自然的存在とは最初から言葉も交わすことができて、デュエルの運命を共にさえするのに、何か根本的なものが違っている。
 ぷいと横を向こうとした遊馬の視界の端で、アストラルが膝を抱いていた腕をほどいた。遊馬は横目にそれを見た。アストラルはぺたんと足を伸ばし、ふっ、と息を吐いた。
「落ち着かないな」
 遊馬はちょっと笑って、足長え、ずるい、と言った。
「どうして私が狡猾だと?」
「そういう意味じゃねーよ」
 勢いよく上半身を起こし、アストラルの隣に並ぶ。
「でもオレ、成長期だし。多分これからでかくなるし」
 つま先をアストラルの方に傾ける。触れ合わない距離だが、そう遠くはない。
「お前の身長くらい、追い越すんじゃね?」
 すると何を考えてか、アストラルが不意に遊馬の方へつま先を傾けた。遊馬は思わず逃げた。足を引っ込めてしまった。
「あ…」
 ばつの悪さから声が出た。
 立ち上がると、眠るのか、とアストラルが尋ねた。
「うん」
 素直な返事が口をついて、それもまた妙な気分だった。
 ハンモックによじ上ろうと手をかけ、振り向くとアストラルはもう足を投げ出して座ってはいなくて、いつもの距離に浮いている。
「…おやすみ」
「その『挨拶』を私に使うのは初めてだな」
「だから何だよ、お前にだって言って悪いことってんじゃないだろ」
「ああ」
 ハンモックに横たわる。縄の軋む音。全身から力の抜ける安堵。
「おやすみ、遊馬」
 …アストラルがこの『挨拶』を使うのだって初めてのことなのだ。
 遊馬は瞼を閉じ、その上に腕をのせる。心地よい重みと瞼の裏に爆ぜる銀河。眠りはすぐそこまでやって来ている。この空間は心地よい。
「アストラル」
 目を瞑ったまま、遊馬は言った。
「おやすみ」
「…おやすみ、遊馬」
 アストラルの声は繰り返した。
 これから自分たちは毎晩この遣り取りを繰り返すのだろうか。別にそれは嫌ではない。せっかく傍にいるのに、こういう言葉のない方が気持ち悪い。だから構わないのだけれど…。
 おやすみと言うアストラルの声に遊馬はかすかな感情をかぎとる。アストラルはただ遊馬の言葉を反復したのではない。それが解っている。
 おやすみ。
 自分の声だって。
 眠る、もうすぐ意識が溶けて考えていることも夢に混ざってしまう。それなのに少し落ち着かないのは、おやすみ、と言ったアストラルが多分、今もそこに浮いているからで。
 眠れればいいのに。アストラルも眠ればいいのに。遊馬は眠りに溶けそうな意識の中で腕を伸ばす。それは多分もう夢の世界だったろうけれども、アストラルに向かって伸びて指先が瞼の上をなぞる。アストラルが瞼を閉じる。

 その想像のような夢のような光景は翌朝の遊馬の中には残っていない。その夜、自分の傍に浮遊していたアストラルが瞼を伏せていたことも知らない。ただハンモックから落ちた左腕が痺れている、それだけだ。






2011.8.4