NO SWEET NO KISS




 清掃中に更衣室でポッキーの空き箱が見つかったということで犯人捜しがあり、結果空き箱ひとつに対し犯人が一クラスで五人くらい挙がる結果に。しかもほとんど女子。授業中はほとんど鍵の中に入っているアストラルが珍しく背後にいて、そっと尋ねた。
「学校に持参禁止と決まっているものを、彼女たちは何故わざわざ持って来たのだ」
 発覚のリスクまで負って…、という呟きは目の前の光景がまるで高等裁判所の判決シーンかとも思わせる。遊馬はちょっとうんざりしながら、両手の人差し指を立てる。
「…それはどういう意味だ、遊馬」
 しかし先生――右京先生ならもっとお説教の時間は短かったのだろうが、今日は見つかったタイミングが悪かった。学年主任の先生のお説教は終わらず、遊馬でも流石にここでの私語が命取りだと分かっている。
 ちらりと背後に視線をやるとアストラルが遊馬の見えやすいように隣にやってきた。遊馬は両方の人差し指でそれぞれ「11」を描く。アストラルはその指の動きを見、遊馬を見た。ゼスチュアは通じていないらしい。
 遊馬は少し右手を伸ばしてアストラルのほんの少し開いた唇に人差し指を突っ込んだ。たとえそれが接触を生まなくても、急なことでアストラルは驚いたらしく口が開く。それから唇ではなく、歯を立てて遊馬の人差し指を噛んだ。
 その瞬間、キスするなら今だと思って。教室だということも、先生の説教中だということも分かっていたけれども、どうしてもどうしてもキスがしたくて。
 遊馬は小さく、隣にいる小鳥にもばれないように小さく手招きをする。アストラルは机と前の席の間を見、軽く首を振って視界から消えた。
 ハクジョーモノ。ドンカン。遊馬は心の中で文句を言う。
「…薄情者?」
 突然聞こえた声は頭上から降ってきて、視線を上げると上から逆さまになったアストラルが降りてくる。その顔が目の前にある。
「鈍感?」
 君の考えていることは分かる、と心の中に声が響いて、さかさまの唇が軽く触れるふりをする。
 なんだよ、心の声だだ漏れだったのかよ、と今度こそ話しかけるつもりで心の声を使うと、アストラルはやっぱり逆さまのまま少し微笑んで
「聞こえなくても、君の考えていることは君の目を見れば分かる」
 と言った。
「もっぺん」
 リスクを冒して遊馬は呟いた。アストラルは遊馬の望みを叶えるべく、手を伸ばしてその頬に触れるふりをし、ゆっくりと唇を近づけた。
 まったく、禁止されたものは甘美だ。学校にポッキーを持ち込んだ女子を笑えない。この後は放課後だから、どこか人のいない場所はあったっけ。屋上はもう寒い。準備室は鍵を持たない生徒は入れない。体育館裏?だから寒いって。あ、屋上に行く階段のすっごい上の方、屋上のドアの前のちょっとだけ広いスペース。でもあそこは下の段から丸見えだ。いや誰かが来る前に…。
 ぐるぐる思考を回転させていると、アストラルの手が軽く遊馬の額を叩くふりをした。
「ドスケベ」
 小さく呟いてアストラルは姿を消した。ぽかんとして天井を見上げたが、そこにもいない。チャイムが鳴った。長いお説教が終わった。教室が一気にざわつく。
「ぜってーしてやる」
 遊馬は呟いた。
 なに?と隣で小鳥が首を傾げた。

 放課後の空は柔らかい曇りで、風はないが少し寒い。遊馬は屋上に行くのを諦めて、校舎の最上階をふらふらと彷徨う。吹奏楽の練習が聞こえてくるので音楽室はダメだ。美術室も覗いたが、意外と人がいた。美術部なんかあったんだ、と思いながらトルソを描く何人もの後ろ姿を眺める。テーブルの上に載った真っ白なトルソは、石膏で作られているのに皮膚の下に筋肉があり骨があり内臓があるのが分かる気がする。
 薄水色の身体、触れるようになっても果たしてその中に肉があって骨があって内臓があるのかよく分からない。でもこの掌に滑らかに触れ、吸いつく肌。自分を抱きしめてくる体温の低い腕…。
 振り向いたがアストラルはいなかった。あれっきり鍵の中に入ってしまったらしい。
「アストラル」
 小声で呼ぶが出てこない。確かにここではキスもできない。
 廊下の突き当たりまで走り、非常階段の扉から外へ飛び出した。外付けの螺旋階段には地上より強い風が吹きつけ、鳥肌が立った。
「アストラル!」
 鍵に向かって強めに呼ぶと、アストラルは少し離れた中空に姿を現す。
「…なんだね」
「どうしてそんなに離れてるんだよ」
「まず私を呼び出した理由から聞こうか」
「理由がなきゃ呼んじゃいけねーのかよ」
「理由はないのか」
「ある」
 キスしたい、と言うとアストラルは溜息をついた。
「…ここで?」
「今してーの、今すぐ」
「地上からも丸見えだ。勿論、君の姿だけ」
「気にしない!」
 すると冷たい表情のままアストラルが近づいてくる。遊馬は気にせず手を伸ばそうとしたが、アストラルはぎりぎり指先が掠めることのできない距離で遊馬を見下ろした。
「君はもっと色々なことを気にするべきだ」
「色々気にしてたらお前と付き合ってらんねーよ。こないだまでオレ、幽霊に話しかける頭おかしいやつって思われてたんだからな」
「では言い方を変えよう節操を持つべきだ」
「なにそれ」
 アストラルが再び溜息をついたので、知ってるよ言葉くらい、と遊馬は非常階段の手すりにもたれかかる。
「でもさ、そういうこと言うんならお前の節操ってやつはどうなんだよ。教室でしてくれたじゃん」
「あれは君が望んだからだ」
「オレがしたいって思ったんなら節操は関係ないってことなんだろ」
「遊馬」
 諭すように呼ぶとアストラルはまた泳ぐようなポーズで遊馬と視線の高さを合わせた。
「私の心に君の望みが届いた。私はそれを叶えようと思い、そうしたのだ」
 真剣な声で言われると、ちょっと言葉に詰まる。
「…で?」
「君も私の望みを叶えてくれるのがフェアだと思う」
「キス、したくねーの」
「そうとは言っていないだろう」
 アストラルは少し表情を穏やかにし、遊馬の唇の先に人差し指を突きつけた。
「私は君の家のあの屋根裏部屋で君が選んでくれた絨毯の上でキスをしてほしいのだ」
 一瞬のうちに頭の中には屋根裏部屋が広がって毛足の長い絨毯が広がってその上に横たわったアストラルの肢体を思い出し、遊馬は胸の中でうわ…!と声を上げるが実際には口がぽかんと開くだけだ。アストラルはその大きく開いた口の中にそっと自分の人差し指を突っ込む。
「おま…」
 ようやく声を出すと唇がアストラルの指をすり抜けて、遊馬はちょっと身体を引いて――まだ触れないとしても――その指を噛まないようにする。
「お前、それ……オレ絶対キス以上するぞ?」
「当然だろう」
 しれっと答えるアストラルの表情に羞恥はなくて、遊馬が逆に恥ずかしくなる。
 節操はどうしたんだよ。オレはキスしたいってだけだったけど、お前はそんなことまで考えてたのかよ。どっちがドスケベだよ、どっちが!
「…いいの?」
「私が嫌だと言ったことがあるか?」
 さっきここでキスするのは嫌だって言ったじゃんと思ったが、実際には言っていない。意味合いは似ていたが。
「私の望みは叶えてくれるのか、遊馬?」
 遊馬は中空へ向かって腕を伸ばす。キスをするには身を乗り出さなくてはならない。しかし両腕を伸ばしてしまってそれはできなかったから、せめてその両手で撫でるようにアストラルの頬に触れるふりをした。
「当たり前だろ…!」
 ならば早く鞄を拾って帰宅するのだ、と促され、なんか今もう立っちゃいそうなんだけどと思いながら遊馬は螺旋階段を駆け下りた。
 十一月の空気の冷たさはもう感じなかった。身体の内側から湧き起こる熱は今にも暴走しそうで、走る足は止まらない。スピードは上がる一方だ。アストラルはすいすいと泳ぐように遊馬の隣について飛ぶ。真面目な横顔を見て、くそう、この真面目な顔であんなこと言うからさあ!と遊馬は何か言いたくなるが、上手く言葉にならないそれは家についてからの絨毯選びにぶつけることにした。
 めちゃめちゃ優しくしちゃうからな、覚悟しろよアストラル!






けろこさんはぴば。