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暗闇で抱いて 世界は静かだ。 全てが始まろうとしている。そのための準備は整ってしまった。 この手に力を得た。百枚のカード。剣はそろった。刀はそろった。矛はそろった。槍はそろった。戦斧はそろった。弓矢はそろった。鉄槌はそろった。銃も炎もこの手の中に全てそろった。 戦の準備ではない。始まろうとしている全てを終わらせるための力だ。遊馬はそれを終わらせる。終わらせたその向こうに世界を導かなければならない。 光の中に膝をつく。その背へ濃い影が長く伸びる。 遊馬は瞼を開き、眩しい光を見据える。 「アストラル」 失われた代償の名を呼ぶ。愛しい半身の名。 「お前の見ていた景色が見えるよ」 懐かしむようにそばめた目で薄く笑った。 降り注ぎ続けた光が費えてしまうまで戦い続ける。終止符を打たれた世界で、闇を破り全ての混沌を光に変えるまで。 もはや死地でしかなこの地上で。 * 眠りたいのは身体ではなく心だ。 月明かりの下、リビングの床にうつぶせになっている。頭がごとりと重い。顔の横にはタブレットのボトルが転がっている。蓋は廊下で勢いまかせに開けたから、どこかにやってしまった。だから手掴みでざらざら食べたその残りは、横になったボトルの口から散乱している。 甘い、薄く水色に着色された錠剤。多分、睡眠薬だったはずだ。明里がそれを飲んでいるのを、昔見たことがある。真夜中の台所で、味のついていない炭酸水と一緒に飲み下していた。ボトルは戸棚の奥に隠されていた。だから多分そうだろう。適量など知らない、分からない、ラベルの注意書きは英語。ひとつまみ口に入れると意外といけたので、思わず菓子でも食うように飲んだ。バリバリ音を立てて咀嚼し、確かに水がほしくなったので冷蔵庫の扉を開けた。味のない炭酸水が冷えている。瓶もグラスも自分で用意した。オボミはリビングの隅で充電中だ。自閉モードのノイズが時折聞こえる。 炭酸水と錠剤を交互に口に入れては、半分ほど残っていたタブレットのほとんどを食べてしまった。しかし一向に眠気が襲ってこない。 急に疲れたのは心だった。身体がそれに折れて床に倒れ伏したが、それ以上の脱力と眠気が襲ってくる気配もなかった。昔は何も考えずとも眠りに落ちるなど一瞬だったのに。 遠くを砂が流れるようなノイズが消え、小さな起動音。視界の端を光がよぎる。 「ピピ、ピ、ユウマ」 「おはよう、オボミ」 「コンバンハ。ヨル、コンバンハ」 「そうだな…」 オボミはユウマの傍に近寄ると、顔を回転させる。 「ユウマ? オヤスミ?」 「眠れないんだ…」 視線の先には錠剤が転がっている。遊馬はそれを一粒拾い上げ、軽くかざした。 「オボミ、これの成分わかる?」 「ピピ、カイセキ」 鉄の爪が遊馬からタブレットを受け取り、光線を当てたりする。結果は意外と早くでた。 「デンプン、ブドウトウ、ジュウタンサンソーダ」 「…ん?」 「オカシ、オカシ、ラムネ」 笑顔がくるくる回る。 ちょっと呆気にとられていたが、その一粒を口の中に入れた。清涼感と共に甘さが溶けてゆく。 「…なぁんだ」 仰向けになり、遊馬は笑った。 「なんだ、そっか」 「ソウダソウダ」 意味が解っているのかオボミも囃し立てる。遊馬の笑いはすぐ苦笑に変わってしまったが。 「なんだよ…疲れたじゃないか」 口をついて出た言葉こそ、辿り着きたかったところで、遊馬はまぶたを閉じる。オボミがユウマ、オヤスミと繰り返しながら枕代わりのクッションや、肩にかけるためのシーツを持って来てくれた。これで少し眠れそうだ。遊馬は天井に向かい手を伸ばす。 「おやすみ」 アストラルという名前は胸の中で呟いた。甘さの余韻が彼の返事のように脳を優しく撫でる。意識もそこに溶ける。3。2。カウントさえ最後まで行えない急な眠り。 「オヤスミ」 呟いたオボミがガーディアンのように傍らに寄り添い、眠る少年の身体を見守った。 * プラスチックのコップに溢れる水。そこへ氷を落とし込む。また水が溢れる。遊馬はそれさえ舐めてすする。 ひどく喉が渇いている。 リビングの割れたステンドグラスから強い西日が射し込む。後でボール紙で塞がなければならない。しかしその前に水だ。喉が渇いて仕方がない。口腔が、喉が軋みを上げる。今にもひび割れ、そこから裂けて自分の身体はバラバラの粉々に砕けてしまうのではないかと思うほど。西日に焼かれた肉があっという間に溶けて、残されるのは乾いた骨だけだ。永遠に癒やされることがない。だから早く水を飲まなければ。 しかし唇から数インチの距離を保ったままコップは動かない。黒い触手が腕を拘束する。しかし今の遊馬には痛みを感じるのも億劫だ。鈍痛だろうが疼痛だろうがそんなものは二の次だ!水が飲みたい。このままでは西日に焼かれて干涸らびる。ふと死のイメージが瞼の裏に浮かび、こんな光景だったろうか、と唐突なそれに遊馬は気が遠くなる。今日は死ぬ予定ではなかった…! 藻掻く指先が何かを強く握りしめ、ぬるい空気を裂く硬い音と膝を濡らす何か。遊馬は薄く瞼を開く。プラスチックのコップが割れ、歪んだ破片が掌を貫いている。そこから滴るのは飲みたくてたまらなかった水、と血。傷口から流れ落ち、西日に赤く輝く自分の血だ。 「勘弁してくれ」 疲れ切った掠れ声で遊馬は科白を吐いた。嗄れたそれは渇いた喉をぞろりと撫で上げ、自分の口から漏らすのさえ不快だ。 クスクスと潜むようだった笑いは今や哄笑となり色づいた窓ガラスを震わせていた。 喉を触手が撫でる。 「喉が渇いたのか、遊馬」 わざと引き伸ばすように呼ぶ声。 今や全身がその黒い触手に捕らわれていた。もはや身動きもままならない。ナンバーズ96の声は頭上から雷鳴のように降る。 「喉が、渇いたと言うのか?遊馬?」 ああそうだよ喉が渇いて死にそうだよオレは、と胸の中でだけ呟いて遊馬はうらめしそうに掌から滴る水と血を見つめる。 嗤い声が耳を撫でる。 「そうか、遊馬は喉が渇いているのか」 ブラック・ミストを分身と呼ぶ、自我を持つナンバーズ。破壊の衝動と手法と快感原則を持つ特異な存在。欲望、情動を持つということは、満たされない感覚、飢え餓えるとはどういうことかを理解している。 しかし 「喉が渇く?」 喉が渇くという感覚を理解できない、と言う。 自己申告であるから嘘をついているのかもしれない。嘘をつくことで何かメリットがあるとも思えないが、ナンバーズ96のそのあたりの快感原則は刹那的で反射的だ。そして遊馬が水を飲もうとすると、こうやって邪魔をするのだ。 遊馬は手を開いてプラスチックのかけらを落とす。床の上に転がる軽い破片、ゴミのかけら。氷ももうすっかり溶けてしまっただろう。ここはぬるい。暑い。ぞろりと肌を這う何かが唇を撫でる。遊馬の唇は薄く開いて呼吸をしている。それを塞ぐように黒い触手は口の中に潜り込む。やめろという言葉も出ない。 噛み切ろうとすると、それは舌の上でどろりと溶けた。まるで水のよう。しかし質量が、息苦しいほどの密度が。溶けたそれは重たくうねりながら遊馬の喉の奥に流れ込む。喉が渇いている。喉が渇いている。遊馬はむせながらそれを飲み込む。飲み込んでもまだそれは流れ込んでくる。喉の渇きはちっとも癒やされない。しかし遊馬はそれを飲み込み続ける。 既に胃のはち切れんばかりに溜まったそれは食道をせり上がる。背中から射す西日が直接内臓を焼くような熱さ。遊馬の身体は前に傾く。黒い腕はそれを支えようとしない。半ば転げるように床に倒れ、遊馬は不快な音とともに嘔吐する。しかし吐き出されるのは黒い液体ではなく胃液ばかりだ。 笑い声はなじるように降った。いたずらに蟻を踏みつぶすような傲慢さと、鷹揚さえ覗いた。 遊馬はせり上がってくるものを吐き出し尽くし、床の上にごろりと転がる。饐えた匂い。ついさっきまで自分の身体の一部だったものが、今床の上で腐っていこうとしている。口元を拭う。掌は力なく顔を撫でる。涙もこぼれていることに気づいた。水、水、水が出てゆく。 瞼は開いているのに目の前が暗くなる。目の水分も使い切ってしまったのだろうか。まばたきをした次の瞬間には、それを開けているのか閉じているのかも分からなくなる。閉じたままくっついてしまったのか開いたものが渇いた眼球に貼り付いたか。 遊馬、と声がする。乾いた肌の上を振動が伝わる。冷たく細い指が身体を撫でる。声に乞うように仰向き口を開くと、冷たい指が唇を押し開く。何か重たいものを遊馬は飲み下す。口から身体の中へ飲み込んでいるはずなのに、身体が水の中に溺れるような感じだ。身体が重い、指先まで。沈む、沈んで落ちる。 アストラル…、と黒いプールの中で呟く。口からは泡の一つも漏れない。音は響かず、舌の上からまた喉の奥へ飲み込まれる。 クソ。 その瞬間苛立ちが目を覚まさせる。 名前もついていない存在のくせに。番号で呼ばれるだけの記憶のくせに。ブラック・ミストだってお前の名前じゃないんだ、名無しの悪魔め。 「名前が必要か?」 闇の中から伸ばされた手が遊馬の顔を持ち上げ、ニヤニヤ笑う金色の瞳に近づける。 「もうこの地上に生きて動くものはオレとお前しかいない」 誰と彼を分ける必要がある?と金の瞳漆黒の瞳は笑うが、遊馬はそこに唾を吐きかける。 「自惚れんなよ、お前を人間扱いしたことは一度もないぜ?」 「当然だ、貴様らの言う神にも等しいのに同列に並べられては困る」 そうだ、お前なんかただのカードだ…。そう言おうとした舌が凍りついた。身体の内側を何かが這っている。嘔吐の直前の感触に似ているがそうではない。息が苦しい。嗄れた声を上げると、黒い指が舌の上を押さえた。それは喉の奥を這うそれと溶け合い、唇の端から溢れてこぼれだした。 遊馬は相手を睨みつける。しかし悪口を投げつけるための名前さえないと、さっき自分が言ったばかりなのだ。臓を腑を黒い液体は撫で上げ満たす。 「喉が渇いているのか、遊馬」 ナンバーズ96は哀れむような微笑みを浮かべ、遊馬の頬を撫でる。 「オレを飲み込め、オレをお前の一部にしろ。そうやって血肉に溶け合えば、オレとお前も一つになれるだろう?」 唇を塞がれるが、とっくに息はできなくなっている。キスの感触さえ分からない。ただ自分の中を満たす黒い水はひどく震えた。 声が出ないかわりに涙が出た。せっかく身体の中に残っていた水も流れ出てゆく。こうして干涸らびた袋だけが残る。骨はとっくに溶けてしまった。西日の下で、饐えた匂いだけを残して、オレはいなくなる…。 目覚めた時、遊馬はまだリビングの床の上に倒れていた。割れたステンドグラスから冷たい夜気が這入り込んでいた。夕暮れはもう気配もない。真夜中に近い闇がリビングを満たしていた。 遊馬は身体を震わせる。寒い、ひどく寒い。がたがたと震え、鳥肌の立つ両腕を抱きしめる。濡れた冷たさが掌に触れた。遊馬の身体も、リビングの床もびしょ濡れだった。屋内に雨でも降ったかのように窓も床も遊馬も濡れていた。遊馬は口の中に露のように溜まった水を飲み干す。涼しげな味だった。 ステンドグラスの真下、光を背に一番闇の濃い場所に蹲る気配があった。遊馬は身体を起こし、黒い塊を見つめた。それは膝を抱えて俯いていた。 億劫ではあった。しかし渇きは癒え、だるいながらも自分の両腕はなんとか動いたので、それを伸ばしてやるしかなかった。両手で抱えると、それは抗いもせず体重を預けた。目覚めたばかりで力の入らない遊馬は、それを抱えたまま後ろに倒れ込む。 「別に破って捨てたりしねえよ」 疲れた声で言うと、なんとも心細げな声が自分の名前を呼んだ。呼ぶその顔は決して上げられず胸に押しつけられたままだが。 「お前のこと、好きでもねえけどさ」 遊馬は溜息をつき、ナンバーズ96の身体をゆるく抱いた。優しさではない、ただ脱力しただけだった。 * 「あれ」 呟いた声さえ不明瞭だ。曇った鏡の中に大きく開けた口が映っている。どうした、と顔を出しかけたナンバーズ96を皇の鍵を握った拳で殴って粉々にし、遊馬はもう一度落ち着いて鏡を覗き込む。 「べ……」 舌の真ん中に穴が空いている。小さくはない。人差し指がするりと通り抜ける。それでもまだ余裕のある程度の穴。 「何これ」 発音も若干不明瞭だ。空気が抜ける。穴が空くようなものでも食べたろうか。まさか、そんなものが存在するはずがない…。いや、それはこの世界だけを考えてのことか。 絆創膏を探して戸棚を漁り、舌の上だ、とその無意味さに気づく。洗面台は散らかっている。包帯をすれば…、そもそもこの穴は塞がなくてはならないのだろうか。洗面台の明るい電気の下で、散らかったタオルやシャンプーのストックや剃刀や石鹸に囲まれてぼんやりしていると、性懲りもなく黒い姿が顔を出す。 「面白いことになっているな」 頬を掴まれ、こいつのせいか、と睨みつける。 「オレの仕業なら、もっと面白いことをするだろうさ」 奴は唇を歪めて笑い、しかし、と言葉を継いだ。 「これから面白いことも出来そうだ。そこに紐でも通してやろうか」 まるで家畜のように、とナンバーズ96はその黒い指先を遊馬の舌に伸ばす。 その瞬間。あ、という声さえ出なかった。 黒い指が触れた途端、アイスクリームが溶けたかのような感触が舌の上を滑り落ち、悲鳴と共にナンバーズ96の姿が消える。遊馬は思わず、舌の上に残った味を飲み込んだ。 「…うわ」 遊馬はもう一度鏡を覗き込んだ。 「なんだ、ブラックホールか」 笑顔になり、もう一度舌を出す。 デッキケースを見るとブラック・ミストのカードはあるので、心配はしない。これからどんなものを飲み込めるだろう。飲み込んだものはもう一度取り出すことが出来るんだろうか。 「ナンバーズ96」 呼ぶと、怒り心頭の悲鳴が穴の中から微かに聞こえてきて、遊馬は笑って「黙れ」と言った。 * どこへも行く場所がない、と歌う声が聞こえて誰が歌っているのかと思ったらオボミが音楽データを再生しているらしい。音が割れているから古いデータなのだろうか。リビングと言うよりサンルームと呼ぶ方が相応しいここでうたた寝なんかしていたから、夢でも見たのかと一瞬現実の境を忘れた。 オボミはその鋭い鉄の爪で器用に洋服を畳んでいる。ステンドグラス越しの月光に爪は冴え冴えと光るが、積み上がる洋服の山はどれもふかふかとあたたかそうだ。 そうか、月が出ているのかと気がついて、ソファから身体を起こした。色のついた分厚いガラスに濾された光は優しく瞼の上を撫でる。 「それ、何の歌?」 尋ねるが、オボミはデータの再生を止めず答えない。これが彼女にとって歌うということなのかもしれない。そして機械の彼女にもそれが心地良いのかもしれない。 歌はもうサビの部分なのだろう。似たようなフレーズを繰り返す。しかし遊馬には歌い出しのワンフレーズが今も聞こえる。何処へも行く場所がない。行くための場所は何処にもない。何処でもない。簡単に行ける場所じゃ、ない? 英語は今でも苦手だ。苦手だからって不便をする世界でもないけれど。 間奏を挟んで、また繰り返されるフレーズ。夏の君のある日を探している、いっそ自分のものにしないでって思う。 「そうだよ、お前の記憶もお前の身体も、いっそもうお前のものじゃなければって思ったのさ」 遊馬は独り言を言った。 「お前の心はとっくにオレのものだったんだもん」 歌声の余韻の後は多分ギターと、多分ハーモニカの音。よく分からない。オボミは機械だけど、歌おうと思えば楽器の音だって歌えるんだ。 遊馬はわざとたたまれた洗濯物の山にダイブし、それを崩した。オボミは歌を繰り返し、また最初から洋服をたたみ始める。日向の匂いの残る洗濯物に包まれて、遊馬はおぼろげな鼻歌を歌う。何処へも行く必要はない、夏のある日のお前は永遠にオレのものだから、アストラル。 * 世界は静かだ。夜さえ白い。崩れ落ちたビルは月の光を反射させ、コンクリートの砕けた砂が夜風に吹かれて舞い上がる。 遊馬はようやく作り上げたそれを紐でくくってベルトに引っかけ、急な傾斜の屋根を登る。手伝ってやろうか、とニヤニヤ笑いの声が聞こえたが無視だ。するとそいつは寂しいのか後ろからついてくる。先だって行かないところが、まあ可愛くなったのかもしれない。お前ってそんな性格じゃないだろ、と苦笑する。 てっぺんに到着するとすっかり空の広くなったハートランドシティの大きな満月に照らされているのが見えた。崩れたビルのジャングル、生き物の姿のない砂漠、その向こうに静まりかえった海が広がっている。 かつてアストラルとこの屋根に登った時、自分たちは空ばかりを見ていた。そこに輝く星の数を数え、名前を教え、彼の故郷を探した。今宵は月の光が強すぎるせいで星を眺めるに最適とは言えなかったが、遊馬は綺麗な夜空だと思った。探せば、その輝きの中にあの姿を見つけ出せるような、そんな夢見がちな高揚さえ覚えるほど。 アストラルのことを思い出すのは夜空のせいばかりではない。遊馬はベルトにくくりつけていたそれを両手に取る。ペーパークラフトの飛行船。鍵の中でみたあれにはプロペラはついてなかったけど、と動力になるプロペラを回す。指先に感じる抵抗で、内部でゴム紐が巻かれているのが分かる。 「96」 呼ぶと、それは返事をせず自分の傍らに浮いた。 「お前も見たの、飛行船」 ナンバーズ96は黙っている。遊馬は気にせずゴム紐を巻き続け、抵抗が強くなったところで指を止めた。 両手を離すと、それはふわりと夜空に舞い上がった。トンダ、トンダ、と電子的な声がする。庭からオボミが見上げている。そして音声とは違う連続した電子音。写真を撮ってくれているのかもしれない。遊馬はピースサインをしてオボミを見下ろす。 「お前も写ってるぜ?」 「くだらん」 「強がんなよ」 紙の飛行船は九十九邸の上空を悠々と旋回する。 遊馬はちらりとナンバーズ96を見上げた。そいつは珍しく仏頂面をして自分を見下ろしていた。しょうのない奴、遊馬は半分苦笑に近い笑みを向けた。 「お前も乗せてやるよ」 「それは有り難いな」 「嘘じゃねえって。お前がいないとパズルは完成しないんだしさ」 プロペラの回転が遅くなった飛行船はゆっくりと高度を下げる。 「ああ…」 残念そうな声を上げると、不意にナンバーズ96が腕を長く伸ばし飛行船の尻を弾いた。飛行船は進路を変え、砂漠の向こうを目指して飛んで行く。遊馬はもう一度声を上げる。 「あれ作るの三ヶ月かかったんだぜ?」 「また作れ。今度は落ちない飛行船を」 「勝手なこと言ってくれるよな…」 ユウマ、ネルジカン!と庭から声が上がる。オボミがくるくると顔を回転させている。 「姉ちゃんみたい」 遊馬は笑って屋根から下りようとする。不意に足下が浮いて、変な声を上げると、情けないな、と笑う声。 「お前…」 ナンバーズ96の黒い触手が遊馬の身体を支え、そっと庭に下ろす。いつかは結構な高さから落とされたな、と遊馬は面白くない記憶を思い出した。オボミが近づいてきて、ネルジカン、と背中を押す。 「お前も充電しなきゃな」 頭を撫でると、顔が回転して笑顔に変わった。 玄関を開けた遊馬は夜空を見上げる。眩しい月明かりを背に、その姿は黒く浮かび上がる。 「お前も来いよ」 声をかけるとその影はちょっと震えた。だから遊馬は笑いかけてやった。黒い身体は夜空を滑り落ち、遊馬の隣に並ぶ。 「遊馬」 頬に冷たい唇が触れた。 「…なんだよ急に」 しかしナンバーズ96は答えず、さっさと家の中に入ってしまう。 「ドウシタ?ユウマ?」 「なに?」 「ユウマ、エガオ」 冗談だろう、おい。 「見間違いだろ」 「ワタシノメハ、セイカク。ユウマハ、エガオ」 「うるさいな、ほら、さっさと入れよ」 今度は遊馬がオボミの背中を押した。 玄関の扉が閉じる瞬間遊馬は振り向いて、細い隙間に夜の景色と星降る夜空を見た。その時は、自分でも分かる笑みが浮かんでいた。
冒頭は「スカルマン」のオマージュ
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