旦那様はアシッド・ゴーレム






第1話

 トロン一家との戦いは熾烈を極め、とうとう天城カイトは遊馬を庇ってそのライフを0にしたのだった。
 立ち上る土煙、砕け散るフォトンの青白い光。
 息も絶え絶えのカイトに遊馬は駆け寄る。
「カイト! おいしっかりしろよカイト!」
「遊馬か…」
 遊馬の腕の中でカイトは自分をあざけるように笑う。
「ふ…俺としたことが無様なところを見せたな」
 余裕ぶって見せるがフォトンの力を許容以上に使った上にダメージの現実化はカイトの命をそのぎりぎりまで抉り取ってしまったのだ。
「目を開けるんだ!」
「遊馬…お前に頼みがある。弟を…ハルトを…」
「バカっ弱気になるんじゃねえよ!」
「必ずハルトを助けてくれ…そのために…これを…託す…」
 震えるカイトの手から手渡される一枚のカード。遊馬はそれをおそるおそる受け取る。
「…ってアシッド・ゴーレムじゃんか!シャークから聞いたよ!嫌がらせかよ!」
 ぺいっとカードを放り出すと背後で、私の記憶のピース!という叫びが遠ざかる。風に煽られて飛んでいくそれをアストラルが追いかけたらしい。
「…分かった、ハルトは必ずオレが助け出すぜ!」
「ありがとう…」
 カイトが初めて口にする感謝の言葉は吐血まじりだった。
「ギャラクシーアイズはよく働いてくれた…」
「ああ、凄いモンスターだぜ」
 カイトの手が銀河眼光子竜のカードを手に取る。彼はエースモンスターであるそれを両手でしっかり持った。遊馬は期待を込めてそのカードを見つめる。
「こいつは…」
「うん!」
「俺が連れていく」
 ビリッ
「カイトォォォォォ!」
 その両手で引き裂かれたカードは風に舞いフォトンの光に包まれて青白く燃え上がった。
「カイト…」
 遊馬は涙目でカイトを見下ろす。
「泣くな遊馬…お前に涙は似合わん。お前はなにがあろうと笑って…前へ…進め……」
 伝えるべきことは伝えたとばかりにがっくりと折れるカイトの首。その瞳はもうなにも映してはいない。
「カイトーーーー!」
 遊馬の叫び声はハートランドシティの夜空に響き渡り、ナンバーズ30のカードをようやく取り戻したアストラルをびくっとさせたのだった。





第2話

 エクストラデッキの中はざわついていた。一度に大量のナンバーズがやって来たということもある。またその面子も問題であった。
 ナンバーズ83、みんなのオカンと呼ばれているかは知らないがギャラクシー・クィーンは怯えるベビー・トラゴンを胸に抱き溜息をついた。これまでも問題のあるナンバーズはいた。しかし皇の鍵という空間の中でそれぞれの持つ役割や身の上を話し合ううち、おおよそは本体に対する思いも含め仲間意識を強めてきたのである。
 しかし今度は簡単にはいかないようだった。
 ナンバーズ30。
 まず意志の疎通から難しい。大きな口はあるが、うなり声以外ほとんど言葉を発しない。
 その上、前の持ち主である天城カイトが「その忌まわしき力」と呼んだとおり、アシッド・ゴーレムは何もかもを溶かし尽くす。それは同じナンバーズである彼らとて例外ではなかった。うかつに触れることも、近寄ることさえできない。酸性の液体は常にアシッド・ゴーレムの身体から漏れ出しているのだ。
「どうしましょう…」
 ギャラクシー・クィーンは後ろを振り向いた。最初の頃からこのデッキを見つめてきた仲間であるホープやテラ・バイトも黙り込んでいる。リバイス・ドラゴンは元よりクールな性格だが、しかしその彼でさえ無視にしろ静観にしろ扱いあぐねる状況らしい。
 こんな時ムズムズリズムはよくギターを弾いて場を和ませてくれるのだが、ナンバーズ勢揃いの中、彼は隠れてしまっているらしかった。
 もう、誰も彼も…!
 そうは思うもののギャラクシー・クィーンにもいい手立てがない。
 煮詰まっている。
 膠着状態である。
 本体であるアストラルならば「どうにもならない」と言って飛んでいってしまいそうな空気の中、それを打ち破る甲高い笑い声が響いた。
 途端にギャラクシー・クィーンを筆頭に数名が顔をしかめる。
 あいつだ。
「最強のナンバーズたるこのオレが出てきてやったと思えば、雁首そろえてどいつもこいつも不景気な面を!」
 本体と似た姿形。しかしその色は邪悪な漆黒。本人も曰く漆黒の闇からの使者、ナンバーズ96だ。彼は滅多にブラック・ミストの姿では出てこない。だいたいナンバーズ96のことは笑い声も言動もイラッとするエクシーズモンスターの面々だが、その姿が余計にナンバーズたちをイラッとさせる。
「なんだ新顔か」
 ナンバーズ96は特に考えもなしにアシッド・ゴーレムに近づく。ギャラクシー・クィーンもいちいち忠告することはしない。まあ指先くらい一度ジュッと溶けた方がいいだろう。
 案の定、不細工な面をしてるな挨拶をしろだの言いながら近づきジュッと音を立てて溶けた。
 しかしそれはギャラクシー・クィーンが思ったような指先だけの話ではなく、上からぼとりと落ちてきた大きな雫はナンバーズ96の身体の半分も溶かしてしまったのだ。
 本体と同じ姿がまさかの無残なことになり、ナンバーズたちはいっせいに悲鳴を上げる。
「なにをする貴様!」
 叫びとともにナンバーズ96の身体は黒い霧が集まって元の形に再生する。
 背後では思わず安堵の溜息が漏れた。
「いい度胸をしているな、貴様にも味わわせてやろうか漆黒の闇のおそろし…」
 科白も途中でアシッド・ゴーレムの手がナンバーズ96の黒い身体を掴む。
「ぎゃあああああ!」
 ジュワジュワと音を立てて溶けながらも黒い霧は身体を再生させ、ナンバーズ96はやかましい悪罵をアシッド・ゴーレムに向けて吐き続ける。
「あれは…敵意でござろうか…?」
 ギャラクシー・クィーンの背後からクリムゾン・シャドーがこっそりと囁く。
「きゃつは我ら全員をあのように破滅に導く気では」
「待ちなさい」
 ギャラクシー・クィーンはクリムゾン・シャドーの言葉を遮った。
 ナンバーズ96のギャーギャー叫ぶ声が邪魔をするが、アシッド・ゴーレムが何かを言おうとしていた。その口が開き、聞こえづらいが低い声が何かを繰り返している。
「ナンバーズ96!」
 ギャラクシー・クィーンが呼びかける。
「少し静かになさい、彼は何かを…」
「誰に向かって口をきいている、このバ…」
 ババアと最後まで言わさぬうちにホープ剣スラッシュとクリムゾン・シャドーの刀とショック・ルーラーの角とギャラクシー・クィーン本人のロッドがナンバーズ96に襲いかかる。
 そしてそのどれもがちょっとずつ溶けた。
 溶けた剣や刀や角やロッドにそれぞれがまたイラッとしていると、その静けさの隙をついてようやくアシッド・ゴーレムの声が聞こえたのだった。
「げっごん」
「………は?」
 ナンバーズ96は思わず聞き返す。
 アシッド・ゴーレムは低く潰れた聞き取りづらい声で、しかしはっきりと言った。
「げっごん、じでぐれ」
 また酸性の大きな雫がぼたりと落ちてきてナンバーズ96を半分以上溶かした。しかし彼は自らの身体を再生させることも忘れ、凍りついた表情でアシッド・ゴーレムを見つめていた。





第3話

 エクストラデッキの中では、今日も聞くに堪えない悲鳴が響き渡る。
「うぎゃああああああ!」
 またナンバーズ96がアシッド・ゴーレムに捕まったのだ。これで101回目のプロポーズである。しかしロマンチックではない。
「げっごん…」
 飽きもせずにその科白を繰り返すアシッド・ゴーレムにナンバーズ96はその腕を鞭のようにしならせ襲いかかるのだが、しかしその腕も酸性の液体に溶かされ
「ぎゃああああああ!」
 とまた聞くに堪えない悲鳴を上げることになる。プロポーズが101回目なら、悲鳴の数はその倍にも上るわけで、エクストラデッキの住人達はこれでもかというほど顔を歪めて耳を塞いだ。
「五月蠅いわ…」
 ギャラクシー・クィーンが眉間の皺を増やす。
 そこへようやくアシッド・ゴーレムから逃れたナンバーズ96がやって来た。
「皺が増えるぞ、B…」
 BBAと最後まで言われる前にギャラクシー・クィーンはロッドをその口に突っ込む。
「あのねえナンバーズ96、一つ提案があるのよ。言っておきますけど、これはあなたの為じゃないんですからね!私たちの平穏のためなんですからね!」
「ツンデレとか流行らないぜ、B…」
 次はホープ剣スラッシュで後ろから切りつけられたが、ナンバーズ96は悲鳴も上げず身体を再生させる。
「まあよかろう。言え」
 イラッとしたギャラクシー・クィーンの皺は増えたが、後ろからテラバイトやベビー・トラゴンが裾を引っ張って怒りを止めさせた。
 仕切り直し。
 ギャラクシー・クィーンは咳払いを一つして話し出す。
「私たちはナンバーズ。本体であるアストラルの記憶の一部です」
「今更なんの話だ」
「黙ってお聞きなさい。私たちには本体に対しては特別な思いがあるのですよ。アシッド・ゴーレムとてそれは例外ではないでしょう。彼はその身体に幾つもの呪いを刻まれている上に、その見た目もおどろおどろしいものです」
「貴様らもあいつディスってんじゃねーか」
「いいから黙って聞けこのヘドロの化け物が」
 ギャラクシー・クィーンの鬼の形相を見せぬよう、テラバイトがそっとベビー・トラゴンの目を塞いだ。ナンバーズ96は後ろからホープの剣とクリムゾン・シャドーの刀が突きつけられたからではないが、一応口を噤む。
「分かりました、端的に言いましょう。あなた、その姿をおやめなさい」
「はぁ?」
「ブラック・ミストの姿ならば、彼も諦めるのではありませんか。モンスター形態のあなたは本体であるアストラルのあの美しい姿とは似ても似つかないわけだし」
「このクソバ…」
 後ろからショック・ルーラーが頭突きをし、ナンバーズ96の頭には大穴が空く。
 と言うわけで
「別に貴様らのためではないのだ、このオレの恐ろしさを奴に思い知らせてやるために…」
 云々言葉を続けるナンバーズ96はモンスターとしての形態、ブラック・ミストとなってアシッド・ゴーレムの前に立つ。
「だから何故わざわざ目の前に立つのです!」
 ギャラクシー・クィーンは叫んだが、皆が固唾を呑んで見守る中、アシッド・ゴーレムはその足を止めた。目の前にいるのがナンバーズ96とは気づかないらしい。
「おお、上手くいきましたかな」
 クリムゾン・シャドーが呟いたが、次の瞬間耳障りな笑い声が響いた。ブラック・ミストだ。
「このオレの恐ろしさを思い知るがいい、ブラック・ミラージュ・ウィップ!」
「だから何故攻撃するのです!」
 ギャラクシー・クィーンの叫びむなしくブラック・ミストの触手はアシッド・ゴーレムに襲いかかり。
 ジュッ
 溶けた。
「ぎゃああああああ!」
 また不愉快な悲鳴が響き渡る。
 しかしアシッド・ゴーレムはそのよく分からない表情の中にも喜びをにじませた。目の前のモンスターが探していたナンバーズ96だと気づいたからだ。
 一方、外野。
「もーバカじゃねーのお前!」
「せっかくの作戦がパァだよ、なあ兄ちゃん」
「クィーンに謝れー!」
「そもそも貴様ごとき攻撃力で3000に立ち向かうのが愚かしいことなのだ」
「頭を使って戦え頭を!」
「ホォープ…」
「そうだよ、あのメタボ体型でいけ!」
「メーターボ!メーターボ!」
「やかましいぞ貴様ら!そもそも誰がどれ喋ってるんだか小説だと分かりづらいんだよ!」
「今の科白誰?」
「最強のナンバーズたるこのオレに決まっているだろうがあああ!」
「うわ、ダッセ」
「今の科白誰だ!」
「ホォープ」
「いいのよ希望皇、こんな頭の悪いケンカに加わらなくとも」
 ナンバーズ96と他モンスターとの間はカオスを極めた。
 その背後でアシッド・ゴーレムはぽかんとしていたが、不意にぶるぶると震え出す。
「ホォーーープ!」
 急にホープが他のモンスターたちを守るようにムーン・バリアを広げた。
「ぎゃあああああああ!」
 その向こうではまたナンバーズ96の悲鳴。
 アシッド・ゴーレムがこちらに向けて酸性の液体を投げつけたのだ。
「な、何が…」
 次の瞬間、アシッド・ゴーレムは物凄い勢いで彼らに向かって突進してくる。
「クソッなにが起きた!」
 バイス・ストリームで反撃しながらリバイス・ドラゴンが悪態をつく。
「やりすぎてしまったのよ、私たち」
「なにを?」
「アシッド・ゴーレムは自分の好きな人がいじめられていると思って私たちを攻撃しているのです」
 リバイス・ドラゴンはもう一度お見舞いしてやろうとしたバイス・ストリームを途中でやめ、逃げることに専念した。
 蜘蛛の子を散らすようにモンスターたちは去り、また人型に戻ったナンバーズ96の元へアシッド・ゴーレムがゆっくりと戻ってくる。
「お…おれど…げっごん…」
 ナンバーズ96は黙ってアシッド・ゴーレムの顔を見上げていたが、ケッとその顔を歪めた。
「断る」
 そしてまた聞くに堪えない悲鳴がエクストラデッキの中に響き渡ったのだった。





第4話(リテイク)

 エクストラデッキの内部に今日も聞くに堪えない悲鳴が…
「バイス・ストリーム!」
 響くかと思ったらリバイス・ドラゴンの怒りの咆吼が悲鳴も悲鳴の主も悲鳴の主を握りしめた禍々しいゴーレムの巨体もかき消してしまった。
「お前らこんな時まで痴話喧嘩なぞ、恥を知れ!」
「痴話喧嘩じゃ…」
 消し炭の中から聞こえた反論の声にトドメのバイス・ストリーム。
 流石に、という風情でギャラクシー・クィーンがなだめにかかる。
「リバイス・ドラゴン、少しは落ち着いたら…」
「これが落ち着いていられるか!ナンバーズが全部揃ったと思ったら力の代償でアストラルが消滅しかけてそれを止めようとした遊馬を更に止めようとシャークは!シャークはこの次元から消えてしまったんだぞ!」
「えええええ!まとめちゃうの!?」
 テラ・バイトのツッコミなど聞こえないリバイス・ドラゴン怒りの咆吼は続く。
「シャークはいい少年だったのだ!私を手にしたあの日は力の魅力に負けてしまったが、天城カイト戦ではナンバーズの力の誘惑にも負けずあのクソゴーレムの呪いにも負けず諦めずデュエルをする強さを身につけ成長していたのだ!私は既に離れたデッキながらも、どれだけあの少年のことを…!」
 首をぶんぶん振りながら、リバイス・ドラゴンは男泣きに泣いた。
 後ろの方で「ホォープ…」と小さな声がした。希望皇ホープがリバイス・ドラゴンを慰めるように声をかけたのだが、しかしその彼もその姿に似合わず元気がない。
 それはモンスターたち、特にナンバーズ全員に言えた。
 アストラルは消えてしまったのだ。
「…リバイス・ドラゴン、そんなにシャークのことが好きだったの?」
「お前たちも最初の持ち主のことは思い出深いだろう」
「右京先生はおちゃめな人だったよ!」
「私も風也のことは忘れられませんわ…」
「オレはどうかなー」
「もう名前も覚えてないよね、兄ちゃん」
「そうだな、フリーザードン」
「お互いを兄弟扱いしている時点で影響を受けている気がするが…」
「わたしが死んでも代わりはいるもの…」
「ハッ!イルミネーター!」
「わたしが死んでも代わりはいるもの…」
「ハッ!ブリリアント!」
「こうして見るとカイト組は不憫だなあ…」
「銀河眼の布石だもんなあ」
「どいつもこいつも懐古厨か?最強のナンバーズであるこのオレは…」
「遊馬のところに行きたいがためにわざと負けるような尻軽ビッチは黙れ!」
 消し炭の中から性懲りもなく現れた姿に向かって三度バイス・ストリームが炸裂する。
「ねえねえ…」
 テラ・バイトがギャラクシー・クィーンの袖を引っ張る。
「これからアストラルと合体しなくても遊馬、勝てるのかなあ」
「…勝てますよ」
 ギャラクシー・クィーンは優しくテラ・バイトの頭を撫でる。
「遊馬の成長は私たちも見てきたではありませんか。それにアストラルの記憶は、私たちは彼の力として傍にいるのです」
 これからはあなたが遊馬を勝たせてあげるのですよ。そう声をかけると、テラ・バイトは頭にベビー・トラゴンやムズムズリズムを乗せて走ってゆく。
「お優しいことだ」
 ナンバーズ96が吐き捨てる。
「年の功というわけか」
「ナンバーズ96」
 ギャラクシー・クィーンは冷たい声で言った。
「あなた、何故わざわざアシッド・ゴーレムに捕まったのですか」
「…はあ?」
「今日のあなたはわざとあの手に捕まえられたのでしょう。いつもなら軽々と逃げ出せるものを」
「今すぐにその口を閉じろババア」
 しかしいつものようにロッドは飛んでこなかった。彼女は軽蔑を込めた笑みをナンバーズ96に向けた。
「最強の、ナンバーズ、ですって?」
 嘲笑う声がギロチンの刃のように落ちる。
「逃げ回ってばかりのくせに」
 ナンバーズ96はあんぐりと口を開けた。
 その表情はみるみる歪んだが、しかし彼はいつものような悪口の応酬をすることなく、不意に顔を背けて姿を消した。

 ナンバーズたちがはしゃぐ外野でぽつんとそれを眺めていたアシッド・ゴーレムの目の前にナンバーズ96が現れる。
「おい、貴様」
「ぎゅうじゅうろぐ、おれどげっごんじでぐれ……」
「オレの本当の姿を見てもそのような戯言が言えるのか?」
 気がつくとナンバーズ96の背後にはブラック・ミストの姿があり、黒い霧となってナンバーズ96の身体を包み込む。
 霧の晴れた中から現れたナンバーズ96の姿は一変していた。
 確かに本体であるアストラルを模した姿。しかしその腹には凶悪な牙に囲まれた口がぽっかりと開いている。悪魔のそれを思わせる角と尾。優美だった指先は名残のかけらも見いだせないほどのごつい爪。地獄の業火を思わせる炎が肩口に揺らめく。
 アシッドゴーレムの視線が痛みさえ感じるほど自分の肌を這うのをナンバーズ96は感じた。まるであの強酸で肌を焼かれるようだ。奴の前では滅多に笑いなどしないのだが、今は含み笑いを隠さなかった。それは邪悪だったが、本体の生来もって生まれた美しさは損なわれない。故に凄惨で凶悪だった。
 長く伸びた爪を伸ばすと、一瞬相手がひるむのが分かった。自分よりもでかい図体のくせして。そう思えば口元ではなく、腹に大きく開いた口が笑う。肩に纏った炎が炎花を散らす。長く伸びた尾は嘲笑うように揺れた。
「この身体を愛でようというのか、貴様」
 ナンバーズ96は鷹揚に嗤う。
「化け物同士というわけか。他のナンバーズども、口さがない奴らがオレたちを何と呼んでいるのかお前は知るまい。割れ鍋に綴じ蓋とほざくのだ」
 お前はどう思っている。思うだけの心があるのかお前に。ナンバーズ30、破滅のアシッド・ゴーレム。木偶め。
 すると恐る恐るアシッド・ゴーレムが手を伸ばした。
「おれを…」
 アシッド・ゴーレムは膝を折り、自分と比べれば小枝ほどにも細いナンバーズ96の前に跪いた。
「ごわがらながっだのは、おまえだげだ。おれがどれだげごわじでも、どがじでも、ぎずづがながっだのも、おまえだげだ。ぎずづげで、ごわじでも、まだおれのぞばにいでぐれだのは、おまえがはじめでだ。おれにはおまえじがいない…」
「…不愉快な奴だ」
「おれ、おまえがずぎだ…」
「黙れ」
 アシッド・ゴーレムがその手で掴まえようとしたが、次の瞬間ナンバーズ96の姿はどろりと溶けてその空間から消えてしまった。

 一階のサンルームにはぐったりと座る遊馬の姿があった。月が昇っているのか、ステンドグラスが光っている。
 デッキケースから現れたナンバーズ96は少年の目の前に立ち気安く声をかけた。
「遊馬」
「リア充は死ね!」
「えええええええええええ!?」
 遊馬の拳はナンバーズ96の顔面にクリティカルヒットし、細い身体は簡単に吹っ飛ばされる。
「ゆ、遊馬…!」
「アストラルが消えてオレが落ち込んでる間にお前らエクストラデッキの中でイチャイチャイチャイチャしやがって!オレにはもうナンバーズの記憶が溶けこんでるから、お前たちが何を喋ってるのかとか全部分かっちゃうんだよ!痴話喧嘩の次は告白でノロケかよ!畜生、爆発しろ!」
「ゆうまああああ!」
 重要なことまとめすぎだあああ!という悲鳴が寂しい夜の空に響き渡った。





第5話

 アストラルがいなくなったことで混乱をきたしたのは遊馬だけではなかった。
 Dr.フェイカーの陣営もまた研究して実験していじくりたおそうとしていた対象を失った上にアストラル世界への驚異は消えていないので困っていたのだ。
 そんな事態の中のこのこ姿を現したナンバーズ96は捕らえられ、今まさに異世界科学の結晶、フォトンの力、バリアライトの威力をもっていじくりたおされようとしていた。
 まったくナンバーズの名折れだ、恥さらしめ。
(語り:リバイス・ドラゴン)

 どうしよう、という思考さえ浮かばず、まず現状を把握できない。敗北は瞬間的な出来事だ。負ける、消滅する。あるいは負ける、取り込まれる。
 敗北の味を味わい続ける、という事態があることに彼の意識は及ばなかった。ナンバーズ96にある思考は破壊であり、敗北は知識でしかない。そこから逃げ出すという思考にさえ頭がついていかない。あるのは正確な痛覚。しかしそれを処理する頭は疑問符で埋め尽くされている。
 どうして。
 どうしてどうしてどうしてどうして。
 どうしてこのオレが地を這っている。
 塵を舐めさせられている。
 髪を引き掴まれている。
 オレの腕は、オレの力は何をしている。
 鞭のようにしなるオレの腕たちは。全てを絡め取り引き裂くことのできるオレの力は。
 オレは一体今何を見ている。
 冷たく、乾いて汚れた石の床。ここはどこだ思い出せ。
 オレの腕をひねり上げ、家畜でも扱うかのように髪を掴む腕は誰だ思い出せ。
 オレは何をしている。力を行使しろ、思考よりも速く相手をぶちのめせ、違う殺せ、引き裂き破砕し微塵に、この塵のように微塵にまで存在を殺し殺し殺し尽くせ。
 何故オレは塵を舐めているんだ。
 冷や汗が伝う。ヒトのような発汗の仕組みを自分が持っていたとは知らなかったが、どこもかしこも冷たく溶け出すような嫌な感触が這い回る。
 痛覚が。
 何をされているんだ。
 何を。
 ナンバーズ96にあるのは知識。屈辱も恥辱も汚辱も本来知り得ない。
 知ることなどないはずだった。
 破壊のナンバーズ。漆黒の闇より破滅をもたらす使者、それが己の存在だったはずだ。
 痛い…痛みを感じているだと?
 敗北ではない、これは痛みだ。与え続けられる痛みだ。この肉体だけではない、魂まで削り抉る痛みだ。
 犯されているのだと、ようやく理解した。
 自覚した瞬間、全てが真っ白に染まってゆく。漆黒のあの懐かしい闇にさえ落ちることがない。痛みだけ。屈辱だけ。恥辱だけ。汚辱だけ。ただただ白い世界で、救いも終わりもない。
 たすけて、という言葉を。
 助けてという言葉をナンバーズ96は初めて言葉にし、口にした。
「助けて、遊馬」
 背後から笑い声が聞こえる。罵られ、嗤われている。誰が?
 この自分がだ。
 言葉が聞こえる。この醜く押し広げられた姿を見られている。情けない呟きを聞かれている。録画されている。録音されている。データを取られている。
「助けて…」
 遊馬は助けてくれるだろうか。遊馬は自分を嫌っているのだ。
 否、遊馬だけではない。ナンバーズ96は誰からも好かれることがなかった。遊馬の前の持ち主だって彼に操られただけだ。誰も自ら手を差し伸べてくれた者は…。
 誰も…?
 瞼の裏に映ったその醜い姿を追い出そうと、ナンバーズ96は強く目を閉じた。
 あんな奴、あんな奴など…。
 その時けたたましいサイレンが鳴り響いた。今まで自分を組み伏せていた気配が急に慌てふためき、拘束される力がなくなる。目を開くと頭上で赤いランプが点滅している。
 耳馴染みのする悲鳴が聞こえてきた。人間の苦しむ声だ。いつもならばそれを聞いて浮かぶ笑みもない。ナンバーズ96はぐったりと俯せている。
 一際大きな衝撃と共に天井が割れた。壁が崩れた。
 ぶすぶすと、溶解液に溶かされ高熱を発して崩れ落ちる音。
 ものが腐食するそのにおいさえ懐かしい。
 ナンバーズ96は自分の身体が抱え上げられるのを、薄く開いた目で見た。
 抱かれ心地はよくなかった。ごつごつした、ものを掴むには適さない手。しかしその両手は震えながらナンバーズ96を抱き上げるのだ。
 イヤイヤながらも目を開き、相手の顔を見上げた。本当にコレが現実だと確かめるため。
「……アシッド・ゴーレム…」
「ぎゅうじゅうろぐ…!」
 アシッド・ゴーレムはナンバーズ96の細い身体を抱きしめる。両目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
 じゅわっ
 ナンバーズ96の涙腺が緩んだ音ではなかった。
 傷つき果てた彼の身体は上から降ってきたアシッド・ゴーレムの涙によって溶かされてしまったのだ。
 もう悲鳴さえ聞こえなかった。
「やめろよアシッド・ゴーレム、せっかく助けたのに死んじゃうだろ」
 遊馬の声が響く。
 ナンバーズ96はなんとか頭部だけでも再生させながらその姿を探した。
 周囲にはなにもなかった。全ては破壊され溶かし尽くされ、人の姿も物の姿も残っていなかった。その中に遊馬は仁王立ちになっていた。
 遊馬はもう一枚のカードをかざす。それは奪われたナンバーズ96のカードだった。
 星の生まれるような光の中からブラック・ミストの姿が現れ、長く鋭い爪でアシッド・ゴーレムの手からナンバーズ96を取り上げた。
「遊馬…」
「勘違いするなよ。お前のカードはアストラルの大事な記憶の一部だから、今のオレからそれがなくなったら困るから回収しに来ただけだからな」
 帰るぞ、と遊馬は一言低い声で呟いた。
 くるりと踵を返し、もう二度と溶かされ尽くした景色を振り返らない。ナンバーズ96の身体を抱いたまま、ブラック・ミストもおとなしくその後に続いた。更にその後ろからアシッド・ゴーレムがうろたえ気味にのろのろと後を追いかけた。





最終話

「説明しよう! Dr.フェイカーの研究施設が壊滅したことによって事態は急変、バリアン世界が大きく動き出し事態は混迷を極めた最終局面へと突入したのだ。遊馬がアストラル世界側で戦っている以上、これは地球という陣取りゲームをするアストラル世界とバリアン世界の戦いであった。最後の決戦の場はハートランドシティ。そして遊馬の前に立ちはだかったバリアン側の敵は驚くべき姿をしていた。なんとバリアンはシャークこと神代凌牙の塩基配列を忠実に再現し、シャークの肉体を容れ物として遊馬に戦いを挑んできたのだ。どうるす遊馬! 頑張れシャーク!」
「えええええええ!?」
「また重要なこと全部まとめるのかよ!?」
「遊馬を応援しなくてどうするのです!?」
「っていうかオレたちコントみたいなことやってていいのか?最終決戦だろ?」
「うん、今フィールドに呼ばれてるモンスターは2体しかいないよ、兄ちゃん」
「誰だ」
「アシッド・ゴーレムとブラック・ミスト」
「…………」

 エクストラデッキの中でオチがついたころ、フィールド上はピンチに陥っていた。
 オーバーレイユニットを使い切ったブラック・ミストにブラック・レイ・ラインサーの槍が襲いかかる。
「このオレが…ここまでか…!」
 思わず腕で顔を覆ったナンバーズ96だが、いつまでたっても消滅の瞬間はやってこない。
 瞼を開くと眼前を巨体が塞いでいた。
 アシッド・ゴーレムが両腕を広げ、ブラック・ミストとナンバーズ96を庇っているのだ。
 だがバリアンによって扱われたブラック・レイ・ラインサーの威力はすさまじく、槍はアシッド・ゴーレムの巨体をも貫いた。
「ぐぅおおおおおお……」
 轟きのような悲鳴を上げながらアシッド・ゴーレムの身体は崩れ落ち、溶けた地面の深い穴へ落ちてゆく。その視線はいつまでもナンバーズ96に注がれる。
 しかしナンバーズ96はいつも表情の抱負なその顔になんの感情も浮かべず、ガラスのような虚ろな目でアシッド・ゴーレムの視線を跳ね返した。
 とうとうアシッド・ゴーレムの姿はブラックホールのような渦の中に消え去る。
 フィールドにはもうナンバーズ96しか残っていなかった。
 急に彼の視線が鋭くなり、相対するブラック・レイ・ラインサーとその向こうのバリアンを睨みつける。
 黒い手が空を切った。
「オレのターン!」
 ナンバーズ96の声が響く。
 背後で満身創痍の遊馬が呆れた声を上げた。
「お前のターンじゃねえよ、オレのターンだっての。ていうかダメージ2000とかざけんなお前ら」
 しかしナンバーズ96は振り返り、ニヤリと笑った。
「そんくらい食らっとけ、すぐに逆転してやる」
「残り100だぞ?」
「鉄壁だ」
 いくぞ、遊馬!とナンバーズ96は高らかに叫んだ。

「…ところでアシッド・ゴーレムはフツーに墓地にいるんだけど、そのへんどうなんだ?」
「いいんじゃない、上は上で盛り上がってるみたいだし」
「ホォーーープ」
「そうだな、まずは勝たなければ話が始まらん」
「遊馬を勝たせるんですよ、私たちが」
「勝ったらあいつらどんな顔して対面するか見てやろうぜ」
「結局モトサヤかあ」
「割れ鍋に綴じ蓋だもんな」
「おっ、誰か召喚されるみたいだな」
「ファイトー」
「じゃあデュエルに勝つついでに世界でも救うかー」
「かっとビングってやつだな」
 デッキの中がわいわいと盛り上がったその時

「かっとビングだ!遊馬!」
『がっどびんぐだ!』

 フィールド上と墓地から同時に声が響いた。
 それを聞いたモンスター達は笑い出す。
「結婚wwしたwwww」
「おめでとうだな」
「デュエルに勝ったら結婚式だな、オイ」
「赤飯炊いてやろうぜ」
「ウェディングケーキじゃねえのかよ!」
「お前も食べる気かよ!」
「じゃあ私はウェディングドレスでも用意しましょうか」
「その前にデュエルに勝たなきゃ!」
「おお、そうだった」
「じゃあ、いってきまーす」
 かっとビングだー!という全員のかけ声に「ホォープ」という声が混じって、また皆が笑った。





旦那様はアシッド・ゴーレム 完






ついったとかぴくしぶとかから色々影響を受けて。96ちゃんとブラック・ミストの合体した姿はニナさんの描かれた絵を元に。