レイ・オブ コズミック・プレグナンシー 地平線から昇ったばかりの月はもったりと重い赤銅色をしていた。窓から射す光は夕方の続きのまま明るく、夕飯をたっぷり食べた遊馬は床の上に転がって天井を眺めていた。腹の上に影が伸びる。窓辺に置いたロビンファミリーのフィギュアの影だ。自分の上にはアストラルがふわふわと浮かんでいて、月に照らされ並んだフィギュアを満足げな表情で眺めている。 「信じらんねーよなー」 遊馬が呟くとちらりと視線が向いた。 「普通の日が続いてんのとさー、WDCであったこと、どっちが夢か分かんなくなるよ」 「どちらも現実だろう」 「そーだったっけ」 ふにゃりと腑抜けた笑みを浮かべるので叱りつける声が降った。 「しっかりしろ遊馬。ナンバーズはまだ全部集まった訳ではないのだぞ」 「たまには休憩。腹一杯でさー、もう何にも考えたくないや」 「まったく君は…」 「いいじゃんかよ、右京先生も言ってたんだ。機械もメンテするし肉体も休むし心だってたまにはのんびりしないとかっとビングできないんだぜ」 遊馬は教師の言葉を引き合いに出してだらだらと床の上に転がる。アストラルは呆れた様子だがいつものことなので、軽く組んだ手を腹の上にのせてまた中空を漂った。薄い水色の身体を赤銅色の月の光が透かす。 「ん…?」 遊馬はふと鼻の頭に皺を寄せた。アストラルの姿を遊馬は見慣れている。遊馬が寝転んでいるといつもその上を漂っているからだ。それだけではない、アストラルはいつもいつでも遊馬の傍にいる。傍らに浮かんでいる。触れ合うことは出来なくても、そのフォルムは遊馬の網膜に刻まれている。だから、異変を感じたのだった。 「おい、アストラル」 「おい、とはぞんざいな呼び方だな」 「じゃなくてさ、おい」 「何だね、遊馬」 「お前…」 遊馬は身体を起こすとアストラルの腹を指さした。 「太った?」 「気づいたか」 「太ったのかよ!え?何?お前、何か食べるの?食べてたっけ?」 「違う、これは肥満ではない」 「いやいやいや、ぽっこりお腹ってレベルじゃねーぞ」 確かにぺたーんとしたフォルムだったはずの腹がなだらかに膨れている。重たい水風船みたいだ、と遊馬は思った。アストラルの身体が水色をしているからだろうか。 ふ、とアストラルは笑い膨らんだ腹を撫でた。 「遊馬、私は受胎したのだ」 「…ジェダイ?」 「違う。フォースは使えない」 「えー…何」 「受胎だ。受験の受に、へんは肉月、つくりは台所の台」 「…わかんねえ」 「私もこの世界のことを知るべきだが、君も真面目に勉強した方がいい」 「習ってねーもん!多分!」 「偉そうに言うな。胎は胎児の胎、胎盤の胎だ」 「タイ…」 「魚ではない」 「分かってるよ!」 呆れ半分からかい半分、それ以上脱線するのはやめることにしたのか、遊馬の目の前に下りてくると腹を撫でながら微笑んでこう教えた。 「妊娠した、ということだ」 「にん…しん…」 「胎児、つまり赤ん坊になる命が私の身体に宿った」 「に…妊娠してんじゃねーか!」 「だからそう言っている」 遊馬は頭を抱え、うおー中学生で妊娠させちゃったー、と唸った。屋根裏の狭い床の上をごろごろ転げ回った。ばあちゃんと姉ちゃんにどう言い訳し、出産費用をどう工面し、これから何をして働いてアストラルと赤ちゃんを扶養していかなければならないかを考えた。 が、ぴたりと止まって顔を上げる。 「いや、おかしくね?」 「何がだ」 「勢いでオレが妊娠させたみたいに思ったけど、違くね?オレたち合体はしたけど触ってねーよな。セックスとかしたことねーよな」 「私と君の記憶が確かなら、その事実はない」 「そもそも触れないもんな」 「今君がゴロゴロと転がった時、普通に私の身体をすり抜けていたが」 「だよな。それにオレ、童貞だもん」 「清く正しく童貞だな」 だよなー、と笑った遊馬は次の瞬間ツッコミを入れた。 「だから何で妊娠するんだよ!」 「疑問か?」 「大いに疑問ですよ!?」 「遊馬…君達の世界では二人の間に産まれた赤ん坊のことを愛の結晶と呼ぶらしいな」 「あー、うん」 「君と風也は先日結ばれた」 「ちょ…!」 「お互いの愛を告白し、心を通わせ、人間としてつがいになった。その時君の心と風也の心はオーバーレイし私の心のコスモが燃えたのだ」 「何か別の混ざってるぞ」 「コスモが燃えて奇跡が起きたのだ」 「引っ張るのかよ」 「君はコスモを感じたことがあるか」 「ねーよ!!」 大きな月はゆらゆらと揺れながら赤銅色から黄金色に、ハートランドシティの上空をゆっくりと昇り屋根裏部屋も照らし出す。清々しい光の中、確かにアストラルの腹は妊婦のように膨れていて、遊馬はそれをまじまじと眺めながら、妊娠?ふえーマジかよ、と繰り返す。 「でもさ、マジな話、普通妊娠つったら女の人がするんだろ。お前どうなの?」 「私の場合、人間の肉体に備わった器官というのは関係ない。ここに光っているものがある。見えるか?」 アストラルが指さす先、腹の奥にはぼんやりとした“何か存在らしきもの”が見えた。ピカピカに光っている訳ではない。真昼に見る月のようにぼんやりしている。 「これが赤ちゃんになるの…?」 「風也と君の子だ」 「え? お前は?」 「君と風也が愛し合う心、私がロビンを愛する心が一つとなってオーバーレイネットワークを構築」 「素材三体?」 「そうなるな」 「っていうか、それ、人間なのかよ」 ようやく遊馬は青ざめてアストラルの膨らんだ腹を見る。触ろうと思っても触れないし、手も突き抜けるだけだが、そうと分かっていても手を近づけることさえ怖かった。まだ見えぬ異形の胎児への怖れというより、妊娠という事実への漠然とした畏れだったが。 しかしアストラルは悠然としたものだ。 「私はロビン似の元気な男の子が生まれればいいと思っている」 「…楽観的すぎねえ?」 「楽観的も何も私の身に起こった出来事で、私はこれを受け入れている。そこに喜びの感情を不随させてもいい」 「日本語で」 「私は私の身体の中に君と風也の子どもを作ることができて喜んでいるが?」 母は強しとはこのことだろうか、と遊馬は自分の母親の聖女のような姿を思い出しながら目の前のアストラルとそれを重ね合わせようとした。しかし母の微笑みとアストラルのドヤ顔は一致しない。まあいいや、喜んでるんならそれで。 私は人間とは違うのだ、とドヤ顔をした割にアストラル世界の生物の繁殖方法を覚えていないアストラルが参考にしたのはマシュ=マックとアトランタルの持っていた人間界の知識であった。それが災いの元と言うと言葉は悪いが、アストラルは要らぬ苦労をすることになったのである。 食卓に並ぶのはデュエル飯にデュエルフカヒレスープ、デュエル唐揚げ、デュエル春巻き、姉ちゃんが野菜を千切った大味デュエルサラダ、一汁三菜もばっちりの本日は中華に偏った夕食だった。九十九家いつもの光景のはずだがアストラルはそれを見た瞬間「うっ」と口元を押さえ天井を突き抜けて多分屋根裏部屋に戻った。 遊馬も驚いて立ち上がる。 「アストラル!?」 「遊馬、行儀が悪い!」 「ごめん姉ちゃん!」 謝りながらも席を立って屋根裏まで駆け上がる。 「階段は静かに!」 「ごーめんー!」 自分の部屋からさらに屋根裏に上ると、床の上に蹲ったアストラルが口元を押さえてぜーぜーいっていた。 「な…何…?」 「すまないデュエル飯の匂いが…」 「え、飯の匂い嫌いだったっけ」 「知らないのか遊馬、米の匂いにウッとなってトイレに駆け込むのはドラマでもお約束だろう」 「そんなお約束知らねーよ」 「つわりだ」 「……おおう」 「つわりは悪阻とも言い妊娠五週目くらいから見られる症状で、十六週くらいで普通に治るものなのだが」 「待て、お前が妊娠したって言ってからまだ五日しか経ってねえけど」 「流石は私の身体」 取り敢えず鍵の中に入っとけ、と促す。アストラルの姿が金色の霧になって消えると、遊馬は思わず溜息をついて床の上にぺたんと尻をついた。 食卓に戻り、食事中に席を立つのは行儀が悪いと明里に怒られながら、遊馬はぽつりと呟く。 「姉ちゃん、つわりってさ…」 「はあ!?」 明里は目を剥いて遊馬を見下ろす。突然何を言い出すの私の弟は。 「…やっぱ何でもない」 「何でいきなりつわりなのよ」 「遊馬もお年頃かのう」 「お年頃っていうか、興味の方向が何だか違うわよ?」 何でもねーよー、と呟きながら遊馬はデュエル飯に齧り付いた。 その後もアストラルはご飯のたびに「うっ」とやり、道を歩いていて煙草の匂いがうすると「ううっ」とよろめき、全身がだるいと言い、しょっちゅう眠いと言い、その割には遊馬の傍にいたがるので、遊馬は何度も鍵の中で休むように言わなければならなかった。 「いやだ」 アストラルは触れられない腕で遊馬の首にまとわりつく。 「…お前、どうせ触れないのにって言って、そんなにスキンシップ好きじゃなかったよな?」 「一緒にいたいのだ」 「どういう心境の変化?」 「妊娠初期は精神的に不安定になるのだ」 「初期って感じのお腹に見えないけどなあ」 腹の膨らみは本当にぽったりと重く、アストラルは直立することが少なくなり、優雅な寝姿で遊馬の傍に浮いている。今まで以上にその姿のあることが気にかかるが、まあ赤ちゃんが産まれるまでの我慢だよな、と遊馬も考えることにした。 そう産まれるまで…。 「タンマ!」 遊馬は通学路で大声を上げる。堤防でサッカーをしていた少年や犬を散歩させていた主婦、同じく学校帰りの学生たちがギョッとして遊馬に注目した。 「う……っ!」 衆人環視で叫ぶには憚られる言葉だったので、遊馬はぐっと口を噤むと家までダッシュした。 「どうした、遊馬」 アストラルは相変わらずカウチに横になってでもいるような優雅な寝姿でついてくる。 「お、おま…」 「困ったことでも起きたのか?」 首を横に振り、縦に振り、もう一度横に振って、あーもう分かんねー!と叫ぶ。 ようやく家に到着するとおやつに目もくれず屋根裏部屋に駆け込んで、触れないはずのアストラルの肩をガッと掴む仕草をしたせいでつんのめる。 「おわっ、危ねえ!」 触れないと分かっていても目の前にいるのはお腹の大きなアストラルの姿だ。遊馬は激突するわけではないのだが、しないよう床に両腕を突いた。 「はー危機一髪…」 しかし目を開いた見えた光景はまるで自分の手で床に押し倒されたようなアストラルの姿。しかもお腹が大きい。アストラルは軽く目を伏せると頬を染めて顔を逸らした。 「遊馬…大胆すぎるぞ…」 「ちっげえよ!」 童貞なのにそんなプレイ思いつく訳ねーだろ!と怒りながら、どういうプレイだよ…、と遊馬自身自問自答する。 仕切り直し。 「アストラル、オレたちは重要なことを見落としてる」 「真剣だな、遊馬」 「ああ、真剣だ」 遊馬は真剣な瞳でアストラルを見つめ、アストラルもそれを見つめ返す。すっと手が伸びてアストラルの腹の上を撫でた。触れられない輪郭を下へ向かってなぞると、アストラルが恥じらいながら足を開く。 「………」 遊馬はぎゅっと目を瞑り、落ち着いて呼吸を数え、意を決したように瞼を開いた。 「保体の教科書で見たんだけどさ、赤ちゃんってここから産まれてくんのな。股」 「そうだ。女性にはこの位置にち…」 「うん!名前はいいから!」 慌ててアストラルの科白を遮る。遊馬はもう既に妙な汗をかいている。 「当たり前だけど、オレ見たことなくてさ、教科書にもそんなの詳しく描いてなくてさ、よく分かんないんだけど、お前にはそんなのないよな?」 「ない」 「どうやって産まれてくんの、赤ちゃん…」 屋根裏はしんとした。窓から射す夕陽は明るく優しく二人を包み込んだ。真剣な瞳で見つめ合う二人を…。 「…生命の神秘を感じるな」 「ノープランかよ!」 「私も初めての事態であり、初体験なのだ」 「でもそこ一番重要じゃねえの?」 「それこそかっとビングで」 「かっとビング…」 「かっとビング、それは勇気を持って一歩踏み出すこと。どんなピンチでも決して諦めないこと。あらゆる困難にチャレンジすること!」 「そうだな!…って誤魔化されるか!!」 「誤魔化したつもりはないが」 そろそろ妊娠発覚から一ヶ月だ。妊娠五日で五週目の症状が出たりの状況から鑑みるに臨月は近かった。 陣痛は突然やってくる。授業中にも関わらず。プールの最中だろうとお構いなく。 突然皇の鍵が光るとビームと共にアストラルが飛び出して聞いたことのないようなドスのきいた悲鳴を上げてどこかへ飛んでいってしまったので遊馬ものんびり立ち泳ぎの練習をしている訳にはいかず、 「うおおおおお!アストラルーーー!!」 人目も憚らず叫ぶとバタフライで豪快に水飛沫をあげながらプールサイドを目指し、アストラルの消えた方向へダッシュする。 「遊馬!」 呼び止める声に振り向くと小鳥がヒロイン顔で自分を見つめ「これ!」と水泳用の巻きタオルを投げて寄越した。 「サンキュー、小鳥」 遊馬も親指を立てて気持ちを表し、アストラルを追いかける。 「遊馬…」 小鳥はその後ろ姿を見つめるばかりだ。 セイとサチが後ろから声をかけた。 「小鳥、本当に九十九くんでいいの…?」 「そろそろ危ない気がするんだけど」 しかし 「諦めたらキャット試合終了よ!」 背後から宣告するキャッシー、小鳥より僅かにバストサイズの勝った恋のライバルは舌なめずりをする。 「でも私と遊馬が結ばれる未来はキャわらないけどね」 「なんですってえ!」 プールサイドはやんややんやの騒ぎである。右京先生がホイッスルを鳴らしながら女子を宥めた。 「リア充すぎんだろ…」 プールでは立ち泳ぎをしながら鉄男が呟く。 「トドのつまり遊馬くん爆発しろですね」 「チンコもげろウラ」 委員長と徳之助も頷いた。 所変わって学校の廊下を巻きタオルをマントのごとくなびかせてダッシュするのは遊馬で、その先を物凄い勢いで飛ぶアストラルも行き先は分かっていないらしい。 「待てえええ!」 遊馬が叫ぶと目の前を歩いていた一人の上級生がぴたりと足を止め、振り返った。元札付き、汚れた優勝候補、WDC本戦出場者にしていまだに学内では強い人気を誇るが今ひとつ運に恵まれない水属性デッキ使い、神代凌牙。人は彼をシャークと呼ぶ。遊馬もそう呼んだ。 「シャーク!」 遊馬が突然他の男の名前を呼んだのでアストラルも思わず暴走が止まる。 「オレに何か用か」 凌牙は相変わらずクールな風を装い尋ねた。内心、遊馬が現れたことで廊下に光が射し世界が七色に彩られテンションは天井知らずに上っていたが、そんなことはおくびにも出さない。 「アストラルが産まれそうなんだよ!」 「…は? 何の話だ」 「シャーク、頼みがある」 遊馬はがっしと凌牙の手を掴み、きらきらと輝く真剣な瞳で見上げた。 「オレを、誰もいない所に連れて行ってほしい」 「なん…だと…」 「二人っきりになれる場所に連れてってほしいんだ」 その瞬間、凌牙の世界は薔薇色に染まった。ラ・ヴィ・アン・ローズここに実現せり。 「来い!」 凌牙は遊馬の手を握り返すと自分のバイクに乗せ学校を飛び出した。無断早退も定員オーバーも気にするものか。薔薇色の人生を走り出した凌牙に怖いものはない。 到着したのは陸王海王らとつるんでいた時に使っていたねぐらの一つで、コンクリートの壁も剥げかけたボロいアパートだったが、郊外で人目につかず二人きりになるには最適な場所だった。 「ここなら何も心配することはないぜ…」 凌牙は先に遊馬を促すと自分は玄関のドアを開いたままかっこつけた。遊馬は振り返り、心からの感謝を込めて凌牙を見つめた。 「ありがとう…シャーク」 「お前のためならこれくらい何てことないぜ」 「じゃあまたな!」 バンッとドアが閉まり、ガションと音を立てて鍵が閉まり、ガシュッガシャガチンとチェーンのかけられる音がした。 「………え?」 凌牙は目の前で閉じたドアを見つめて呆然とした。 「え?」 そのまま動けなかった。 ドアの向こうでフカヒレ再来かと思われるほど白くなっている凌牙の存在など露知らず、遊馬はベッドの上に横になったアストラルに駆け寄る。 「大丈夫か、アストラル!」 「陣痛の間隔が短くなった…」 「痛ぇの?」 「物凄く痛い」 「ど…どんくらい…」 「例えば紋章の力で拘束され塔と共に握り潰される痛みが全部股間に集…」 「ごめん、オレが悪かった!」 遊馬は涙目になりながらアストラルの手を握…ることはできないので、アストラルの手の上で拳を握った。するとアストラルも拳を握る。 「こうしていると君と手を繋いでいるようだ」 「ん…」 「心強いよ、遊馬」 「アストラル、ラマーズ法だ」 「ああ」 二人ともマシュ=マックとアトランタルの記憶にあった知識でこっそり勉強していたのだ――流石にネットワーク検索はできなかった。姉ちゃんにバレる――。 ひっひっふーと呼吸を合わせていると、不意にアストラルが声を上げた。遊馬の耳にも不思議な音が聞こえた。 「な、何だ…?」 「破水したのだ」 「はすいぃ!?」 もうすぐ産まれんじゃん!と遊馬が頭を抱えると、君がパニックにならないでくれ、とアストラルは冷静に言う。 「私の股間を見てくれるか」 「こ…」 人間の女性のあそこさえ知らないのに地球外生命体の、しかも先日までおまたツルツルだった男とも女ともつかない身体の股間をじっくりと見ることになろうとは。 アストラルが立てた膝を開くので、遊馬も意を決して股間を覗き込んだ。 「……ある」 「膣が?」 「ブラックホール的な?」 遊馬の見つめるアストラルの股間には闇が渦巻き蠢いていた。そこからエクシーズ召喚の光のような、天の川の星のようなものが流れ出てベッドの上をプラネタリウムのような星空に変えていた。 「大丈夫だ!」 遊馬はアストラルの目を見て頷いた。 「なんかビッグバンみてえだし」 「ああ」 「ひっひっふー」 「ひっひっふー」 陣痛の間隔がいよいよ短くなったらしくアストラルの声は鬼気迫ってくる。その声を聞いていると遊馬は迫力に押されて泣きそうになってしまうが、かっとビングはあらゆる困難にチャレンジすること!と胸の中で繰り返し、ラマーズ法を繰り返す。 ブラックホールの中に小さな光が見えた。いつかアストラルの腹の中にぼんやり見えた真昼の月のような光。 「アストラル、もう一息だ!」 「遊馬…手を…」 「ああ!」 アストラルが手を伸ばす。二人はそれを握り合うように拳を握る。 「かっとビングだあああああ!」 その瞬間、アストラルのブラックホールから溢れ出した闇と数え切れない星の光が部屋を一杯に見たした。 光と闇はマーブル模様を描きながらぐるぐると高速で渦を巻く。 エクシーズ召喚みたいだと言った言葉は間違いではなかったのだ。 爆発する光が闇を飲み込んだ。 呼吸さえできない光の渦の中、遊馬はアストラルの身体がふわりと舞い上がりくるくる回転すると水風船のようだった腹がぽよんと揺れながらアストラルの本体から分裂するのを見た。 水色の光が真っ白な光を塗りつぶす。 しばらく遊馬は呆然としていた。目が慣れるのに時間がかかった。激しい息づかいが聞こえた。アストラルが目の前に倒れている。お腹ぺったんの懐かしいフォルム。 「アストラル…」 「遊馬…」 汗らしきものに濡れたアストラルは艶めかしく微笑み、遊馬を見上げた。 「それが私たちの子どもだ…」 「子ども…」 遊馬は自分がなにか重たく湿ったものを抱えているのに気づいた。それどころか自分の全身も濡れている。水色の水が全身を濡らし、自分の抱えているものはいつかアストラルが繭になったような深い青色をした卵だった。 「…卵かよ!」 「どうやら卵生だったらしい」 「っていうかオレ普通に触ってんだけど!」 「あまり騒ぐと割れてしまうぞ」 「うおお…」 遊馬は静まると、手の中に一抱えはある卵を見下ろした。 「っていうか、マジで触れてるし」 「風也は異次元エスパー・ロビンだからな。我々の子どもはそれ自体が異次元なのだ」 「は…?」 「それは新しい宇宙の卵だ」 ビッグバン。 「マジか」 遊馬はもう驚くのもやめ、卵の表面にゆっくりと耳を近づけた。 「そっと。遊馬」 「うん」 アストラルに言われたとおり、そっと卵の表面に耳をつける。 不思議な音が聞こえた。巨大なオルゴールのような音楽が卵の中に響いているのが分かった。 「この中で太陽とか地球とか作ってんの?」 「きっと」 「オレと、お前と、風也の、好きって気持ちが宇宙作ったの?」 「そうだ」 遊馬は再び卵に耳をつけ、その表面を優しく撫でた。顔が自然と綻んだ。 「すっげー…。感動」 卵を抱えて家に帰った。アパートのドアの前には凌牙がしゃがみ込んでいて、俯いてぶつぶつと何かを呟いていた。 「シャーク」 遊馬が声をかけると顔が上がる。 「見て、オレの子ども。宇宙の赤ちゃん」 凌牙は遊馬と遊馬の抱えた青い卵を交互に見比べたが、ポケットからハンカチを取り出してまだ水色の水に濡れている遊馬の顔を拭った。 「ありがとな」 礼を言うと凌牙はほんの少し表情を和らげ、また膝を抱えて顔を埋めた。 帰り道に鉄男たちと会った。デュエルをした帰りだったようだ。皆集まってきて遊馬の抱えた卵を見た。 「宇宙の卵」 「からかってんのか」 「全然。孵化したらみんなで遊びに行こうぜ、新しい宇宙」 「遊馬くんはいよいよ人間離れしていきますねえ」 委員長が呆れたように言う。 「でも新しい宇宙なんて、キャット素敵」 「私も行ってみたい、新しい宇宙」 小鳥とキャッシーは肯定的だ。 「新しい宇宙なら観光開発のチャンスウラ」 徳之助は相変わらず考えることが小賢しいが、遊馬は微笑んでオレの子どもだからそういう無茶は駄目、といなす。 「遊馬の子ども…?」 小鳥が不思議そうに尋ね返す。 「オレ、こないだから風也と付き合っててさ」 「ええーーー!?」 友人たちには宇宙の卵よりそっちの方が問題だったらしい。道すがらさんざん質問された。インタビューされる芸能人みたいだ、と遊馬は苦笑した。 朝出たばかりの家が懐かしくさえ感じる。ただいま、と声をかけるとオボミが出迎えてくれた。 「オカエリ、ヘタクソ」 「姉ちゃんは?」 「シゴト、シゴト」 「ばあちゃんは?」 「ダイドコロ」 「なあ、オボミも新しい宇宙ができたら行ってみたいか?」 「アタラシイ、ウチュウ?」 オボミは不思議そうに目をちかちかと点滅させ顔を回転させる。 「この卵は宇宙の赤ちゃんなんだ」 「ウチュウ、ウチュウ」 「最初の宇宙旅行は、オレたち家族で行こうな」 「遊馬、風也はどうなる」 尋ねるアストラルを遊馬は振り返り、にっかりと笑った。 「勿論! 風也はオレの彼氏だからな」 遊馬は台所でばあちゃんに、ただいま、と声をかける。 「おや、おかえり遊馬。遅かったねえ」 春は振り返り、割烹着の裾で手を拭く。 「もうちょっとで夕飯だからね」 「ごめん、ばあちゃん、もう一人分増やしてもらっていい?」 「お客さんかい?」 「彼氏呼ぶんだ」 「おやまあ!」 電話をすると風也はヘリで九十九邸の上空に現れ庭に飛び降りた。撮影スタジオから直行したのだろう、エスパー・ロビンの格好のままだ。驚いたのは明里だった。再びの質問攻めと賑やかな食卓。アストラルは久しぶりに美味しそうな食卓を「うっ」と言うこともなく和やかな表情で見下ろしていた。 食後、全員でサンルームに座り、真ん中に置いた宇宙の卵の音楽を聴いた。明里でさえ懐疑的ではなく、存外すんなりとそれを受け入れた。 電気を消し、月明かりに輝く卵を見つめる。 「アストラルが、そこにいるの?」 風也が卵の上を見上げる。 「うん」 遊馬が頷き、それを受けたアストラルも見えないと分かっていながらも風也に向かって頷きかけた。 風也は遊馬の手を握った。遊馬もそれを握りかえし、再び宇宙の卵の音楽に耳を傾けた。 ステンドグラスの向こうには丸く大きな満月が昇る。その光を浴びながらアストラルが卵の歌う音楽を口ずさんでいた。遊馬はそれを風也や家族に教えようとして、開きかけた口を噤み胸の中にじんわりと微笑みを仕舞い込んだ。もうちょっとだけ、アストラルを独占する喜びを楽しもうと思った。それを知ってかアストラルは遊馬に向かって微笑みかけ、ゆうま、ゆうま、と歌詞をつけて新しい宇宙の歌を歌った。
2012.5.8
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