ナイトホークス ティーンエイジャー・ラヴァーズ 「遊馬のことが好きだからさ」 ナイトホークスという名前のダイナーはハートランドシティの中でも海浜地区の倉庫街にほど近い。僕がこんな店を知っているのは同じ地区にスタジオがあるからだ。 夜の鷹は夜更かしする人という意味も持つ。その名の通り、僕が遊馬を連れて店を訪れたのは中学生が外を出歩くには相応しくない場所で、遊馬も 「ここお酒を飲む店だろ、大丈夫なのか?」 と心配そうな顔をしたが、マスターはミルクだってクリームソーダだって出してくれる。夕飯を済ませていたはずの遊馬もこれは別腹だ。カウンターに腰掛け、僕らはまず早速クリームソーダで乾杯した。 午後十一時。閉店の一時間前。店の明かりは煌々と点いているけれども、そして明かりはシャッターの下りてしまった通りに明るい光を投げかけるんだけれども、歩く人影はもうないし、野良猫の姿だって見かけない。明るいのは店の中だけだ。人がいるのも。 顔を覗き込んだ僕がにっこりすると、 「マジ!?」 遊馬は大声で叫び唾を飛ばす。 汚いなあ、と言いながら僕は遊馬の口の周りについたアイスクリームやソーダの泡を拭う。しかし遊馬は口元を拭い終わるのも待ちきれない感じで畳みかける。 「え、好きってどれくらい?」 「どれくらいって?」 「好きって言ってもさあ、色々あるだろ。オレだって姉ちゃん好きだし、鉄男なんか親友だから好きだし、居候してるオボミのことだって好きだし、デュエル好きだし、あ、それとお前の番組、異次元エスパー・ロビン、あれだって好きだもん」 「キミの見えない相棒とか?」 「ああ、アストラル? こいつのことも好きじゃなきゃ朝から晩まで一緒に暮らせないって」 遊馬はちらりと窓の方を見る。実際に見ているのは窓ではなく傍らに浮かんでいるというアストラルで、僕も姿は見えないけれども遊馬と同じ方向を見る。 「ロビンのファンになったの、こいつが先なんだぜ」 夜中の再放送も全部制覇したもんな。あの時は寝不足だったぜー、と遊馬が笑う。 「そんなに熱心なファンなら、僕も話してみたいな」 「それができねーんだよ。しようと思ったらオレたち合体するしかねーんだけど、なんか凄えデュエルしなきゃなんねーから、地球が幾つあっても足りないんだ」 「何だい、それ」 合体? すると遊馬は、うん、オレたち合体できるんだよ、と当たり前のように言った。信じる信じないじゃない。何だか羨ましい。 「それよりさ、風也」 遊馬は身を乗り出す。 「他にはどんな時にオレのこと考える?」 「知りたい?」 「興味あるじゃん」 遊馬の目は屈託がなくて、僕の言葉をどれだけ真面目に――真面目は真面目なんだろうけど、そういう意味で――受けとめているか分からない。戸惑いがないんだ。 だから僕も素直に遊馬の質問に答えることにする。 「そうだな、朝目が覚めた時。ご飯を食べる時。時々ここで晩ご飯を食べるんだけど、その時も考えてるよ。それからトイレの中。台本から顔を上げて不意に休憩する時もキミのことを思い出す。寝る前も勿論。夢の中に出てくればいいと思うけど、なかなかそうはいかないな。ロケバスの中でも思い出すし…、それに人には言えないような時もね」 「人には言えないって?」 「それは遊馬にも言えない」 「えー、教えろよ」 「秘密」 ウィンクすると、ケチ、と言いながら遊馬が笑うので、僕もつられて笑った。 「ね、ね、ね、何でオレのこと好きなの? いつから?」 「ゴシップ誌のインタビューみたいだな」 「気になるじゃねーか。だって自分のこと好きって言われてみろよ、テンション上がるぜ?」 「僕が、本気の好き、でも?」 「本気の?」 「僕は男だけど、遊馬が自分と同じ男でも遊馬が好きだ。僕は遊馬と手を繋ぎたいしデートしたいって考える。そういう本気」 すると遊馬が何かを言いかけたような口のまま固まって、いよいよ目を丸くした。 店内にかかっているラジオの深夜放送の音が急に遠のく。マスターがちらりと僕らを見る。心配してくれているんだ。でも僕は構わない。遊馬がどんな答えをしようとも。失敗を怖れずチャレンジすること、それがかっとビング、だろ? それを教えてくれたキミが答えてくれるなら、僕はどんな答えも受け入れる。 「スッゲ」 小さな声が呟く。 「マジ? なあそれマジ、風也」 遊馬は早口で畳みかける。 僕は遊馬の目を覗き込む。 「冗談でこんなことは言えない」 「スゲェ…」 遊馬の目はきらきらと輝き始めた。 「オレ、初めて告られた」 くぅーっと遊馬はテンションの高まりを抑えられないような声を上げ、足をばたばたさせた。靴が止まり木を蹴り、マスターがふっと笑って目を逸らした。 「遊馬」 僕は肩に手を置くが、遊馬は落ち着かないらしく顔を間近まで近づけて、それで!と勢い込む。 話し出す前に僕は新しくコーヒーを注文した。遊馬のにはミルクと砂糖をたっぷり入れて。運ばれてきた僕のブラックコーヒーを遊馬は珍しそうに見つめ、ちょっと飲んでいい、と尋ねる。促すと躊躇いなくカップに口を付けたが、半口も飲まないで離してしまった。苦い、と顔をしかめている。 「よくこんなの飲めるよなあ」 「夜の撮影で眠気覚ましに飲むんだ。美味しいっていうより苦いけど」 「ほんとだぜ…」 遊馬はカフェオレで口直しをする。カップの中身がぐっと半分減ったところで、僕は口を開いた。 「初めて会った日から惹かれていた。キミは僕にないものを持っていたから。キミが羨ましかった」 「誰だって違うのは当たり前だろ。それにオレは風也みたいに芸能人でもないし、エスパー・ロビンにはなれないんだぜ?」 「キミのそういうところも、僕が好きなところなんだ」 いやあ、それほどでも、と遊馬は照れるが真面目な話だ。 「僕も、母さんがいるとは言え、芸能界で過ごしてきたんだ。色んな人がいるのは知ってるよ。僕より演技が上手い人、仕事とプライベートを両立させている人、色々だ。でも僕は遊馬のことが強烈に羨ましかった。自分が生きる道を決めている、しっかりそれを見据えている」 「…オレだって最初からそうだった訳じゃないさ」 「ああ。だからこそ、僕はキミに惹かれたのかもしれない。遊馬にも、キミの人生を変えた人がいるんだろう?」 「ん」 カフェオレを一口飲み、遊馬は答える。 「父ちゃんかな」 「僕はね、例えば歯を磨いている時にキミを思い出す」 「歯磨き?」 「歯を磨いている最中、電気を消してみるんだ。洗面台が暗くなる。別の部屋は明かりがついているけど、それも遠い。僕は暗闇の中で鏡を見る。最初は目が慣れていなくて真っ暗だ。昔の僕なら怖がって悲鳴を上げていたかもしれない。母さんが駆けつけて電気を点けてくれるまでしゃがみこんで震えていたかもしれない。でも、今の僕はもう平気だ。鏡の中に自分の顔がぼんやり浮かんでくる。白い歯が見える。僕は歯磨きをしながら鏡の中の僕が強い視線で僕を見ているのを知る。その視線は僕のものでもある。でも同時にキミの視線だ。初めて会った日、デュエルの時、僕のことを真っ直ぐに見つめてくれたキミの視線。僕の目の中にはキミの視線が入っている。僕の肌はもう暗闇の中でも鳥肌を立てない。キミのことを考えると怖くなんかないから。キミは僕の目も、僕の身体も、僕の心も作りかえたんだよ、遊馬」 「……はあああ」 僕が言い終えると遊馬が大きく息を吐いた。僕が喋っている間息を止めていたのだ。顔が真っ赤だった。 「うっはあ」 真っ赤な顔が笑顔に変わる。 「スゲエ。風也、スゲエや。それ、お前だけじゃないんだぜ!」 その時、アストラルが何か言ったのかもしれない。遊馬はまた斜め上を見上げて、そうそう、うんうん、と相槌を打つ。 「何だい?」 「アストラルはさ、最初ロビンのことが好きでお前が演技してるって知らなかったし、オレはそもそも興味なかったんだけどさ、でも実際に風也に会って、最初から蜘蛛を怖がったり情けないとこ見てるけどさあ、でも別に呆れたり幻滅したりしなかったし、むしろ風也だからオレもロビンのこと観始めて、ロビンのことも好きになったんだ。演技だって分かってるけど、ロビンが格好良いと風也も格好いいって思うし、格好いい風也すげえって思ったし……オレもさ、お前と会ってちょっとずつ変わったんだよ。そう、オレだけじゃなくてアストラルも!」 「僕がキミを…?」 そんなことは考えたこともなかった。僕は遊馬のお蔭で少し強くなれたけど、今でも素手で蜘蛛を掴むことはできないし、WDCだって予選で敗退してしまった。遊馬はどんどん先へ進んでゆく。デュエルに勝利し、アストラルと合体――ほんと、合体ってどういう意味だろう?――し、未知の世界に飛び込んでゆく。 僕は、僕が一方的にキミのことを好きなんだと思っていたのに。 「凄いね」 「何が?」 「キミといると一瞬一瞬新しい何かが生まれるみたいだ」 「あったりまえだろ!」 指が鼻先に突きつけられる。 「一秒後は全部未来なんだぜ」 深夜ラジオが最後の曲を流す。店内に少し寂しい空気が流れた。離れたカウンター席の人が立ち上がり紙幣を置く。グラスはもう空っぽ。遊馬のカップも。僕のカップには底の方に少しコーヒーが残っている。立ち去りがたいけど、魔法だって解ける十二時だ。 僕らは惜しみながら店を出た。海浜地区のだだっ広い通りに店の明かりが煌々と落ちる。マスターはカウンターから出てデッキブラシで床を拭き始める。僕と遊馬は明るいガラスの壁の前に立ち止まり、もう少し喋る。 「今度、また誘ってもいいかい?」 「当然!っていうかさ……」 急に遊馬の顔が赤くなった。 「もうそういう風に聞かなくても、飯食おうとか普通にオレに電話すればいいんじゃねーの?」 「…ん?」 「だから…!」 遊馬が赤くなってモジモジしている。照れているのだ、と気づいて僕も赤くなった。 「遊馬…」 「お前が告白したからさあ、オレたちもう付き合ってんじゃねーの?」 「キミ…まだ返事をしてないよ!?」 「え!そうだっけ!?」 僕は笑い出す。真夜中の空っぽな通りに僕の笑い声が響く。いつの間にか遊馬の笑い声も加わって二重奏だ。もしかしたら遊馬の耳にはアストラルの笑い声も聞こえているのだろうか。アストラルも、僕らを見て面白いと思っているかな。 「オレも風也のこと好きだぜ。男だからとかまだよく分かんねーけど、風也が好きなのは嘘じゃねーんだ。だから」 遊馬はぴしっと背筋を伸ばして胸を張り、親指で自分の胸を叩いた。 「オレ、今日から風也の彼氏な!」 「じゃあ僕は?」 「風也はオレの彼氏で…アレ?」 言いながら遊馬は混乱したように上を見上げる。 「え…? どっちかが彼女になるの?」 「彼氏。いいじゃないか、どっちも彼氏で」 僕も親指で自分の胸をトントンと叩く。 「おう!」 元気よく返事をした遊馬は今が真夜中だということも忘れさせてしまう。日付が変わったばかりだけど、もう光が射したような、新しい日が始まった気分だ。 モノレールの駅に向かって歩きながら、ふと遊馬が僕を見る。 「手、繋ぐ?」 「…早くない?」 「オレは、もう繋いでみたいけど」 街灯の下、遊馬の手が差し出される。僕はその手を握る。 遊馬の手は熱かった。汗をかいていた。 駅前には終日営業の店が看板を輝かせている。窓からは真夜中なのにドーナツを食べる人の姿も見える。色んな人の時間が流れていて、いつの間にか新しい日が始まっている。だけど僕は、この新しい時間の始まりを知っているんだ。そう思うと誇らしくて遊馬の手を強く握った。遊馬もぎゅっと握りかえした。ぎゅっぎゅとやるうちに腕相撲みたいなことになって、結局笑いながら手を離す。二人とも手が真っ赤になっていた。 その時、駅から出てくる人影に僕は気づいた。他にも人はいたのに、その二人には気づいたんだ。勿論、知った顔だったからなんだろうけど、センサーが働いたみたいだ。 僕がWDC予選最終日に戦った相手。 ゴーシュ。そして傍らにいるのは、あの時も僕たちのデュエルを見ていた元運営委員のドロワだろう。 「ゴーシュ!」 声を上げたのは遊馬だった。 俯いていたわけではなかったが、ゴーシュはその声にハッとしたように視線を上げた。 「遊馬、それにお前は…」 「久しぶりですね」 「ロビンか」 「今は奥平風也です」 「いいのか、お子様がこんな時間に出歩いて?」 ニヤニヤ笑うので、今から帰るところですよ、と答える。 「あなたがたは仕事の帰りですか」 「ああ、ちょっとな」 ゴーシュの背後でドロワが視線を逸らす。 「ところでお前ら随分仲良さそうじゃねえか。もしかしてデートの帰りか?」 「よく分かったな」 遊馬が驚き、それに対して更に驚いたのがゴーシュだ。僕は溜息を留めて笑みを浮かべる。本当に遊馬は屈託がないんだから。普通隠そうとするものなのに。 でも、すげーだろ、とゴーシュに向かって僕のことを自慢する遊馬は自分の好きという気持ちに恥じるところがないんだ。そういう真っ直ぐな感情が、太陽のような明るさが、僕の未来を照らしてくれる。 「いつからだ、予選のデュエルの時からそうだったのか?」 ゴーシュは本当に驚いているらしく、顎を掻きながら尋ねる。 僕も遊馬の隣に並び、胸を張って答える。 「ついさっきから」 「できたてホヤホヤか」 その時、何も言わなかったドロワが淡く微笑を浮かべるのを僕は見た。それは少し物悲しい微笑みにも見えた。 「あなたたちは?」 「そうだ、WDCも終わったし、もう仕事じゃないんだろ?」 「あのなあ遊馬、大人ってのはイベントがあろうがなかろうが仕事してるんだ。覚えとけ」 ゴーシュは大きな手で遊馬の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。 「どこかに出掛けていたんですか?」 僕が尋ねるとゴーシュは遊馬から手を離し、まあな、と静かに答えた。 「旅行? 二人で? あんたら付き合ってのか!」 遊馬は遠慮無く核心を突き、ゴーシュの後ろでドロワが目を見開く。触れられたくない話題なのだろうか。 しかしゴーシュはドロワの肩を引き寄せると、堂々と答えた。 「ああ。ついさっきからな」 ドロワの白い顔がさっと赤くなって目が潤んだ。それを見た遊馬があてられたように赤くなって、唾を飲み込む。 「さてと、それにしたって夜更かししすぎだぜご両人」 とゴーシュが言う。本当だ、このままだとモノレールがなくなってしまう。 僕は固まったままの遊馬の汗ばんだ手を掴み、軽く引っ張る。 「それじゃあ、また」 ゴーシュも軽く手を上げる。 「…今度はタッグデュエルしようぜ、オレたちで!」 駅前の広場に響き渡るような声で言った遊馬はテンションが上がったのか、いつまでも振り返って手を振った。僕が振り返るとドロワがゴーシュに向かって何かを言っている。でも、きっと彼女も怒っている訳じゃないんだろう。 「ねえ、遊馬」 モノレールの中で僕は言う。 「何?」 「彼らとのデュエル、僕も今から楽しみだよ」 「オレもオレも! あいつ超強くてさ、WDCでも…」 アストラルが言葉を挟むのか、会話は不思議なテンポで続く。 いいなあ、アストラルの声は遊馬にしか聞こえないんだ。独占じゃないか。微笑みながらも僕は羨ましい。 僕らはモノレールが駅に着くまでデュエルの話を続ける。恋人同士の会話はまだ分からない。でも僕は好きな人と好きなものについて好きなだけ喋ってるんだ。みんな寝てしまっている、この十二時過ぎに。すごく素敵だ。 そうだ、アストラルは遊馬の相棒かもしれないけれど。 僕の恋人はみんなを幸せにするデュエリスト。 九十九遊馬って名前の、時々宇宙人と合体したりする中学一年生だ。
2012.5.6 光景のイメージ元はエ/ド/ワ/ー/ド/・/ホ/ッ/パ/ーの「ナ/イ/ト/ホ/ー/ク/ス」。
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