マルチバースの周波数に乗せて




「終末を二人で」感想文(アス遊)


 運命が最終的には全てを善の方向へ押し流すのだと、そういう希望を持つことこそ人間だったのかもしれないし、遊馬という人格だったのかもしれない。それが希望と呼ぶものだったのかもしれなかった。あの世界では。地球という青い星の存在した、あの世界では。遊馬が生まれ育まれ家族があり友を得て愛情を注ぐ相手に――それはデュエルも含めて――惜しみない愛を注ぎ人間として存在してきたあの世界では。
 本当に未来は白紙なのだ、と遊馬は思い知る。思い知った時にはその白紙の只中にいるのだった。そして自分の存在さえもが、その白いキャンバスの一部なのだ。今まで自分の意志こそが絵筆だと信じてきた。挑戦し続けることで鮮やかな現在を描いてきた。きっと…それは多分…間違いがない。しかしその全てがもう記憶で、形のないもので、なぜなら地球は、あの青い星は、ハートランドシティの家があり家族があり小鳥が鉄男がシャークが委員長がキャットちゃんが……いたあの世界はもうどこにもないから。
 残っているのは、またいつか星になるのかもしれない塵とガスのぼんやりした塊。よく見えない。元の形も思い出せない。だって地球を外から見たことなどなかったのだから。アストラルの身体にしがみついて、かたく目を閉じる。
 でもここは白紙の世界で、多分オレは何でもできて、アストラルも何でもできるはずで、オレたちは宇宙にも縛られない自由な未来を描けるってことなんだ。多分。
 青い海を作ることも。風の渡る草原を作ることも。世界そのものに魔法をかけて好きに彩ることができる。
 好きに?
 懐かしい。亡くしたばかりのものたちが今強烈に懐かしくてたまらない。亡くしたばかりだからだろうか。目の前から消えてしまったショックから?それともこれから長い時間その喪失を思い知って――オレは今宇宙に浮いているけれど一体どうなってしまったんだろう。寿命はあるのかな。この手は人間の手みたいだけどちゃんとあたたかいんだろうか。この身体もアストラルと同じようになってしまうのだろうか。
 何も分からない。
 分からないからきっと何にでもなれる。
 自分のしっぽを飲み込む蛇のように思考はぐるぐると同じところを回転する。
「遊馬」
 優しい声が自分を呼ぶ。アストラルの声はこれまでのどんなものより穏やかで優しく情に満ちている。オレのことを考えている。オレだけのことを考えている。
「遊馬」
 優しく背中が撫でられる。ああ、アストラルの手は優しい。これからこの手が未来を描く。オレと共にと望んだ世界を。遊馬の中で未来へ向かっている感情はただ一つだけだった。アストラルが好き。オレもお前のことが好き。好きだよ。
 涙が流れている。あたたかく溢れ出した涙は、小さな雫となってこの美しい世界に散ってゆく。嗚咽は漏らさず、涙だけこぼした。漂うそれは遊馬を抱きしめたアストラルの目の前にもきらきら光って、彼がまた声もなく優しく笑った。



創世記(遊アス)


 光あれという言葉と共に世界が生まれたのだとすれば、この瞬間何かが始まっているのであり、それが新しい世界であれ、宇宙であれ次元であれ、混沌茫漠たるここを一条の光によって世界たらしめたのは自分でありアストラルである。
 こんな難しい言葉はオレの辞書には入ってなかったはずだけど、と思ったがアストラルの姿が光が自分を照らし、また自分の瞳がアストラルの姿をアストラルたらしめているこの状況は、まあそういう感じなんだろうな、と思った。たとえばこの世の最初の本に書き残すとすれば。
 光があり色があり、世界が二人を中心に作られる。多分オレの光が太陽で、それを反射させて輝くのがアストラルだから、ああアストラルは海なんだと思うと懐かしさと愛しさはとめどなく溢れ、遊馬の表情を笑みに変えた。
 手を伸ばすと、互いの腕が交叉するようにアストラルも手を伸ばしてきて、それぞれ相手の頬に触れる。
 もう鼻先さえくっついてしまいそうな距離であるのに、それでもまだ足りないのだった。
アストラルの表情は鎮まりきった水面のように初めは冷たく、その視線だけが真っ直ぐに遊馬を捉えていた。
 しかし遊馬が笑みを浮かべると、海が陽の光を反射するように、その表情にも変化が表れる。かすかな感情の波、その最初のひと揺れ…。
 やがて映し合うのは表情だけではなく、その仕草も指先にも互いの心が宿る。
 遊馬の耳に触れる海と同じ温度の指先には、かすかな笑みの下に湛えられた心が宿り満ちていた。その優しさに感じ合う遊馬の肌から体温がその指先へ移る。遊馬は自分だけの海へ手を伸ばす。
「おかえり、アストラル」



寒い朝(遊アス)


 シーツの隙間に雨音が入り込む。寒さで目が覚めた。毛布が一枚、ベッドから滑り落ちている。寝相はいい方ではない。遊馬は手を伸ばして毛布を引き寄せた。まだ朝早いのは分かっていた。
 冷えた身体はなかなか温まらず、肩から忍び寄る冷たさは心まで食い込む。瞼を閉じても開いても同じ色の闇。雨音が直接心に染み込む。
 手が皇の鍵を掴んだ。求めるように強く握りしめる。すると金色の霧が一瞬視界を覆い、瞼を開いた遊馬の世界に確かな存在が姿を見せる。
「おはよう遊馬、今朝は早いな」
「馬鹿ちげーよ、早すぎんだよ」
「早速不機嫌なようだが、覚醒したばかりのせいか?」
 遊馬は言葉通り不機嫌をあらわにしアストラルを睨みつけたが、それ以上の言葉は重ねない。アストラルもまた黙りこみ、じっと遊馬の目を見つめた。
「…君が私を呼んだ…?」
 黙秘を貫く遊馬に、アストラルも頬を緩めた。ベッドの端に腰掛けるふりをする。遊馬は手を伸ばす。触れられない肩に。しかしアストラルは遊馬の手の誘うように身体を横たえた。
 シーツの隙間から雨音を追い出し、アストラルで満たして。遊馬はもう一度目を閉じる。アストラルはその手で優しく遊馬の耳を塞いだ。



終末シミュレーターのキス(遊アス)


 私の記憶を連れて行ってくれ、とアストラルは言う。君と私の記憶を、君と共にあった私の感情を。
 記憶とはセックスできねーよ、と遊馬が唇を尖らせるので、それに自分の唇を触れさせる。キスなんかじゃ誤魔化されない、と言いたいらしいが結局目先のキスに一生懸命になってしまうのが遊馬だ。
 触れた部分から直接感情が伝わってくる。気持ちよさを共有し、感情を交感する。今にも溶け合えそうなのに、このまったきに満たされた時間の終わりがアストラルには見えていた。それを予測し得るほどに彼らはナンバーズを手に入れてしまった、アストラルは記憶を取り戻してしまった。
 この先のデュエルで相手の持つナンバーズが一斉に流れ込んでくれば…。
 本当に目覚めた自分がこの感情を保っていられる保証はない。そしてアストラルにはその自信もない。取り戻した記憶の向こうに感じるかつての自分は、完璧な自分はもっと大事なものを抱いている。そのためならば自分の存在だけでなく、遊馬の手さえ離してしまうことも辞さない冷たく澄んだ瞳が未来に待ち受けている。
 感情を得てしまった、私はそれに溺れてしまった、アストラルは胸の中で愛しげに呟く。遊馬、君の腕の中で溶けてしまうことができたら。君の感情も快楽も痛みも一緒に感じていたい。君が一心同体と呼んでくれたその通り、そのままに。君の皮膚になって、心臓になって、血液になって。
 遊馬、とアストラルは唇を離す。濡れた唇を遊馬がぺろりと舐める。優しいくすぐったさにアストラルは微笑み、もう一度遊馬、と呼ぶ。
「私を連れて行ってくれ」
「ああ、一緒に行こう」
「世界の果てを君と見たい」
 私の感情を抱きしめてくれ、私の記憶を。君の中に息づく私を。その掌にキスをしてくれれば、きっと私は気づくだろう。感情も記憶も全て大きな奔流に呑まれた後の私でも、きっと君のぬくもりだけは忘れはしないはずだから。



オール・ユアセルフ・イズ・マイン(アス96)


 暗闇の中でなら分かる自分の輪郭が光に包まれて分からなくなる。ナンバーズ96はまばたきを繰り返し、それでも明瞭にならない視界に混乱した。持ち上げた手は軽すぎて本当に持ち上げることができたのかも分からない。目の前に掌が見えないのは光の飽和したこの眼のせいか、手は持ち上がらなかったのか、上がりすぎてどこかへ飛んでいってしまったのか。
 それとも最初から持ち上げる手などなかったのか。
 かつて自分の中に溢れていた力が抜け出てゆく。光の中で霧は薄く消えてしまいそうになっている。この光、自分を包む光をナンバーズ96は知っている。懐かしい、懐かしい、懐かしい。どれもこれも、何もかも。何故なら自分はこの光を構成する一部だったからだ。光の為の闇だったからだ。記憶は繋がり合い、物語を紡ぐ。オレはシナリオの一部だった、最高のシナリオの。自分がたかが数行のト書きであったとは認めたくない。何故ならナンバーズ96には自我がある。感情も、衝動も、意志も。この腕をふるうのも、言葉一つ発するのだって自分の意志によると思っていた。
 見えない。
 分からない。
 聞こえない。感じられない。何もかも光に塗りつぶされる。心のありかさえ見失う、思考が。
 考えることさえ途切れ途切れの空白に侵蝕され、96、96、ナンバーズ96は自分の形を保とうと。
「まだ抗うのか」
 声が響く。
 その振動に茫漠とした光が輪郭をなす。
 控える異形の姿たち。懐かしいシルエットだ。それらはナンバーズ96が目視すると光の霧のように散り、最後に残ったのはほっそりとした身体。ナンバーズ96と鏡映しのような姿。むしろ鏡のように映したのはナンバーズ96の方だったのだ。
 全てのナンバーズのオリジナル、本体。
 アストラル。
「戻って来い。私の一部となれナンバーズ96」
「オレは…貴様ではないアストラル」
「お前は私の記憶の一部だ。自我と思っているものも、私の感情の振れに過ぎない。それはお前のものではない」
「…っ、オレは」
「お前は私の96番目の記憶。お前の記憶も感情もお前のものではない、私のものだ」
 アストラルが手を伸ばす。ナンバーズ96は自分もそれを掴む手を持っていることに気づく。
 ナンバーズ96は手を拳に握りしめる。絶対に、あの手は取らない。取ってはならない。その瞬間、オレは消える。オレはオレでなくなる。自分はオリジナルを超えることのできる最強の存在なのだ。オレはシナリオの全てたることができる、その力がある。その証明さえ。
「ナンバーズ96」
「違う!」
 そう叫んだ瞬間ハッとする。視界がクリアになる。アストラルの金色の両眼が自分の瞳の奥底まで見つめる、視線が身体の内部まで這入り込む。
「ナンバーズ96」
「オレは…」
「私の中に戻って来い。私と一緒になれば、お前は完璧になれる。お前の記憶が私を完璧にするように、私もお前を完璧にしてやろう」
「オレ、は…」
「アストラル」
 両手が差し伸べられた。
「お前は私だ、アストラル」
 96は個体を示す名ではなく、記憶に割り振られた概念となる。持ち上がった黒い手は、銀河のような水色の光に飲み込まれ、溶け合う。溶け合う光が流れ込む。混ざり合う。空白が埋まり、欠けたものはなくなり、まったき平らかな水面に一つの身体が浮かび上がる。
 アストラルは己の胸に指を触れさせ、目を細めた。
「おかえり」



LOVELOVEデストロイヤーズの失敗(96遊)


 眩しく鮮やかな光をたたえた海を、ナンバーズ96は呆然と見下ろす。遊馬の姿は、呑まれた。決して濁ってはいないのに、その水面下にはなにも見えない。呑まれる、とはそういうことだ。
 アストラル世界というこの透明で巨大な生物の一部となり、取り込まれる。眼下のアレに触れて、個を保つことなどできはしない。ナンバーズ96であってもそれは同様であり、彼はそれの一部から生まれたものであるからこそ知っている、解っている。
 自分が思考するよりも速く、そして膨大な量の情報が海の中では行き交う。その表現は正しくないかもしれない。海のように見えるあれは巨大な一個の生命体なのだ。
 答えが出たのだろう。水面が変化する。海の上に、発光しない人影が立つ。
「…遊馬!」
 ナンバーズ96はそこに向かって急降下した。
 遊馬、だ。吐き出されたのか。本体は遊馬を取り込むことを拒否した?遊馬がその力で個を保ち浮かび上がることができた…?
「遊馬…」
 遊馬は顔を上げる。その瞳の色を見た瞬間、ナンバーズ96の全身を痛みが貫いた。衝撃だが、痛みだった。ナンバーズ96は絶望という感情の名を知らない。
 だから金色の瞳に見上げられる、それは痛みだった。
「アストラル」
 遊馬の形をしたそれの口が動く。
「ナンバーズ96」
 遊馬の声だ。しかしナンバーズ96には分かる。もうそれが遊馬でないことが。あの脆い肉体を持ち、赤い血を流す遊馬でないことが。その思考さえ、目の前のそれには筒抜けだ。それは笑ってみせる。アストラルに似た笑み。本来の遊馬でさえ見たことのなかった笑みを浮かべる。
「お前の仕事は結果的に不十分だった。しかし、ここまで来れば私にも対応ができる。そのためにはお前の記憶とナンバーズが必要だ」
 遊馬が手を伸ばす。
「さあ」
 ナンバーズ96が身体を引くと、遊馬の形をしたそれは、さあ、と繰り返した。
「お前が遊馬を取り戻したいと願うなら、私の手を取れ。私は遊馬の肉体ならばいくらでも作ってやることができる。しかしお前が欲しいのは遊馬の魂だな。私はそれをお前に渡すことはできない。もしも取り戻したいと望むなら、私の中から遊馬の魂を探し出して抱きしめるがいい。私には私と遊馬の魂の区別はつかない。見つけ出せるのはお前だけだ。他の誰にもできはしない」
 ナンバーズ96の身体を、遊馬の声が発せられるたびに痛みが駆け抜ける。言葉の一言一言が光の刃となって全身を斬りつけ切り裂く。そしてこの痛みは永遠に消えないのだ。遊馬を失ってしまったならば。






2011〜2012、ツイッターにて