心変わりの花の色




 工場のバイトから帰ってきたバクラは包みを抱えていた。濡れた靴を玄関でひっくり返し、新聞紙!タオル!と叫ぶ。
「叫ばなくても聞こえる」
 了がバクラの叫んだものを持っていってやると、彼は驚いたような顔をした。
「チビはいねえのか?」
「盗賊王と買い物」
 腰掛けた玄関マットの上には、白いビニール袋の包みが転がっている。開いた口から青い紫陽花の花が転がり出ていた。
「何これ」
「もらった」
「誰から」
 誰でもいいだろうが、と不機嫌そうにブツブツ早口で呟き、バクラは新聞紙を濡れた靴に詰め、足をタオルで拭く。見ればズボンも膝から下が濡れている。
「水はねられたの?」
 どんくさい、と笑いながら背を向けると、これ持ってけよ、とぶっきらぼうな声が飛んだ。了は振り返り、半眼を閉じて笑う。
「くれるの」
 バクラは素直に口に出すのが嫌なのか、少し顔を歪めたが、そうだよ、とやっと言う。
「お前にやるから、もらってきたんだよ」
「プレゼント?」
 答えはなかったが、了はバクラの元まで戻り、紫陽花を受け取った。
「ありがと」
 梅雨になってから花を飾ることがなかったので、シンクの下に仕舞ったままだった花瓶を取り出す。紫陽花はほとんど青い花だったが、一輪だけ、端の方が紫に染まっていた。
「酸性だと青、アルカリ性だと赤」
 独り言を呟きながら了は紫陽花を活ける。
 後ろにバクラが立っている。濡れたんならシャワー浴びたら、と振り向かないまま声をかけたが、動く気配はなかった。
「知ってるか…」
「何を」
「心変わり」
 了の手が止まった。振り向くとバクラはすぐ側まで来ていて、了の身体を捕らえ今にも唇を触れ合わせようとした。
「や、め……」
 軽く抵抗したが封じられ、了は目蓋を閉じる。
 バクラのキスは思いの外、あっさりと離れた。耳元で名前を囁かれるが、了はそれさえ、あのカードの名を呼ばれている気がする。やめてよ、と呟くと、好きだ、と囁かれた。
「…ボクが?」
「お前のことが」
 お前の魂も、お前の身体も、お前がカードになっても、とバクラは続いて囁き、了の白い耳を噛む。了は強くバクラの身体を押し返した。二人はしばらく台所に佇んだまま見詰め合っていたが、時計をちらりと見、玄関の鍵が下りているのを視界の端に確認してバスルームにもつれ込んだ。

「じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうしまつ」
 リビングに飾られた紫陽花の花を子バクが数えている。最後の違えだろ、とソファにごろりと横になってビールを飲む盗賊王が笑う。
「はいはい、そこのおっさんみたいな盗賊王、夕食前からやめてよね」
「いいじゃねえか。ずぶ濡れだったんだよ。風邪ひかねえように身体をあっためねえとな」
「じゃあシャワー浴びて」
「あいつが入ってるじゃねえか」
「………」
 了は言い返すことが出来ず、皿に盛った揚げ立ての掻揚げをつまみ食いする。
「ちょうだい」
 子バクが口を開ける。了は笑ってその小さな口に掻揚げを入れてやろうとしたが、今しも子バクが噛み付こうとした瞬間に掌を返して自分の口に放り込んだ。
「…うーあー」
 子バクの顔が崩れる。ソファから盗賊王がたしなめる。
「意地悪すんなよ。らしくねえな」
「あふぃふぁい」
「ああ?」
「…紫陽花の花言葉って知ってる?」
 何だそりゃ、と盗賊王が首を傾げる。
 了は一瞬、艶めいた笑顔を浮かべ、こう言った。
「心変わり、って言うんだ」






2010.6.11