L −エル−

L-5 Lion's dinner, master's dinner




 帰り道も雨が降っていて、夜が来るのが早い。傘を畳んで濡れた手をシャツで拭いながらエレベーターに乗り込む。雨の日のエレベーターは好きだ。特にこの夜になりかけの時間の、暗さが際立つ時は。エレベーターのガラス窓の向こうに何かが見えるような気がする。例えば青白い子供の顔とかだ。
 そんなことを考えていたらエレベーターが止まって、扉の開いたすぐ目の前に子バクが立っていたので僕は声に出さず驚く。
「おかえり!」
「…ただいま」
「やどぬしのかさ、見えた。むかえに来た!」
「ありがと」
 僕は子バクの頭を撫でる。
 と、いつもこの時間帯の子バクならまとわりつかせている夕飯の匂いがしない。つまみ食いでもして追い出されたのだろうか。
「今日の夕飯、何?」
「まだ」
「内緒?」
「作ってない」
 確かに僕は働きに出ているのではなくて、まだ大学生で学費は親から出してもらっているし、このマンションだって僕のお金で買ったものじゃないけれども、僕はここの家主で、あいつの宿主で、腕時計の指す時間は七時をとっくに過ぎている。うん、怒る理由はあると思った。
「で、何やってるの」
「デュエル」
 玄関のドアを開けると、今まさにリバースカードオープン!とオンライン上の誰かを相手にえげつない戦術を披露しているようだった。
 リビングにノートPCを持ち出して悪魔じみた笑みを浮かべエンターキーを押しているのはバクラで、その後ろで缶ビール片手にソファにだらしなく横になっているのは盗賊王だった。
「いいご身分だね」
「おけえりヤドヌシ!」
「何でそんな上機嫌なのさ」
「セトサマが二連敗中なんだよ」
「ほんと何やってんの…?」
 画面を覗き込むと、確かにデュエルの相手は海馬くんで、これでもう五戦目らしい。
「海馬くんも何やってんのー」
 半ば呆れて言うと、スピーカーから、獏良了か!と声が聞こえてきた。
「あ、音声繋がってるの? 元気ー?」
「敵と馴れ合うんじゃねえよ宿主!」
 バクラが凄い形相で振り向くので、へえ夕飯の準備もしてない癖に偉そうなこと言うよねえと口には出さず見下ろすと、我に返ったらしかった。
「まあいいや。すぱっと勝っちゃって」
 僕の科白は火に油を注いだらしかったけど、海馬くんのテンションなんて、いつもそんなものだ。
 僕は冷凍室に取っておいてある手ごねハンバーグを焼き、やる気のない時に買い溜めていたミートソースのもとを更にぶち込んでぐつぐつ煮込む。ご飯が炊けていたのだけは有り難かった。緑のものは包丁を使うのが面倒だったので、レタスを千切って皿に盛り付けた。
 とろ火で三人が来るのを待っていたら、リビングから歓声が上がる。
「勝ったのー?」
 声をかけると、子バクがばたばたと走ってきて
「負けた!」
 と報告した。
 バクラと盗賊王の二人は、夕飯を、ナショナルジオグラフィックのライオンか何かそっくりの勢いで食べ尽くし、今度はデッキ構成について侃々諤々とやり合う。僕は子バクに手伝われながら皿を洗い、風呂を沸かし、久しぶりの家事に従事しながら、どうして急にデュエルを始めたのか子バクから事情を聞く。
 しかし子バクもよく分かってはいなくって、夕方に目を覚ました盗賊王が急に怒り出したかと思うと、アテムくんとデュエルをしたがって(と言うか果たし状を叩きつけようとして)、居場所を尋ねるために海馬くんに電話をしたところ。
「ブルーアイズかっこよかった!」
「よかったねえ」
 何はともあれ、子バクが楽しめる展開になったのなら善きこと哉。
 デッキ構成論争は尽きず止まず、僕は子バクと一緒にお風呂に入り、上がったところでようやく、バスタオルを両手にかしずくバクラが目の前に現れた。
「大変申し訳ございませんでした、宿主様」
 僕はもらったバスタオルで子バクを包み、がしがしと乱暴に拭いてやる。子バクがきゃっきゃ笑いながら逃げようとするので追いかけると、裸でうろつくんじゃねーよ!とバスタオルをもう一枚取ってきたバクラが僕を追いかけ、リビングから「裸?」と盗賊王が顔を出す。
 どーん、と自分で効果音を言いながら子バクが盗賊王に突撃する。
「宿主!」
 追いついたバクラが後ろからバスタオルごと僕を抱きしめる。
「野獣ー」
「いいから服着ろ。お前いくつだよ、年考えろ」
 それから盗賊王を指差して、まだ風呂入ってねえのにチビに触るな、チビも抱きつくな、と怒る。跪いてたのは、ほんの一分もしない前だったのに。

 子バクを寝かしつけてリビングを独り占めしホラー映画を見ていると、シュークリームで御座いますヤドヌシ様、と盗賊王がかしずいた。
「ありがと」
 僕がシュークリームを受け取ると、盗賊王は隣に座り、またえげつねえの観てるなあ、と笑う。
「お疲れ様」
 声を掛けると、盗賊王は不思議そうな顔をして僕を見る。
「今朝から疲れてたみたいだから」
「そうでもねえよ」
「デュエルで発散した?」
「そんなとこか」
 僕が膝を叩くと、盗賊王は素直に横になり僕の膝に頭を乗せた。昼も寝た筈なのに、すぐ寝息が聞こえてくる。
 宿主、と小さな声が聞こえて、見ると、バクラもシュークリームを手に立っている。バクラは僕の膝枕で眠る盗賊王を嫌そうに見たが、僕の足元に腰を下ろし、えげつねえの観てるな、と盗賊王と同じことを言った。