L −エル−

L-3 Loop of sun, morning sun




 自分が赦されていいのかという自覚がない訳ではない。
 ようやく鉄の騒音と振動から開放された夜勤の後は、郊外の国道から見える街の明かりが懐かしく、朝が穏やかなものに見える。東の空に薄く張り出した雲が淡い色に染まり、誰かが雨が降りそうだと言い、誰かがまさかと言い、オレの鼻はまだ遠い雨の匂いをかいだ。
 しかし、マンションに帰り着くまでは降らないだろう。夜勤の同僚は年若い奴か年寄りかのどちらかで、この現場も初日は溝があったが、同じ場で、同じ騒音と同じ振動、同じ寒さや、同じ冗談を共有していれば次第に打ち解けもし、帰りに国道脇の汚い食堂で朝飯を食って帰りもする。
 その食堂は本当に小さくて、床は泥だらけで、しかし朝七時まで開いていて、カレーが安かった。今朝も俺達は「めし・肉・カレー」という手書きの看板に引き寄せられるようにそちらに向かう。そしてカレーを食い、誰かがカツカレーを食った上にビールを入れて気持ち悪くなり、食いかけのカツを皆で奪い合って、残ったビールを店主に奢る。
 そんな時だ、自分が赦されていいのかという自覚が芽生えるのは。
 本当ならば常に思っているべきなんだろう? オレだってオレのしてきたことは逐一、それこそチンケな盗みから人殺しまで覚えているが、高架を作るために鉄骨を組んだり、火花の散る中で大声で怒鳴りあったり、アスファルトフィニッシャの縦揺れの振動に疲れ果てたりしていると、この生きている生活がオレの今の生活で、それで金を稼いで朝飯を食ったり、夕食に肉を饗したり、食卓というものがオレの目の前に存在して、それを囲む、オレと、多分俺を現世に蘇らせてくれた宿主と、オレのもう一つの姿であるあいつと、かつてのオレ達だったチビの四人がいて、一緒にいただきますを言い、白い飯にそれぞれ好みのものをかけ、ああだこうだいいながら飯を食い、食い終わったらそれぞれ俺は仕事に出たり、色々したり、時々みんなで休みを取って平日の海に出かけたりすると、つまりオレ達四人が家族だと思えて、家族のために働いて。
 生きる幸福ってこういうのだったんだろ。だからオレは欲しかったんだ。だからオレは羨ましかったんだ、妬ましかったんだ、憎かったんだ。だってもうオレには未来永劫それを手に入れる機会が訪れないと思っていたし、みんな死んでしまったし、何よりオレがそんなもの欲しくなかったからだ。心から欲しくて、心から唾棄した。
 オレの両脇には爺さんに近いおっさんと、オレより若い髪を染めたぼうずがいて、片方は未成年の癖に飲むからだビールの酷い酔いの匂いがする。おっさんの身体にはもう酔いの匂いが染みついている。オレは家でしか飲まないように宿主と約束させられているから飲まない(いつか、サカズキで酒を酌み交わした話をしたら宿主が紙みたいな顔色をして怒るからオレは本気でビビッて、もう外で飲まないと誓った)。おっさんの手がばしばしとオレの肩を叩く。オレの手はぼうずの背中を撫でている。しょーもねーなと笑いながら、オレはオレが奪ってきたものの価値を知っていると思っていたことを思い出し、オレが奪ってきたものの価値をこの手で知り、オレが奪ってきたものをオレが手にしてしまったことに身震いする。
 ああ、笑いながら、すげえな、これ恐えな、と天下に聞こえた盗賊王様が漏らしそうだ。
 赦される訳がないことは、この恐怖を味わうたびに分かる。でも家で黙って飲んでいると宿主がソファの一人分空けた隣に座って、それから無意味に笑いながらタックルするようにもたれかかってくると、世界で宿主だけはオレを赦しているような錯覚を抱かせて、多分宿主のこの笑顔や、チビのオレを見上げてくる視線や、あいつの沈黙が常に目の前に消えないオレの、罪の証で、オレはそれが心底大切で、そのために働き、オレは酔っ払いのぼうずを担いで店を出ながら、朝日に顔を向ける。
 眩しい。顔を背けそうになる。すると隣でおっさんが朝日に向かって勢いよく手を叩く。二回。
「よっしゃ、帰るか!」
 それが号令のように、それぞれ歩き出す。ぼうずは会社に戻る車に、おっさんは自転車で朝日を背に、オレは太陽に向かって歩く。
 いつか、オレのことも好きだと宿主が言った時、あんまり太陽の光が眩しかったので、オレは宿主が消えてしまうかと思った。でも宿主は消えなくて、まっすぐオレを見て、オレの耳に残った宿主の言葉は太陽に向かって歩くオレの心臓をきつくしばりつけて、オレは足を速める。早く帰る。早く、早く、早く早く早く。宿主とチビとあいつの身体を抱きしめて、で、泥のように眠る。風呂に入っていない、くさいと蹴られても構わない。まあ、今日は。






お題「罪人をつなぐ綱」