螺旋舞踊 ―微弱な同情―




 妙な話だ。オレの足は踊っている。様々な色のタイルを踏みしめ、オレの足は跳ねている。宿主の心の部屋は色とりどりのタイルが敷かれている。その一つ一つに記憶が封じられている。オレの裸足はそれを踏んで、その甘いも、悲しみも、全て美味だと文字通り心躍らせている。馬鹿げた話だ。宿主は再びオレを身に着けた、それだけのことなのに。
 だが、これで歯車は噛み合った。運命は回りだす。もう逃れることなど出来ない。離れることなど出来ない。別たれることなど、この世の全てが許してもオレが許さない。
 扉を押し開く。そこには宿主の姿がある。宿主は拳を握り締め、オレに向かって叫ぶ。
「ボクの中から出て行け!」
 つれねえなあ。オレ様だって傷つくぜ? オレはお前を永遠の宿主と呼んだじゃねえか。
「そんなにオレ様が嫌いか?」
「出て行けよ!」
「聞き分けのねえこと言うなよ」
 オレはその宿主を抱きしめる。宿主は恐怖で喉を笛のように鳴らして、身体を強張らせる。
「お前はもう何も言うんじゃねえよ」
 そう言って唇を近づけると、逃げやがった。まあな。オレは追いかける。鬼ごっこだ。だが、オレ様の腕は長いぜ? オレはどこにいようが宿主の気配が解るし、宿主を見つけ出すことが出来る。
 宿主は青いタイルを踏む。白い後姿が振り返りざまに消える。
「さぁて、どこに行きやがったか…」
 言わせてもらえば、オレ様も伊達に五年以上、この中に棲んでいない。まずは天音。病院の玄関のタイルだ。より辛い記憶に逃げ込むとは、面白い奴だよ。
 ほらな、結末なんざ解ってるのさ。蹲って泣いている宿主は幼い記憶の中のお前じゃない、その記憶から目を塞ぎ、耳を塞ごうとしている宿主自身だ。
 妹一人の死。それが何だ! 一族郎党を目の前で殺されてみろよ。そしてシチュー鍋で煮られる姿を瞬き一つせず見つめてみろ。オレと同じ景色が見えるだろう。
 いや…今だって、オレと同じ景色が見えているだろう?
 この世を恨め、崩壊を夢見ろ。オレとお前の願いは一つだ。
「さあ、オレ様の手を取りな」
 オレは目の前に手を差し伸べる。指の間から涙に濡れた双眸がオレを見上げる。大きな眸がみるみる見開かれて、そして急に宿主は笑った。
「うわぁ、お前も可哀想な奴だね」
 一瞬、ぞっとして手を引こうとすると、宿主は素早くオレの手を掴んだ。
「みんな、死んだんだ?」
 双眸がぐるりと上を向き、宿主はオレではない方向をやぶ睨みに睨め上げながら、しかしオレの手をしっかりと掴んで離さない。
「可哀想、可哀想、可哀想可哀想可哀想、お前可哀想」
「黙れ」
「可哀想可哀想可哀想溶けたねえ」
「黙らねえか」
「所詮、お前の痛みなんか分かるもんか」
 宿主の口だけが無表情に動く。
「僕をこんな所に閉じこめて。お前だって所詮僕の痛みの解ったフリなんだろう?」
 僕たちはもうどこにも逃げられないよ、と宿主は笑い、オレを抱き締める。
 宿主はオレの顔をして笑う。
 オレは自分が泣いていることに気づいて驚く。
「でも、可哀想って言うくらいには、可哀想」
 宿主の手がオレを引き上げる。足が一歩、二歩と踏み出される。オレは後ずさる。今度は宿主が手を引き、オレは一歩、二歩と前に出る。宿主の手がオレを振り回し、オレの身体は大きく揺れる。
 青いタイルの上でオレたちは踊る。うわべの同情と優しさでお互いを騙しながら。






2010.3.2