日常、淡い非日常




《4ばくの世界で、バク獏》

 夢の中かと思った。夕暮れのベランダに了は佇んでいて、大きく両腕を広げていた。何か、小さなものをその指先に抓んでいた。カードだと解った。解って、だから何だこの状況、とバクラはようやく疑問に思った。
 了の身体が軽く反る。テラスにもたれかかり、両手を前に突き出す。その手に持っているものが何か、はっきりと見える。
「ネクロフィアと」
 そうだ。ネクロフィア。青白い肌。冷たい目。オレの切り札。
「心変わり」
 その姿、カードに描かれた心変わりは、バクラの目にはそうと映らない。違う。オレはあれの本当の姿を知っている。あれは白い肌で。闇を背負って。微笑んで。
「さあ、どちらを助けますか?」
 了の身体が軽く揺らぐ。踵がコンクリートの床から浮く。夕闇の向こうから夜の風が吹き、白い髪が、かき乱され、夜の闇が、侵蝕して、コンクリートの床から、足が、離れ。
 足が縺れた。ほとんど這うような姿勢でベランダに飛び込んだ。白い足を掴んで、激しく息を吐いた。
「…答えは決まった?」
 見下ろす目は笑っていなかった。バクラはそれを正面から受け止め、顔を歪めた。
「そんなの、お前を助けりゃ問題ねえだろ」
 宿主、と呼ぶ前に白い腕が伸びてきて、自分を抱き締めた。空の手だった。了の手の中には何もなかった。抱き締められながらバクラは夜空を見上げた。カードが二枚、夜風に舞って、ちょうど消えてしまうところだった。


《4ばく》

 キッチンの少し高い位置についた窓から静かな雨音が聞こえてきて、空は少し明るく、灰色だ。リビングでDSの詰めデュエルに挑戦している三人の為に夕食を作りながら了はデザート用に切り分けた時期の早いスイカをつまみ食いする。雨音は時を刻まない。世界中の部屋という部屋を一つ一つ、雨の中に浮かぶ小舟のように漂流させて、世界のどこへ流れていくとも知れない。テレビをつければ多分、世界標準時が示されていて、面白くないニュースを一時間くらい聞かされるだろう。夕方の雨は優しく、孤独な人々の上に降る。
「オレ様の分は?」
 バクラが顔を出す。
「解けたの?」
「追い出された」
「答え言うからだよ」
 浅漬けにするつもりだったスイカの皮の白い部分と赤い部分の境目を、小さな短冊のように切ってバクラに抓んでやる。大人しく口を開けるので、入れてやった。
「降るな」
 食べながらバクラが言った。
「いいじゃない」
 新しいスイカをもう一切れ、囓りながら了も言う。
「悪くねえよ」
 バクラは食べかけのスイカを了の手から取り、齧りつく。
 背後で軽快な電子音。解けたらしい。
 子バクが満足げにリビングに転がる。盗賊王がテレビをつける。不意に部屋が暗く見える。テレビの画面だけが光っている。青白い光。了は濡れた指を舐め、壁のスイッチを押した。リビングに明かりが灯る。
 バクラがスイカを運んでくる。折しも天気予報だった。明日は晴れ、だそうだ。






2009.7