ワンス・アポン・ア・タイム

ワンス・モア





 バクラとのセックスのあとは悲しい余韻がベッドを満たす。互いに触れ合った皮膚を熱く溶かしてしまいそうだった熱は、汗と共に流れ落ちて、引き留めることの出来ないそれをお互いの身体の中に閉じこめようとするように固く抱き合って、二人は離れない。抜くぞ、と柔らかな声音が耳元で囁くが、了は首を振る。このままでいい、と言い、このままでいて、と言う。バクラはゆるやかにキスを繰り返しながら、性急さのなくなった手でじわじわと強く白い身体を抱き締める。彼は自分がこの似姿を模していた時期を覚えていないが、望めるならば今その姿になって、宿主と呼ぶこの身体を抱き締めたいと思う。肉体を。肉体の中に閉じこめられた魂を。心臓の裏側で怯えるように呼吸する了を。
 結局この世の何物も終わらないものはなくて、バクラは了の中からゆっくりと退く。了はいやいやと子供のように首を振るが、唇を重ねると本当に泣いているのが解った。
「ヤドヌシ…」
「まだ、して」
 瞳の色は哀願と言っていい。涙の膜が、やはり色素の薄いせいで日本人離れをした瞳の色を更に、人あらざる色に滲ませる。
「ずっと、して」
 ずっとは難しいかもしれないが、まだ、できないこともない。ただベッドを覆い尽くす悲しみが、身体を重ねれば重ねるほど深くなるようで、それなら今のまま抱き留めておきたいと思う。このままでは了が沈んでしまう。
 それまで二人を繋いでいた部分が離れると、了はほとんど涙声で、ばか、と言いながらバクラの胸に顔を埋める。しかし二人の鼻には現実の匂いが次第に蘇ってくる。夜の空気の匂い。浅い春のじんわり肌に浸透するような寒さ。汗の匂いの向こうの、洗い立てのシーツの匂い。部屋に染みついた家特有の匂い。窓をかすかに叩く雨の匂い。
「して」
 なのに了はまだ繰り返す。
「お願い、して」
 あの、包丁からクラフトナイフまで器用に扱う指が下りてきて、さっきまで自分の中にあったものに触る。バクラは目を細め、わずかに眉を寄せる。鼻にかかった甘い息。了の指はやはり器用に彼自身を扱い、唇は何度も厚い胸板に押しつけられる。
 吸いつかれ、声が漏れた。
「ヤ…ドヌシ」
 了は返事をしない。乳首に歯を立てられ、今の了ならば食い千切りかねない、と思う。そう思うと軽く興奮が蘇ってきて、興奮を覆うように無条件なほどの了への愛しさが迫る。相手の胸に指を這わせると、少し下の方に傷痕が五つ、数えることが出来た。
 覆い被さり、白い足を持ち上げて大きく開かせると、うっとりと微笑む了の顔がある。バクラは真っ白な足の裏にキスをする。彼は跪き供物を献げる敬虔さで、宿主と呼ぶ少年の中に侵入する。

          *

 かつて。夢のように、昨日のことのように思い出せる。まだ、覚えている。
 素裸のまま心の部屋に放り込まれた。最初からやることは解っていた。だから部屋がどんなに暗かろうが、散らかっていようが、非現実的だろうが構わなくて、とにかくお互いの白い身体を見つけたら引き寄せて唇を重ねるだけだった。もっとも、バクラの遣り方は噛みつくと表現した方がよいものだったけれども。
 それが腕の中に自分を囲い込んだと解ると、途端に甘く触れるようになる。キスの一つ一つを重ねるごとに唇の熱が上がって、目元や耳がほんのり血の色に染まる。
 心の部屋でのこの行為をセックスと呼んでいいのか解らない。錯覚かもしれない痛み。本物ではないかもしれない快楽。しかし痛みも快楽も隔てなく痛点から始まり、脳で処理されるものならば、魂であるだろう自分達二人の行為を、了は、それよりもセックスだろうと思った。
 何かを失う悲しみ。打たれる痛み。甘いクリームが与える幸福。電気信号でも脳内麻薬でもなく感じられるものがここにはあって、時々気を失いながら了は、バクラの触れようとする手が切実に自分を求めているのを見る。皮膚と肉の隙間に潜り込みたいとでもいうように、執拗に、ねっとりと触れる指先。やがて二つを隔てる皮膚が溶けないことを知ると、いよいよ正攻法を講じてくる。
 僕のに似てる、と了は思った。足を広げられ、腰を浮かす。僕のに似てる。同じ身体の形をしているから、当たり前ではあった。しかし了はそれに触れたことがない。手で、口で。触ってみたい、と思った。しかしバクラは触れさせない。自分がそこで反撃に出るのではないか、と怖いのだろうか。バクラに怖いものがあるのだろうか。
 唇にキス。わずかに上の空なのがバレたのか、歯で強く噛まれる。二人は言葉を交わさない。了は耳を澄ます。せめて最後の瞬間に、バクラが何か声を漏らすのではないかと、快楽の波間で耳を澄ませていた。

          *

 キスをする。バクラがかすかに息を漏らすのが聞こえる。両手で包み込んだそれに、大切なもののように優しく、柔らかくキスをする。わずかに唇を開いて口に含んだが、自分でも驚くほどそのことに抵抗がなかった。
「好きって言ったら、おかしい?」
 了は囁く。
「軽蔑とか、する?」
「どうして」
「だって、好き、って」
 思い切って深くまで口に含む。歯が当たって驚いたのはバクラよりも了だった。バクラからは息づかいだけが聞こえる。押しつけるだけだった舌で、恐る恐る舐める。口の中で、形が変わるのが解る。また、好きだと言いたくなった。声には出せなかったので、キスするように吸うと、バクラの声が小さく、聞こえた。
 本当は最後まで飲むつもりだったが、バクラが引き離した。
「もったいねえこと、させんな」
「こっちの方がもったいない」
 キスをされる。
「…汚くない?」
「なんで」
「だって…」
「どうして、きたねえんだよ」
 バクラは笑って了を押し倒す。
「すきだぜ」
 了の顔はみるみる赤くなり、何か小さな声で言いながら目を逸らす。
「ヤドヌシのまね」
 バクラが更に低い声で耳元に囁くと、了は身体を震わせて、そんなの聞いたことない、と呟いた。
 好きだ、と囁く。囁きながら、この想いがそうなのかと思う。
 昔から知っている感情のようにも思えた。それがいつなのかは、しかしバクラは思い出せなかった。




宿主一人称から離れた幕間。日記からサルベージ+少し修正。