最期の会話 静かな場所だった。針の落ちる音も、互いの心音さえ聞こえるかのような静寂だった。 周囲は暗く、足元さえ溶けてしまうかのような闇が浸していた。 獏良はテーブルを挟んで、バクラと対峙していた。 テーブルの上には彼の作り上げたものが整然と並んでいた。古代の王宮、古代の街並み、古代の景色。彼の地の砂の上に、登場人物たる者々の人型が整列している。 「これで全部だよ」 獏良は静かに、独り言のように話しかけた。 「これで全部だ」 バクラの目の前、砂漠の上には一人佇む人形がある。懐かしい似姿。バクラは顔を歪めて笑う。 「上出来だ」 その答えに獏良は微笑み、身体から力を抜いた。 「…これを使って戦うの」 「そうだ」 「三千年前の復讐をするの」 「それだけじゃねえ。ファラオを斃した暁には、この世の全てを盗んで見せるぜ」 「ねえ……」 バクラは顔を上げる。獏良は微笑んだまま、バクラを見つめていた。 「お願いがあるんだよ」 獏良の手が千年リングを握り締める。バクラの手も、自然と千年リングを握り締める。 「ちゃんと、目の前で壊してね」 バクラはわずかに目を見開いた。 獏良の視線は揺るがず、バクラの目の奥を見つめていた。 「もう閉じ込めないでね。全部見せてね。全部、僕の目の前でやってね」 「宿主…」 「僕、目を逸らしたりなんかしないから」 一途な視線が約束を求めている。 「僕、作ったんだから」 白い手が、伸びる。 「僕、お前の宿主なんだから」 幾らかの間の後、バクラは苦笑した。 「ね」 獏良が微笑みで促し、バクラも白い手を伸ばす。 二人の指先が今にも触れ合おうかとした刹那。 「宿主」 バクラが低く囁いた。 指が。 切れたのかと思った。冷たい壁のようなものが指先に触れた。しかし獏良にはすぐ、その正体が解った。だから掌を一杯に開いて伸ばしたが、それはもうバクラには届かなかった。壁のようなものが二人の間を隔てていた。 「バクラ!」 叫んだ瞬間、周囲が軋んだ。駄目だ、と思い拳で叩いたが効果はない。 このままでは閉じ込められる。 また、あの心の部屋の奥底に。何も見えない。何も聞こえない。何も知ることの出来ない牢獄に。 「バクラ!」 二人を隔てるものは既に具象化していた。窓だ。歪に重なりあった窓が部屋を形作っていた。それぞれの窓の向こうにバクラの姿が見える。 「やめてよ、出して!」 両の拳で叩くが、窓はびくともしない。バクラは窓の向こうで薄く苦笑している。 「僕のこと疑うの!?」 窓の中をバクラの姿が移動する。獏良は追いかける。 「僕が裏切ると思ってるの!? バクラ!」 バクラが立ち止まる。獏良は掌で何度も窓を叩く。窓の向こうは赤く曇り始めていた。風が吹くように闇が流れ、その混沌の中でバクラの姿は徐々に変わっていった。剥き出しの牙、黒い翼…。 「それが、お前の姿…?」 獏良の表情は驚きと惑いの中で崩れていた。 「ねえ、僕は……」 涙が喉を焼こうとしていた。せり上がる熱を堪えるように、獏良は囁いた。 怖くない。お前のことも、もう、怖くない。 「全部、見ていられるから」 既に、人の、それまで鏡映しのようだった人の姿でさえないそれに向かって、獏良は窓に顔を押しつけ、囁きかける。 「全部、覚えておくから」 黒い爪が窓の向こうを掻く。獏良はそれに自分の手を添わせる。 しかし言葉さえなく、爪は窓から離れ、混沌が闇に呑まれる。異形の姿も闇の向こうに消えようとする。音が消える。光が届かなくなってしまう。獏良は死にものぐるいで窓を叩いた。 「やめて、お願い! 駄目だ、駄目だよ、駄目、駄目、駄目だ…!」 僕は。 涙が堰を切り、最後は悲鳴となる。 全部忘れてしまう…! 闇が窓の外を覆い尽くした。獏良は泣き崩れ、尚も拳で窓を叩き続けた。この闇に抱かれ眠ってしまったら、もう忘れてしまう。自分が用意した舞台のこと、自分が作ったあいつの似姿のこと、あいつの本当の姿、あいつの声、あいつがいたこと、何もかもを忘れてしまう。 目覚めた時には既に終わっている。 「予感があったんだろう、宿主」 バクラは、獏良了の姿でいた時の声を思い出しながら呟いた。 しかしあの白い身体を抱いて心中するような夢想は、身体の中を埋め尽くす闇に呑まれ、忘れてしまうしかなかった。 |