ルベド 赤い砂漠を、見た。 地上の、随分低い位置からそれを眺める獏良は、柔らかな朱鷺色から激しい緋に染まった空に気おされ、佇んでいた。赤い風が砂を巻き上げ、吹きつける。黄昏と言うにはあまりにも苛烈な景色だった。いつしかなびく髪は風と一体となり、赤い空を映し続けた目は時を忘れ、砂のように膝が崩れた。 いつの間にか、男が一人、傍らに佇んでいた。強い風になびく赤い上着が、音をたててはためく。地平の際から射す斜陽が、男の手や胸元に光る黄金を輝かせる。汗の匂いと、埃の匂いと、そして風にまじって血の匂いがした。 「すげえ景色だろ」 男がぼそりと呟いた。 獏良は目だけを動かし、男を見た。男の腕が持ち上がり、金環、宝石に彩られた、逞しい節くれだった指がさす。 「あの向こうに王宮がある。冷てえ玉座に座ったファラオがいる」 「ファラオ…」 聞き返す声は風に飛ばされる。男は構わない様子で、自分の指差した先を見つめる。眸の奥は油の表面のようにぎらぎらと斜陽を反射する。 獏良は首を捻って男の顔を見上げた。 「憎いの?」 男は獏良を見ないまま、唇だけを動かす。 「ああ、憎い」 不意に唇の端が歪み、尖った歯が唇を食い破るかのように剥き出しになった。 「憎くてたまらねえ」 一際強い風が吹く。巻き上げられた砂の中に異形の姿が浮かび上がる。御伽噺の魔人のように、男の後ろに控えて腕を組み、蛇の形をした尾が男に巻きつく。 砂混じりの赤い風の中で男は笑った。 「だから殺してやるのさ」 男は両腕を広げる。 「皆殺しにし、火を放ち、全て奪う」 赤い王宮はさぞ綺麗だろうぜ、と男は哄笑した。 その声を聞いた獏良の眉は、翳る。 「三千年、経ったのに」 ぽつりと言葉が零れた。 男が見下ろした。火のような赤い眸で獏良を見た。しかし、その顔には笑みが広がった。 「ああ、三千年。本当に待ち侘びたぜ」 手が伸び、獏良の頬を触る。がさついた指が、皮膚を撫ぜる。 「お前がいたから、戦える」 不意をつかれ、獏良は目を丸くする。男は続ける。 「お前が作ってくれた。お前が蘇らせてくれた。お前が起こしてくれた」 リン、と高い音が風を裂いて空に響く。 獏良の胸の上と、男の胸の上で、同じ形の奇妙なリングが黄金に輝きながら高い音を響かせる。 「お前がいるから、俺は負けねえ」 男の笑顔は優しくさえあった。 「お前がいるから、俺は勝てる」 獏良も微笑みかけ、不意に顔を強張らせた。 急に、頬から手の感触が消えた。そこに触るのは砂だけで、男は指先から砂となり崩れていた。ざらざらと、砂が獏良の上に降る。 「待って…!」 獏良は男に向かって手を伸ばすが、砂になる男を止められない。身に着けていた黄金が赤い砂漠の上に落ちる。 「ねえ、待って…!」 オレは、と低い声が聞こえた。 ほとんど砂になった男が、唇を動かす。 お前が初めて触れた時のことを、覚えてるぜ。 次の瞬間、獏良が抱きしめていたものは、赤い上着だけだった。赤い風が砂を地平の彼方へ吹き攫う。 上着に顔を埋めると、汗の匂いと、埃の匂いと火の匂い、そして微かに血の匂いがした。 獏良は大声を上げて泣いた。慟哭の声が空まで響くようにと泣いた。 「バクラ」 獏良は男の名を呼んだ。 「バクラ!」 しかし獏良の叫びを、赤い風は容赦なく攫っていった。リングはもう音を立てなかった。獏良の胸の上で静まり返っていた。獏良は赤い上着を抱きしめ、汗の匂いの上に、火の匂いの上に、血の匂いの上に涙を流した。 日が落ちる。あんなにも苛烈に色づいていた空が暗く沈み、風も、その息を止めようとしていた。 全ての終わりが近づいていた。 |