blue of rain





 雨は街を打ち続けていた。ガラス戸は濡れて波打ち、床の上に滑らかな影を落とす。濃い青をした影は万物に沈黙を要求し、世界は静まりかえっていた。
 かすかな空腹を感じていた。獏良はテーブルに俯せたまま、わずかに身じろぎした。白い髪が流れる。露わになったうなじから湿った冷気が滑り込み、彼の体温はコンマいくつか低くなったように感じられた。血までが流れるのをやめたように、頭は鈍く、身体はどこもかしこも重かった。
 彼は薄く目蓋を開いた。青い世界の片隅に、影に侵蝕されず存在感を放つ物体が、彼を見つめていた。眼球を模したそれは黄金で出来ている。無垢だ、手に乗せればずしりと重い。しかしレプリカでないことは、見た瞬間から解っていた。
 記憶がない。
 ない、ということにさえ気づかなかった。この黄金の眼を見つけなければ、忘れたままでいただろう。
 忘れた? 忘れるということは、記憶があったということだ。
 鈍い痺れが頭の奥にある。鼻の奥に血の匂いが蘇る。獏良は白い手を伸ばす。首をなぞり、胸に落ちる。揺れたリングが、澄んだ音を立てる。
 出てこない。嗤い声さえ聞こえないのは、あれがこの肉体の中でそこまでの優位を占めたということか。既に自分の意志などは問題ないと、気にかける必要さえないと。リングをこの首にかけてさえいれば。
 リングを外そうと思った。思ってから、三時間が経っていた。雨は止む気配がなく、少しずつ濃くなる青い影だけが時の経過を告げる。朝から何も食べていない。もう指先を動かすのさえ億劫だった。
 このまま永遠に生き続ける気がした。朽ちることなく、腐ることなく、ただ孤独に身を浸し、永遠に時の狭間に閉じこめられ、死ぬことも、泣くこともかなわないような、そんな気がした。
 そうかもしれない。もし、あれがこの身体を乗っ取れば、リングに封じ込められるのは自分の魂で、そして永遠の幽閉を享受するのだ。
「ボクは何も…」
 悪いことなどしていないのに?
「ボクが…」
 殺した、あの人を殺した。
「ボク…」
 僕じゃない、あれは僕じゃない。僕は悪いことなどしていない。
 なのに、何故こんな目にあうんだ!
 獏良は目を閉じた。心の叫びは遠く、隔てた雨音を聞くようにぼんやりしていた。
 目蓋の裏の青い影の中で空腹と眠気が溶け合い、孤独の底に落ちてゆく。幽閉される直前の感覚を、彼は覚えていた。獏良は薄く目を開けた。風に吹かれるようになびく白い髪。そっくりの顔を歪めて嗤うあれは自分を、宿主、と呼ぶ。


 テーブルに頬杖をついたバクラは、雨と黄昏の混じった青い影の中、唇をわずかに持ち上げて嗤った。
「淋しいかよ、宿主」
 幽閉とは言え、優しい眠りをくれてやっているのだ。事実、目覚めた宿主は何も覚えていない。明るく笑い、目の前に勝利が広がっていれば単純に喜ぶ。迷宮を出た時だってそうだ。なら、あんなに知りたいと望んだ千年アイテムの一つが、その本物が目の前にあるのだ。無邪気に笑えばいい。
「お前のためのものじゃあないが、宿主、言っただろ?」
 千年眼を取り上げ、口づける。
「オレはご主人様思いなんだぜ」
 舌の上に血の味。
 バクラは椅子の上にそっくり返ると、指先で抓んだ千年眼で軽く額を叩く。
「お前が欲しいものをくれてやろう」
 この身体を使って。知りたい謎を解いてやろう。その為の物語を目の前に繰り広げよう。世界が、この青い影より尚濃い闇に染まった暁には、それを教えてやってもいい。
 器には過ぎた報酬だが、とバクラは顔を歪めた。