溺れるウロボロス




 支配は耳から始まる。
 勿論、その言葉で。勿論、その声で。
 毒を流し込む。甘美な。甘くて、心地良く、全てを忘れる。それが彼の望みだ。彼の宿主の望みだ。何も知らず、無垢なままで、明日の朝にはまっさらな笑顔で陽の光を浴びる為のイノセンスを望んでいる。誰も罰しはしない。誰も責めはしない。幽閉された魂は、その罪を知らず、穢れを知らない。
 それが約束だ。それが契約だ。
 ジオラマを作る獏良了は時々鼻歌をうたう。自分が何を作っているのか忘れた訳ではあるまいに。
 否! 忘れてしまうのだ。夜が明ければ。明日になれば。朝日を浴びれば。このジオラマを作っていることさえも忘れて、白い髪を輝かせて、学校へ向かう。友達と出会う。闇の人格のことも忘れて、健全なゲームに興じる。
「でも宿主、お前はオレ様のものさ」
 バクラは耳元で囁く。
 ナイフを扱う白い手が、止まる。
「バクラ…」
「そうだ。お前は永遠に、この盗賊王バクラ様のものだ」
 お前を所有しよう。お前を包み込もう。お前を甘やかし、夢の底に溶かそう。
「だから、出来るよな?」
「きかないで」
 了は鼻歌さえうたっていたその優しい顔を不意に崩し、ナイフを落とす。
「そんなこと言わなくたって、ボクは作るよ」
「好きだぜ」
「あ……」
「好きだ、宿主」
「あぁ……」
 泣き出した了を、甘い言葉であやす。どうして泣くんだ。お前はオレの永遠の宿主なんだよ。オレはお前が大切なのさ。当たり前だろう?
「お前なんか死んじゃえばいいのに」
 了は泣く。
「早く死んじゃえばいいのに」
「そんなこと言うなよ」
「嘘吐き」
「嘘じゃない」
「嘘ばっかり」
「オレはお前に嘘なんか吐かないぜ、宿主様」
 いつの間にこの言葉の真摯に響くことか!
 我が言葉、我が声ながらバクラは驚き、そして薄く笑い、腕を伸ばす。宿主たる了の目にだけ見えるその腕が、疲れ切った身体を抱きしめる。
「オレの宿主」
 陽のぬくもりを失った白い髪に顔を埋める。
「オレの宿主…」
 自家中毒だ。この毒は宿主のためのものだったのに。バクラは腕をほどかない。本当に触れようとしてしまえばすり抜けてしまう腕で、白い身体を抱きしめて、自分の声に耳を傾ける。
「バクラ」
 違う、この毒は。
「バクラ…」
 了の目からはゆるゆると涙が流れ続ける。それはバクラの腕を濡らすことなく、服を冷たく湿らせてゆく。しかし毒はしっかりとバクラの中に染みていて、ジオラマ作りはそこで止まってしまう。
 これが完成しなければ、いつまでもこのままでいられるだろうか。
 毒が溶け合った言葉なので、どちらが呟いたのだか分からない。


 朝日の匂い。隣の部屋のテレビの声が、ここまで聞こえる。もぞもぞと、了はベッドの中で身体を二、三度転がし、ようやく目覚める。
 無意識のうちに動く腕。カーテンを開く。
 朝日が眩しいほどに照らし出す。了は微笑む。自分が微笑んだ理由が分からず、それがおかしくて、また笑う。
 朝食はパンで。蜂蜜で。甘いコーヒーで。テレビの声が耳から入る。今日は木曜日。一週間も半分過ぎた。ちょっと疲れているのはそのせい? 最近、寝ても疲れがとれない。気がする。
 歯を磨いて。顔を洗って。濡れた顔を上げると、洗面台の鏡に映る自分の顔。
「うわ、充血してる」




BGM/「different≠another」P-MODEL
同じBGMでリベンジ。バクラが宿主のこと好きすぎないか…?