リベリオンの食卓




 宿主の獏良了がハンガーストライキを始めた。
 無駄なことを、とバクラは文字通り獏良了の胸の中で静観の構えだ。この身体を乗っ取るのは容易い。空腹で体力も落ちたならば尚更だろう。餓死する前に表に出て思う存分、胃袋の望むまま食らえばいい。
「そんなことさせるもんか」
 こちらの心の内を読んだのか、獏良了が呟く。
「お前が食べても吐いてやる。この胃袋に水一滴だって入れるもんか」
 随分とお強い決意だったようだが、それから二昼夜ほど巡って、もう殆どベッドの上で横たわっているだけの宿主の頭に巡っている単語は、シュークリームで百年生きる、だった。
 腹が減ってるんじゃねえか。バクラは表に出ようとするが、何故か獏良了が目を開けている限り表に出ることは出来なくて、そう言えばこの身体はもう二十四時間以上眠っていない。
 死ぬ気か。
「死ぬ気だよ」
 自分の考えに応えるように宿主が口にするので、バクラは驚く。
「お前を閉じこめて、ボクは死ぬ。お前を殺して、ボクも死ぬ」
 無駄だぜ、お前はこのオレ様が殺させねえよ。
「お前は嘘をついた。迷宮を出るためじゃなかった。お前は、ボクを助ける為に現れたんじゃないんだ」
 乾いた唇を噛み締め、獏良了は低く呟く。
「お前は、人を殺したんじゃないか…!」
 バクラは嗤う。それが何だと言うのだろう。魔導師を殺して千年リングを手に入れた。ペガサスを殺して千年眼を奪った。人を殺して千年アイテムを奪い続ける。そして全てを手に入れた暁には、もっとたくさんの人間が死ぬ。きっと最後の一人が息絶えるまで、殺戮は続く。
「そして、ボクを殺すのか」
 用がなくなればそうしよう。自分の心の中だけで呟き、バクラは嗤う。
 獏良了の手は、よろよろと力なくシーツの上を彷徨い、ゆっくりと掌を天に向けた。
「お前には何もない。何も残らない。この世界も全て灰にして、そんなことがお前の望みなの…?」
 手はゆるゆると人の形をなぞる。
 ぞっ、と。表面から目覚めた。バクラは獏良了と鏡合わせのように宙に横たわっている。まさか、こんな風に表に出たことなど、ない。彼は宿主と心を通わせない。宿主の獏良了は心の部屋の存在さえ知らない。バクラが表に出れば奥底に押し込められて、眠るだけだ。
「知らないと思ったの?」
 獏良了は何故か微笑し、バクラの頬を撫でるように手を滑らせる。
「ボクには見えてるよ、お前」
 ボクとそっくりの姿をしたお前。なのにその尖った目、血走っちゃって、ボクの身体を使ってるなんて信じられない、その顔。
 バクラはその手を振り払おうとして、獏良了の微笑が広がるのが分かり、拳を握ったまま止める。
「ボクにはお前の声が聞こえるし、お前のことが分かるんだ。お前はボクを宿主と呼んだからには、ボクのことを侮っちゃいけなかったんだよ」
 ボクにだけは聞こえるんだよ。
 ボクにだけは見えるんだよ。
 白い、血の気を失った両手が頬を包み込む。
「お前の目にも、ボクが映ってるよ」


 振り払った腕は、ぼん、と軽い音を立ててベッドの上に落ちた。
「…………」
 バクラは自分の支配下に落ちた肉体の衰弱ぶりに呆れた。成程、自分が食事を得る前に、そこに辿り着けないかもしれない。しかし宿主もオレを侮るべきではない。オレ様は執念深く、三千年さえ越える存在だということを忘れるべきではない。
 しかし本当に動く意欲の湧かない身体だった。バクラは一歩一歩身体を引き摺るように歩き、常の倍の倍の倍の時間をかけてカップヌードルにありついた。しかもゆっくりありついた。がっつけば、本当に吐いてしまいそうだった。気分が悪い。
 半分も食べないうちに立ち上がり、洗面台で吐いた。水を頭からかぶり、顔を上げると、死人のような顔に目だけがぎらぎらと光っている。
「あぁ……」
 だらしなく開いた口から声が漏れる。
「シュークリーム食いてえ」
 次の瞬間、彼を襲ったのは三千年の間かつてないほどの驚愕で、思わず口を覆った手を隙間から胃液が溢れ出す。彼は涙を流しながら尚も襲いくる嘔吐感に耐え、震える手で口をゆすいだ。
 伸びきったカップヌードルを食べ終えたバクラは、それ以上動けず、ようやくソファまで這うと、力をなくした重い肉体を横たえた。
「シュークリームだと…?」
 呻きを噛み殺す。
 獏良了はその気配もなく、心の部屋の奥底、闇の底に眠っている。




BGM/「different≠another」P-MODEL
決闘者の王国編後。書き出しに思い描いていたものと全く違う。