うたかたの眠り




 自分の上にのしかかる男の身体の質量を肉体が感じ、脳が「ああ、この男が…」と感じた時、不意に全身から力が抜け、今にも泣き出してしまうかと思った。
 今まで見た姿ではない。そもそも彼は、自分の前に姿を現すことさえ稀だった。聞こえてくるのは、いつも声だ。嘲り嗤う、奥底で暗い憎悪を滾らせた声。そのくせ甘言を弄し、実に好きなようにやったではないか!
 甘言だということは気づいていた。実のない言葉だと知っていた。それでも安心さえ出来るなら構わなかったのだ。恐ろしい目から顔を背ける。安堵とぬくもりの中で長いまどろみに落ち、何も知らない。それが獏良だった。
 作りかけのジオラマ。視線を投げると修正をいれかけたまま放っておかれた設計図が広がっている。しかしそこに浮上するのは、まだ後でいい。まだ夜明けも遠い。たとえ夜が明けても、きっと、今日は昼までも寝ていて構わない。自分の上から男の身体はどかない。褐色の肌の匂いをかぐ。本物の身体のように、人間の匂いがする。ここは心の部屋なのに。
「なぁに、考えてんだ? え?」
 赤い目が見る。右の頬から目の上まで伸びた大きな傷。何故、この姿を取らなかったのだろう。今の今まで。三千年の間、彼は自分の目的を忘れなかった。リングに封じられた三千年、憎しみを捨てず、怒りを捨てず、己が何者であるかを知りながら、自分を待っていた。自分の身体を待っていた。宿主。封じられた魂のための、器。
 抱かれた意味を考えるつもりはない。今はとにかく、この抱き潰されそうな質量に安心して眠るだけだ。
「どうしたんだよ…」
 ごつごつとした指が伸びて、頬から目尻に触れる。本当に泣いているとは思わなかった。
 バクラ。同じ名前。全く似ていない顔。全く違う身体。汗の匂いがする。自分は汗をほとんどかかない。筋肉質な背中に腕をまわす。汗で濡れている。腕に力を入れると、顔が歪んだ。
 細く、泣いた。男は褐色の腕で、折れそうな程に自分を強く抱きしめた。




意識はバクラで姿は盗賊王 in 心の部屋。