真夜中のアクアリウム




 巨大なアクアリウムの壁を。
 明里が先日の埋め合わせだと連れて行ってくれたのは水族館だ。特別よ、誰にも言っちゃダメ、と彼女は言う。十二月、土曜の夜十一時。
 係員がゲートを開けてくれた。自分たち姉弟にはついて行かず、入口に佇んでいる。振り返ると、外の夜明かりに長身のシルエットが見えた。
「あの人は?」
 遊馬が小声で尋ねると、見張りよ、と姉も小声で短く答えた。
 非常灯の緑の電灯が所々にぽつぽつ灯るだけの廊下を行く。大丈夫なのかと声をかけようとした時、カーヴした廊下の向こう、明るい窓のような光が見えた。水色の光。遊馬は思わず後ろを振り向く。アストラルはそこにいる。オーラはまとっていない、いつもの半身をかすかに光らせた姿。ちょっと目を合わせ、前方を向き直った。
 窓のように壁に嵌め込まれた水槽には、小さな魚が泳いでいる。延々と続くカーヴ。次から次へと現れる水槽。赤、オレンジ、暖色の魚たち。それが、ふと途切れ。
 水色の光が一面に溢れた。
 遊馬は思わず目を細める。広い円筒形の部屋は、壁一面が巨大な水槽だった。高い天井まで水色の光に満ちている。海に、取り囲まれている。
 明かりは中央にぽつんと据えられたベンチに腰掛ける。遊馬は水槽に沿ってゆっくり歩き出す。群れて泳ぐ魚たちは遊馬が近づくとパッと散り、ゆらゆらと集合するとまた群れになる。悠然と泳ぐエイの影が濃い青色になって遊馬の上に落ちる。目の前を横切るそれに、遊馬は思わず手を伸ばす。
 と、その指に触れられない薄水色の指先が掠めた。アストラルが遊馬の視線を追うようにして身体を寄せていた。
 お前は。遊馬は心の中で思う。水槽のガラスも。
 そう思いながら手を滑らせるとアストラルの身体はガラスをすり抜けて水槽の中に滑り込んだ。ほんの一秒の出来事。一瞬前まで隣にいた存在が、今はガラスを挟んで水の中と水槽の外に隔てられている。
 水色の光を孕んだ水の中でアストラルの薄水色の身体は、半ば輪郭を溶かしている。ただ彼の身体に触れることなく泳ぐ魚たちの姿がアストラルの身体を通過する時だけ、まるで空でも飛ぶように見えて。
 宇宙を泳ぐ魚だ、と呟くと、アストラルの唇が、なに、と動く。声が聞こえていない。
「お前の身体を泳ぐ時…」
 囁きながら遊馬は水槽に両手を突く。厚いガラスの向こうから、アストラルも遊馬の掌に自分の掌を重ねるようにして顔を近づけた。唇が動く。聞こえない、聞こえない遊馬。
「アストラル…」
 濃い青色の影。影の射す水の中で、アストラルの姿は輪郭を取り戻す。かすかに光る身体、その無表情に近い顔の造形も。遊馬は水槽に額を近づける。
 遊馬、と呼ばれて後ろから腕を引かれた。明里だ。遊馬は残った片手をそれでもまだ水槽に触れさせ、唇の形だけで、アストラル、と呼ぶ。
 手を引かれるかのようにアストラルが水槽の向こうから姿を現した。遊馬、と呼ぶ声が鼓膜を震わせた。アクアリウムの水色の光の中、目の前まで近づいたその顔が微笑んで。






2011.12.15 けろさんからのリクエスト「ゆまアス」