三度読んだら手紙は死んでしまったので、その文字が私の涙腺をくすぐる事は二度と無かった。





 コップの中で氷がパリンと音を立てて割れた。鳥籠の中では真っ青なインコが囀りもせず、じっと一所を見つめている。ビアンキは生き物を飼うことに慣れていないから、この小鳥を預かったここ一月とても不安定だ。

 そもそもモレッティが小鳥を飼っているなど知らなかった。ビアンキは彼の部屋を何度となく訪ねたことがあるのに、気づきもしなかった。と言うことはつまり、モレッティは彼女も知らない部屋をもう一つ(あるいはそれ以上)持っていたということだ。ビアンキの知らない生活が、このイタリアの空の下に存在していたと言うことだ。小鳥に嫉妬しても仕方がないが。

 (嫉妬ですって。馬鹿らしいわね)

 愛につき物の感情を、彼女は今回、放棄したがっていた。小鳥を殺すのは簡単で、例えば小さな器の中の餌に触れてやるとか、飲み水に指の先を浸けてやるとか、そうでなくても彼女は触れたもの全てを狂った食物に変えることが出来るのだ。いや、そんな回りくどいことをしなくたって、鳥籠の小さな扉を開けてやれば。小鳥は喜んで外へ飛び出るだろう。そして野垂れ死ぬ筈なのだ。

 コップには冷たい汗が浮き、大きな雫となって落ちたものがテーブルを濡らす。氷のとけた水を、コップ半分にも満たない水をビアンキは飲み干した。コップを握った手が濡れた。テーブルの上にはインクの滲んだ手紙が広げられている。ビアンキがコップをその上に置きっぱなしにしたせいで、文字は薄い紫に滲んでいた。

 翌日にはこの街に着くとモレッティは電話で言って、それからもう一週間が経つ。ボンゴレから送られてきた手紙は何度も読み返したが、今は執着も薄い。最初は思わず泣いてしまったが、それは感情が昂ぶりすぎてのことで…信ずるには足りない。

 帰ってくるような気がして、小鳥は殺せない。モレッティが帰ってきた時、彼のがっかりした顔を見たくないからだ。彼を困らせるのは好きだけど、悲しませるのは好きではない。

 窓を開けると、海を渡る風がさっと部屋の空気を一掃する。潮の匂いと、爽やかな風が満ちる。揺れる鳥籠の中で真っ青なインコが一声、鳴いた。ビアンキは窓を背に振り向いた。窓の外が明るすぎて、部屋は暗い。暗い部屋を、インクの滲んだ手紙が舞っていた。手紙は風に乗って螺旋を描き、やがて軌道を外れるとビアンキの足元に舞い降りた。

 「お帰りなさい」

 ビアンキは囁き、死体を抱き締めた。かさかさに乾いて、インクの滲んだところだけ濡れている。ビアンキの瞳は乾いていたから(もう泣けなかったから)かわりに微笑んで抱き締めた。遅いんだから、と文句を言ったが、死体は何も語らず、ただされるがままに抱き締められくしゃくしゃと潰れた。

 ローマから帰らぬ男を待つ日々は終わりで、ビアンキは鳥籠の扉を開ける。小鳥は真っ青なラインを描いて暗い部屋を横切り、窓から飛び出し光を浴びた途端、青空にとけた。鳥影はどこにも見出すことが出来なかった。一人残された部屋で、ビアンキは泣きたくて、泣きたくて、乾いた瞳のまま泣き真似をした。






 こちらからお借りしたお題。閉鎖されたようです。

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