天使の祝福する日、三景




そのいち。

 ドアを開けると食欲をそそるあたたかな匂いが部屋一杯に充満していて、明るく照らし出された居間にはテーブル一杯のご馳走と、その前に仁王立ちになってクラッカーを明後日の方向に発射させているビアンキと、ソファの上で早速くつろぎビールをあけているモレッティがいた。
「誕生日おめでとうございます、先生」
「即殺しから十二時間殺しまで揃ってるわ、かっ食らって」
 ここで別の登場人物ならそのまま硬直し、あまつさえ行動を逆再生しドアを閉めたろうが、ここはドクター・シャマルの部屋であり、トライデント・モスキートのシャマルであり、女好きのシャマルであり、二〇六二股で国際指名手配のシャマルであるので、真っ直ぐにビアンキに飛びつき、すんでのところで返り討ちに遭う。
 床に転がされ、ヒールで頬をぐりぐりと刺されても幸せそうな顔をしているのは、ビアンキが女神のようにミニスカートをはいているからだ。おそらく、この医者、このまま死んでも本望だろう。
「おいおい、こんなところで死んでんじゃねーぞ」
 悪魔のように黒い腕が倒れるシャマルを抱擁する。
「オレがお膳立てしたんだぞ、このバースデイ・パーティー」
「リボーン」
 リボーンは鋭い目で優しく笑う。
「心ゆくまで満喫してから死ね」
「じゃあ、まず三時間殺しプレミアムからね」
 殺され屋は何も言わず、にこにこと笑って眺めている。あとで殺そうと思った。


そのに。ノベライゼス読んでいないので二人の過去を私は知らない。

 女の顔の上に格子状の影が落ちる。女は瞳だけで驚いて、人形のように整った顔の、そこだけ有機質の光を放つ。
「お父様のお医者様ね、あなた」
 裏町の狭い路地。ひしめきあった建物と建物の隙間から、奇跡的に射した午後の光は少女の白い頬を照らし、唇を赤く染めた。
 二人の間を隔てているのは長く続く鉄格子で、つまり向こうに暮らすものはそのドレスを汚さず天国まで行くつもりだし、シャマルは誕生日にも関わらず今日も血の匂いに噎せている。
「今日は妹さんを連れていないの?」
 静かな声で少女は尋ねる。
 持病の癪でね、と嘘を吐こうとして、シャマルは口を噤んだ。そして不意に口元を歪める。
「俺に妹はいない」
 少女の上を影はゆっくりと移動する。両の目が鉄格子の影に隠れる。
「私と弟に嘘をついていたのね、あなた」
「ああ。君らは餓鬼だから、よく騙されてくれた」
「かわいそうに…」
 一瞬、聞き間違いかと思い、少女を見つめると影の中からゆっくりと姿を現した有機質の光を放つ瞳が真っ直ぐに殺し屋の胸を射た。
「煉獄を渡り、地獄へ行くわ、あなた」
 白い手が伸びる。
「誕生日だからと言って告白しても、もう遅いの」
「…お嬢さん、ビアンキ?」
「私はあなたのことを知っているわ、お父様のお医者様」
 シャマルは唐突に腕を伸ばした。しかしその血に濡れた手は少女には届かなかった。鉄格子が二人を隔てていた。シャマルは尚も腕を伸ばす。少女のドレスは汚れもせず、今にも建物に姿を隠そうとする太陽の最後の光を浴びて、美しく佇んでいる。
「私は、嘘吐きには攫われないの」
 陽は完全に隠れ、鉄格子の前でシャマルは少女を見失った。


そのさん。

 いやこれはあなたへの誕生日プレゼントですからねドクター・シャマル、私だって本気を出せば結構強いんですから、と長々言葉を連ねるモレッティを無視してシャマルは盤上を嬉々とし携帯の写真におさめる。
「やーいい記念になったぜ、殺され屋」
「そりゃどーも、医者の先生」
 チェスはどう見ても黒の負けだ。
「勝負の女神のご加護だな、俺は常に白衣を身に纏って、世のため人のためしていることを天はご存じという訳だ」
「色は関係ないと思いますがねえ」
 写メも気が済んだようなので、モレッティは彼にとって不名誉な盤上を片づけると、今度はその市松模様の舞台をインスタントコーヒー二人分で占拠した。
「リベンジは十日後ですから、見ててくださいよ」
「俺は慈悲心を持ってお前を負かすぞー」
「どうぞどうぞ、言うだけならタダですから」
 シャマルはカレンダーの十九日に赤いまるを描き、ふと真顔に戻る。
「…お前の誕生日じゃねえか」
「そうですが」
「なんでお前にそんなサービスせにゃならん」
「あなた、先生、言っときますけど今日はあんたの誕生日で、あんた、今日真っ先に私のところに来てチェスの勝負申し込んでますから」
 私が誘ったんじゃないですよ、とコーヒーをすすりながらモレッティは手を振る。
「……くそ」
 シャマルは短く吐き捨てると立ち上がり、黙って部屋を出た。ずんずんと怒りに鳴らす足音がここまで聞こえる。モレッティは苦笑を浮かべ、シャマルの分までいれたコーヒーをゆっくりといただいた。





2009.2.9