フラワー・オブ・ライフ




 執務室の机の上に赤いバラの花束がのっていた。沢田はまずその花びらに触れた。血で赤く染まったのではないことを確認し、香りをかぐ。
「獄寺くん?」
 隣のリボーンに尋ねると、分かり切ったことを訊くなという風に肩をすくめられた。
 屋敷に戻って来た時、日はとっぷりと暮れていた。もう少し早く帰るつもりだったが、飛行場で足止めを食らったのだ。爆弾を仕掛けられたかもしれない、ということでチェックに数時間かかった。結局、リボーンが運転する車を飛ばして帰ってきた。飛行機はジャンニーニが喜んで解体した。
「タダで爆弾が手に入りましたよ」
 とジャンニーニは笑う。
「オレの命と引き替えに?」
「まさか。ファミリーの誰も、そんなことをさせはしません」
「リボーン?」
 振り向くと黒衣のヒットマンは帽子の影からニヤリと歪んだ口元だけを覗かせて「さあな」と笑った。しかし沢田はそれだけで信頼出来た。
「この件はまかせた、ジャンニーニ」
「かしこまりました、ボス」
 という遣り取りがあったのが昨日のことで、昨日の午後には戻る筈がまる一日ずれた。しかし時計の文字盤を見ればせいぜい二時間程度の遅れだ。遅刻をしても誰も叱らないってのはいいな、と沢田は一人思い、花束を抱いたままソファに横になった。
「で、獄寺くんは?」
「知るか」
 リボーンはあくびを一つすると、向かいのソファに腰掛ける。丸一日、車を運転し続けたとは思えない、疲労の見えない表情で、今度は当たり前のように銃の分解を始める。
「ねえ、リボーン」
「何だ」
「今度は何だと思う?」
 沢田は少し花束を持ち上げてみせる。
「…ハムとソーセージの区別がつくようになったか?」
「それ十年前にクリアした」
「つぶあんが食えるようになった」
「京子ちゃんが作ってくれたおはぎで克服」
「コーヒーが飲めるようになった」
「まだブラック飲めない」
「7×8は?」
「…ろくじゅう…ご?」
「サイヤ人」
「……………」
 獄寺は一つ一つの記念を覚えている。沢田が呆れて、いささか鬱陶しくなるくらいに、何でも沢田のことは覚えているのだ。スーパーでハムとソーセージを区別して買った日。つぶあんを初めて食べた日。道にバナナの皮が落ちていても転ばなかった日。個人競技の連敗を止めた日。暗いところで眠れた夜のことも、何もかもが獄寺にとっては沢田記念日で、その度ごとに獄寺から贈り物が贈られる。
「…何かあったっけ」
「生きて帰ってきた」
「いつものことだろ」
「いつもの?」
 リボーンの手の中で銃は魔法のように組み上がり、沢田の眉間を狙った。
「いつものことだと思うなら、オレは今すぐボスの首をすげ替える覚悟があるぞ、ツナ」
「……悪い」
 沢田は起き上がり、花束を抱き締め、あ…、と小さな声を漏らした。彼は急に脱力し、花束の中に顔を突っ込んだ。
「悪かった。死ぬのが怖くて言ってるんじゃない。いや、死ぬのが怖くなったから言ってるんだけど……」
「解ればいい」
「えー…、これ、本気でそういう花束?」
「本人に訊け」
 そうだよなあ、ジャンニーニが爆弾に気づかなかったら、と呟いたところで震えが襲ってきた。沢田は花束から顔を上げた。
「…本気で怖くなってきた…」
「その程度でビビってんじゃねーぞ」
「さっきと反対じゃないか!」
 しかしリボーンは沢田のツッコミには耳を貸さず、立ち上がる。
「明日には膝の震えを何とかしとけ」
「え…?」
 リボーンの言うとおり、膝が震えている。
「治ってなかったら、マフィアランドでしごく」
「ちょっ、オレ、いい加減、あの島には観光で行きたいんだけど…」
 黒い殺し屋の背中に向かって声をかけると、それはもうドアの向こうに消えるところで、入れ違いに獄寺が部屋に入ってくる。
「十代目」
「あ…、ただいま……」
「よくご無事で!」
 獄寺は躊躇わず沢田の前に跪き、右手をとってキスをする。沢田は脱力し、黙ったまま、軽く触れた獄寺の唇のあたたかさを感じていた。
「もう、あなたをこんな目には遭わせません。安心してください。始末はつけました」
「…そう」
 沢田は花束を抱き直し、獄寺に向き直る。
「ありがとう」
「当然のことです。あなたを愛する者ならば」
「…多分、それも、当たり前じゃない」
 両腕を伸ばし獄寺を抱き寄せる。沢田の膝の震えが獄寺に伝わる。獄寺は黙り込んだ。獄寺の腕もまた沢田の背に伸び、その身体を抱き締めた。
「…おかえりなさい」
 少しして、小さな声で獄寺が言った。
 その時、屋敷の中庭がわっ、と騒がしくなった。獄寺が身構える。沢田は懐の銃に手を伸ばす。しかし獄寺はその沢田を押しとどめるようにして沢田に覆い被さった。
 次の瞬間、腹に響く爆発音。沢田は獄寺の肩を越して、窓の向こう、花火が上がるのを見る。
「え、え……?」
「…十代目」
「うん。違う。そういうんじゃなや。これ……ジャンニーニだよ」
 あの壊滅的な武器チューナーの能力を、今や茶目っ気にまで昇華させた訳だ。沢田が爆弾が手に入ったと喜ばないことを、ジャンニーニもまた知っているのだった。
「獄寺くん、目、瞑って」
「え…」
「本当はファミリー全員にしたいけど、代表で、獄寺くん」
 花火を背景にしたキスシーンはまるで映画のようで気恥ずかしかったが、しかし沢田は照れを微笑みに変えて、目を瞑った獄寺の唇にキスを落とした。





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