やるせない夜の為の処方箋




 多分、獄寺が自分のことを縛っても赦すんだろう、と沢田は思った。
 ホテルの最上階から日本の、都会の夜景を見下ろしていると、どうしてもイタリアに帰りたくなった。自分の生まれた場所は、そして初代が最後の地と定めたのもこの日本だと言うのに、堪らなく、この場所から逃げ出したくなった。だから、ここにいることを忘れるためなら趣向を変えたセックスでも良かったし、いつもの甘い睦言より、何か別のものが欲しかった。ワインではなくジン。アイスクリームではなくステーキ。抱擁ではなく銃声、マイトの、あの腹の底から震わせる爆発音、鼓膜の痺れ。
 本当に目の前の男は獄寺なのだろうか。従順に跪き、躊躇いもなく足にキスをする男。この足の裏を顔に押しつけても嫌がりさえしない。あたたかい舌が指の間を舐める。
「獄寺くん」
「…何でしょう」
「オレがシャワー浴びる前でも、同じこと出来た?」
「十代目が望まれるなら」
 沢田は溜息をついてベッドに倒れ込む。イタリアなら許せた。日本では許せない。違う、ここだから許せない。
 日本はこんなに汚かったろうか。日本はこんなにつまらなかったろうか。俺はあの十代の日々を後悔していない。俺は自分の生まれた町が好きだった。並盛は普通の町で、変な仲間が沢山住んでいて、そんなに都会でもなかったけれど、とても楽しかった。
 十年で自分が変わったのだろうか。リボーン好みのマフィアのボスになってしまったのだろうか。イタリアに帰りたい。そこが故郷であるかのように、その土地の名を呼び、その風景を瞼の裏に描く。ナポリ、ローマ、ヴェネツィア…。アドリア海の青。狭い石畳の路地。古い石造りの壁。あれで案外マメな獄寺が、バラで一杯にした中庭。
「…獄寺くん」
「何ですか」
「セックスってさ、面白かったっけ?」
「……え?」
 キスが止む。沢田はベッドから起き上がり、ミニバーの前でうろうろしていたが、結局ミネラルウォーターを選び、500ミリリットルを一気に呷った。
「多分、俺、獄寺くんとするの、好きだけどさ…」
 大きく吐く息と共に言う。
「今日、したくない。っていうか、何だろ、何だろうね、これ…」
「十代目…?」
「オレが女で、女じゃなくて、何か、どっかで獄寺くんと結婚してて、夫婦だったら、したくなくてもしたかな、セックス」
「ご機嫌を損ねたのなら…」
「ちーがーう」
 額に死ぬ気の炎は灯っていないが、半眼閉じた瞳で睨みつけた。
「怒らせるなよ」
 獄寺は口を噤み、立ち上がる。しかし何をするではない。沢田を待っている。指示待ち、か。凄い、凄い、十年前のオレのあだ名はダメツナだったのに、今はこんなにもイケメンで有能な忠犬がいる。
「…縛って」
「……え!」
 ネクタイを解く。左手首に巻き付けてみせるが、しかしすぐに溜息が漏れた。
「違うよなあ」
「あの…」
「こういう気分の時、みんなどうするんだろう。十年前のオレはどうしてたんだろう。夕食にも下りずに、自分の部屋に閉じこもってゲームとかしてたんだろうか。愚痴垂れ流しながらベッドにもぐってたんだろうか」
 手首からネクタイが滑り落ちる。
「こういう日、どうしてた?」
 沢田は半眼閉じたまま獄寺を見上げる。
「獄寺くん」
 獄寺は黙って沢田を見ていた。沢田から目を逸らさず、その瞳の奥を覗き込んでいた。
 ふと重力が変化したように、獄寺はベッドに座り込んだ。そしてやや前傾すると、髪を掻きむしった。
「変わんないッスよ。マスかいて寝てました」
「…オレ、今夜はどう頑張ってもたちそうにない」
「そんな日はホラー映画観て寝てました」
 二人は有料チャンネルを見ることも、ミニバーを全部開けることも厭わなかった。経費ってのはこんな風に使うんス、と獄寺は言い、最低な官僚か政治家みたい、と沢田は言った。AVを半分観ないで飽き、ホラー映画を観た。

          *

「呪怨…効いたぁ……」
 翌朝、沢田はベッドの中で呟いた。
 獄寺は夜明け前の暗がりの中、ただただ黙って何度も頷いた。





管理人は呪怨が好きですね。