サルーテ!サルーテ!




 時計の針が二つ、そもそも一つのものであったかのように重なり合い、鐘の音が厳かに深夜の屋敷内に鳴り響く。
「サルーテ」
 沢田は用意していたグラスに自分の分のワインを注ぎ、一人宙に向かって掲げた。
 何も邪魔するもののない静寂。鐘の余韻だけが静かに、穏やかに今日が沢田の誕生日であることを告げていた。彼は口に含んだ一口を味わい、舌から喉へ流し込んだ。
 硬いノックの音。グラスを置き、入室を促す。山本がレシーバーを腰に戻しながら後ろを気にしつつ入ってきた。
「どう?」
 沢田は尋ねる。
 あまりに鷹揚なその声を聞いて、山本は眉をハの字に下げると、上々さ、と応えた。
「門、異常なし。庭、異常なし。玄関、一階ホール、食堂、キッチン、二階応接……」
 ちょっと言葉を切り
「ま、全部異常なしなのな。完璧なくらい」
「俺が言ったんだよ、完璧にって」
「そうだったな」
 沢田がグラスをすすめると、職務中ですので、と刑事ドラマのように断った。
「でも、ここまでする必要があるのか?」
 ソファに腰かけ、腰と懐の在り処を確認し、言う。
「ここまでしないと無理だよ」
「他ファミリーと揉めた時だってここまで厳戒じゃなかったぜ?」
「敵ならね、撃たれたら諦めるかもしれない。まあ、そういう流血沙汰を回避するために俺がいて、何とかするんだけどさ。でも今度の相手は流血なんかまず怖れちゃいないよ。俺が望めば、用意した白いバラをすすんで赤く染めるような相手なんだから」
 獄寺がミラノに飛ばされて二週間。沢田の誕生日である今日、屋敷は物々しい雰囲気に包まれていた。沢田が外界との一切の接触を断つと決めたのだ。訪問者は門前で追い返す。手紙もポストに入れさせない。電話は断線。ベルさえ鳴らさせない。個人の携帯電話も同様だ。メール一通とて許さない。
 ハッピーバースデーくらい言わせてやれよ。山本は言ったが、沢田は断固拒否した。
 駄目。絶対に駄目。電話とか簡単な手段に頼ったら遠恋の醍醐味がなくなる。っていうか、毎日電話してるし。だから絶対に駄目。
 直接会いにくるのも禁止した。その代わり仕事を山ほど押しつけた。
 山本を筆頭にファミリーの誰も、沢田が獄寺を嫌っているのではないと知っているからいいようなものを。もし獄寺派という派閥があればファミリーから抜けかねないほどの拒否っぷりと物々しさだ。
 沢田はグラスの中身を飲み干すと、取り敢えず、と椅子から立ち上がって伸びをした。
「俺、いつもどおり寝るから、後まかせた」
「まかされた。おやすみ、ツナ」
「山本」
 寝室の前で立ち止まり、沢田は山本を呼んだ。
「山本は?」
 山本は笑い、沢田の前にひざまずいたが、沢田がそれを嫌がって自分もしゃがみこんだので、目の前の両頬に軽くキスをした。
「誕生日おめでとう」
「グラーッツェ」
 だから俺、山本好きなんだよね。沢田は山本の額にキスを一つ返し、寝室に消える。山本はキスをされたあとをそっと指で撫で、再びソファに待機した。沢田の執務机の上のワインを片づける際、ちょっとした誘惑がないでもなかったが。
「職務中なんでね」
 空のグラスをビンに触れさせると澄んだいい音がした。

 夜が明け、太陽が昇り、目覚めた沢田の元へは次から次へと撃退等々の報告が寄せられた。うち半分以上は獄寺によるコンタクトらしい。まず経営しているホテル、カジノ、酒場などを経由しメッセージを送ろうとしたのがことごとく遮られている。
 残り半分は親しいファミリーなどから。まず朝一番に内藤ロンシャンがいつもの側近三名を従えてバズーカを担ぎ門前にやって来たところを文字通り撃退された。バズーカはパーティーグッズのオモチャで中身は紙吹雪と「ちわださゃん HAPPY BIRTHDAY」と書かれた横断幕だった。あと気絶した鳩。
「俺、別人になってるし」
 跳ね馬ディーノは兄貴分らしいところを見せようと単身乗り込み、案の定自爆したらしい。
「ちゃんと送っていった?」
「ヒバリが送っていった先でキャバッローネと交戦中」
「やめさせて」
 昼過ぎに表から、ぐぴゃああああああ!という悲鳴が上がる。
 ここのところ、随分聞かない声だったから沢田も山本も腰を浮かせた。しかしそれを遮るように黒い影がすっと前に出た。
「あのアホ牛め」
 リボーンは窓を開け外を見ると十年バズーカの煙がもうもうと上がる現場を忌々しそう、かつ実に活き活きと笑った。
「久しぶりじゃねーか。お仕置きが必要だな」
「…リボーン、子供ランボに興味なんかあったっけ?」
「アホツナだな。十年前からアイツが無事に戻ることがあったか?」
 まあ、おおよそボロボロだ。
 リボーンはうきうきと窓から飛び降り、泣いてんじゃねーぞアホ牛!と景気良く発砲した。
「はしゃぎすぎじゃない…?」
「ま、小僧も昨日誕生日だったし、しょうがねーよ」
 あとはコンタクト未満として報告されたもの。離れたビルの最上階から手鏡による信号のようなもの。しかし規則性がなく、ただピカピカ光るだけだったので関係ないと判断。それと近辺から流れてきた音楽。これも大道芸人の吹いた笛らしいのでやはり無関係と口頭でだけ伝わる。
 そういえばこの二つには沢田も山本も気づいていた。
「なんか目の端がちかちかすると思ったんだよね」
「俺、UFO見たかと思ったぜ」
「あとあの笛。リコーダーじゃなかった?」
「だよな。高い音がズレてんの」
「後ろの穴、半分塞ぐやつ!」
「懐かしーなー」
 空がだんだん柔らかい色を帯びてきた。ボンゴレの屋敷はざわめいている。
 夕飯の席は部下達が、ここでファミリーのボスの誕生日を祝わないのはマフィアの風上にも置けないと言い出して、街中の店を閉めてここに終結するらしい。邸内の見回りは交代でやろうと言うのだ。
「結構やったんじゃねーの?」
「まだまだ油断はできないけどね」
 沢田は窓辺から庭に集まった部下達を見下ろして笑った。
 ローマの夕景に教会の鐘の音が鳴り響く。沢田は淡いオレンジ色に染まる空を見上げて、ふと物思いに耽った。穏やかな景色。鐘の音に導かれるように鳩が舞う。その上を小さな飛行機が飛んでいる。小型のプロペラ機。映画で見るようなものと言うより、鳥人間コンテストの飛行機もどきと言った方が近いか。飛んでいるけどゆっくり下降する、あの。
「……ん?」
 沢田は眉をひそめた。その小型プロペラ機もだんだん高度を下げているのだ。
 だんだん?
 いや、さっきよりも随分低いところを飛んでいる。飛んでいるというより、落ちていないか?
「ツナ!」
 山本が叫んで沢田に飛び掛った。抱きかかえられるように床に転がるのと、空を飛んでいたはずのそれが屋敷の壁と屋根を破壊しながら突っ込むのはほぼ同時のことだった。
 壁が崩れ、屋根の落ちる破壊音。飛行機はメキメキと屋敷にのめり込み、止まった。
「何? 何?」
「大丈夫か、ツナ!」
「だいじょ……っていうかシャレになんなくない!?」
 シッ、と山本が制し、銃を構える。
 もうもうと湧き立つ埃の中に小柄な人影がある。
「それ以上近づくな!」
「はっ、はひっ!」
 高いすっとんきょうな声が響く。
「ちっ違いますよう! 誤解です! ツナさん!!」
「……ハル?」
 山本はまだ銃を下げないが、沢田はその背後から顔を出し、のぞく埃まみれの顔を見た。
「ハル! お前何してんだよ!」
 確かにハルだ。パーティードレスにヘルメットだけ被っている。ゴーグルを外したあとが逆パンダになっていた。
「何って、ツナさんが酷いことするからでしょう!? 電話は通じないし、門の前に立っただけで銃口を向けてくるし! ハル、努力したんですよ! 頑張ったんですよ! 獄寺さんからのメッセージを伝えるために!」
「……獄寺くんの?」
「そうですよ! 物凄い時間に電話がかかってきて、急にイタリアに来いって言って。そしてツナさんに、ツナさんに……あああー! もう!」
 ハルはもどかしげに地団太を踏むと、ツナさん!と叫びながら沢田に抱きついた。
 山本が驚いて銃を構え直すほどの勢いだった。沢田は勢いよくぶつかってきたその小さな身体を反射的に抱き支えた。
「お誕生日! おめでとうございます!」
 そう言いきると、ハルは沢田の胸に顔を埋め泣き出した。
 沢田は呆然と、泣きじゃくるハルに尋ねた。
「その、獄寺くんのメッセージって…?」
「だから…これですよ。獄寺さん…は! ツナさんを好きっ…なっ…気持ちを伝えてくれって!」
「こうしろって獄寺くんが言ったの?」
「ちがっ! います! ハル、高いビルに上って鏡で暗号を送ろうとしたり、クラウンの変装をしてハッピーバースデーの曲を弾いたりしたのに、ツナさん全然気づいてくれないから!!」
「…あれ、ハルだったんだ」
「気づいてたんですか!? 無視ですか!?」
「いや、まさか……」
 沢田は言い訳をしかけたが、不意にぎゅっとハルの身体を抱き締めた。
「は……はひっ」
「ありがとう」
 沢田はもう一度、ありがとう、と囁き、ハルの髪に顔を埋めた。ハルはしばらくされるがままになっていたが、そっと手を伸ばして沢田の頭を撫でた。
「もう、何でツナさんが泣くんですか…」
 山本はホッと一息をつき、瓦礫の中に座り込んだ。戸棚などが全て横倒しになり、秘蔵のブランデーが転がり出ていた。それを取り上げ封を切り、山本は沢田に向かって掲げた。
「サルーテ」
 階下からは部下たちがどかどかと乗り込んでくる足音が地響きのように鳴っていた。





2010.10.19