8




 日の落ちた、一際強烈な朱色の空を背に教会の尖塔が黒々とした影を空に伸ばす。獄寺
は車を降りた。身体は重かったが疲れている訳ではない。時間には少し早かった。彼は街
灯に背を持たせかけ、ポケットに手を突っ込んだ。いつもガサガサと触れるダイナマイト
の感触はなかった。彼はそれを取り出した。
 初めて触れるかのように両手に握る。冷たい鉄の塊を掌に馴染ませる。そっと持ち上げ
鼻を近づける。獄寺は心持ち俯くと瞼を伏せ、そのまま瞑目した。いつも指先に慣れた紙
と導火線ではない、冷徹で表情なく相手を見据える暗く重い鉄の目で夜の街を見る。頭上
で瞬く音を立て、街灯が灯った。獄寺は銃を仕舞い、顔を上げた。通りの向こうに、同じ
く街灯に照らされた山本の姿があった。
 身を切るような寒風が坂の上から吹き下ろす。石畳の道の上に高いヒールでよろめきも
せず佇む女達の露わになった胸や太腿が、街灯や、開け放たれた扉から漏れる明かりに朧
に照らされている。獄寺は窓からそれを見下ろした。ベッドに腰かけた山本は、いつも愛
想よく振り撒く笑顔を完全に売り尽くしてしまったかのような顔で黙している。獄寺は両
手をポケットに突っ込んだまま窓際から離れない。
 溜息が漏れたような気がした。背後から伸びる手が窓を閉める。鎧戸が外の世界を遮断
する。吐息が耳に触れた。獄寺は目を瞑った。ボタンが外され、無骨な手がシャツの中に
侵入しても、鳥肌も立たなかった。山本が何かを囁く。しかしもう聞こえない。やりたけ
れば、やればいいだろう。取り引きと言うなら応じる。しかし沢田の居場所が分かれば、
殺す。こいつが裏切り者だからだ。自分がマフィアだからだ。そして沢田も。だから主義
に反してもこのリボルバーを用意したのだ。静かに、苦しまずに、一瞬で逝けるように。
 山本の唇が首筋に押し付けられる。「俺を殺すんだろ」耳に吐息が吹き込まれる。「ツ
ナもか」耳の上から押し付けられるキス。「やめろよ、それだけはやめてくれよ」指が伸
びて、唇に至る。「獄寺」指は拙い動きで唇の上を這う。「獄寺」呼ぶな。「獄寺」指が
唇から離れる。「獄寺」シャツの中に潜り込んだ手がぐるりと回され、胸を抱きしめられ
る。「獄寺」肩を掴んで抱きしめる腕。首筋に埋もれる頭。くぐもった声。獄寺。
「五月蝿え」
 リボルバーの銃口を相手の足に押しつける。山本は獄寺を強く抱きしめたまま動かない。
小さく笑う声が聞こえた。銃口を更に強く押し付けたが、喉の鳴るような笑い声は止まな
い。声が耳を舐めた。
「獄寺。ツナみたいにしてやろうか。あいつのやり方なら俺、よーく知ってる」
 銃声が床を砕く。たたらを踏む足音。獄寺は振り返り、手で足の傷を押さえ顔を顰めて
いる山本に照準を合わせた。山本は銃口を見上げると、無理矢理にやりと笑い「ぜ」と言
い損ねた語尾を吐いた。乾いた音が響き、山本の左頬から血が散る。山本は片目を瞑って
痛みに耐える。その表情は笑っているように見える。
 山本が一歩踏み出す。獄寺は撃つ。四発目。五発目。髪が焦げても、スーツに穴が空い
ても山本は立ち止まらない。六発目は傷口を押さえている右手を狙った。手は震えない。
平気だ。彼は目の熱さに痛みに気づかない。
 刹那、山本の姿が消えた。引き金を引くが弾はあらぬ方向に飛んでゆく。締め付けられ
る手首の痛み。山本の顔がすぐ側で荒い息をついている。壁に押し付けられた獄寺は、思
わず山本を睨みつける。彼は自分が涙を零していることに気づいていない。山本の表情が
苦しげに歪む。その表情が不意に接近し、唇を吸われた。
 よろめきながら山本は獄寺から離れた。ベッドまで辿り着けず、床に腰を落とす。獄寺
は、まるで初めて呼吸をするように激しく息をつく。山本が顔を上げた。血の気が失せて
いたが、その顔は笑っていた。山本は沢田の居場所を告げた。獄寺はゆっくりと壁から背
を引き離す。獄寺、と山本が呼んだ。
 獄寺はドアを蹴り倒し外へ駆け出す。山本はゆっくりと床の上に倒れた。十三の時のま
まの、あの笑顔で。



深く潜れ





 next page