4目の前を、朝靄を切り裂いて真っ赤なフェラーリが快走する。ハイビームが辛うじてそ の尻を捉える。が、獄寺はそれ以上スピードを上げようとしない。獄寺は窓を開け、湿っ た冷たい風が前髪をなぶるにまかせていた。靄の中からアドリア海の波音が聞こえる。フ ェラーリのスキール音は潮騒を切り裂いて獄寺の耳に届いた。獄寺は無言のまま、表情も 無くアクセルを踏んだ。 ナポリに到着する前から獄寺は多くの情報を得ることができた。その朝から、沢田と山 本は己らの痕跡を残すことを全く考慮せず動き出したようだった。早朝のナポリにて東洋 人二人は開店前の店を無理矢理開けさせ、真っ赤なフェラーリを購入。カードさえ使った。 寝ぼけ眼のディーラーはカードのきらめきに目が覚めたらしく、スキール音も高々に二人 が走り去っていった方向をきちんと覚えていた。 獄寺が動き始めた時には、既に四半日が経過していた訳だが、獄寺は追いつけると確信 した。後は情報などいらない。運転しているのは山本だが、山本は沢田の命令どおりにし か走らないはずだ。沢田のことなら、獄寺は誰よりも知っている。自負もある。それは誇 りでもある。これが証拠だ。 タイヤの滑る音。獄寺は苦もなくハンドルを切る。耳をつんざく長い長い音が響いた。 靄に掠れかけていたフェラーリの姿が不意にくっきりと現れる。しかもこちらに側面を向 けて。獄寺はあらかじめ決められていたかのように落ち着いてブレーキを踏む。スリップ したフェラーリはコマのように回転し、左手の岩壁に激突して止まった。ボンネットの鼻 が潰れる音が聞こえた。 潮騒が聞こえる。朝靄が穏やかにたちこめる。その中に、フェラーリのドアを開けて出 てくる人影がぼんやりと見えた。獄寺は煙草をアッシュトレイに押し付け、外へ出た。 沢田が杖をついて立っていた。少し離れて山本が立っている。短い間、三人は黙ったま ま対峙した。 獄寺は手を差し伸べた。 「帰りましょう、十代目」 沢田の顔には何の表情も浮かばない。近づき、獄寺は沢田の手を掴んだ。杖が倒れ乾い た音が響く。しかし山本は動かない。だまって二人を見詰めている。獄寺は沢田を見た。 沢田は俯いていた。項垂れた首が細い。獄寺は一歩、沢田の腕を掴んだまま引っ張った。 ぱっと沢田の顔が上がった。その表情に、不意に胃の焼けるような痛みがせり上がった。 その時だった。朝靄の彼方から爆音が近づいてきた。皆が、一瞬虚をつかれ、音のする 方向を振り向いた。それは爆音と呼ぶに正しかった。朝靄の中から飛び出すように現われ た大型二輪は耳を聾するような音を立てて三人の横に停車した。黒のライダースーツが身 体の線を隠さず、それが女だと分かった。女はバイクを降りると、まっすぐに獄寺を見た。 「隼人」 女がゴーグルを外した瞬間、胃から逆流するものがあった。短い呻き声と共に全身から 力が抜け、手の中から沢田の感触が消えた。膝が崩れる。倒れてなるものか。獄寺は顔を 上げ、懸命に前を見る。山本がバイクに跨り、沢田を引き寄せている。 「十代目!」 沢田がこちらを振り向く。その表情。カッと目が熱くなる。獄寺は身体の崩れ落ちるの を止められなかった。バイクがうなり声を上げる。獄寺は何とか顔を上げようとする。十 代目と叫ぼうとすると、口の端から更に吐き気をもよおさせる味の液体が零れ落ちた。ビ アンキの足の間から、走り去るバイクの姿が見えた。 ビアンキ |