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エピローグ薄く雪の積んだ石畳の路面を、その松葉杖は怪我人とは思えぬ軽快さと陽気さで行く。 山本は久しぶりに訪れたミラノの空気を味わいながら、アジトへの道を歩いた。降り続け る小雪が黒髪やコートの肩に積もる。風の吹く度に絆創膏を貼った頬が引き攣るようだが、 それさえ楽しいかのような顔だった。ボンゴレの経営するカジノはまだ開店前で、石造り のビルの前には人気もない。雪の掃かれた階段を前に、山本は足を止めた。 玄関の大きな扉が開く。まだ暗い屋内の陰を背にして、その白い立ち姿は現われた。フ ェンディの毛皮をまとい、ビアンキが艶然と笑っていた。肉感的な赤い唇の両端が軽く吊 り上がり、その視線というより赤い唇の笑みに見下ろされる。毛皮の裾から長く美しい脚 が覗く。ヒールが硬い音を立て冷たい石の階段を踏む。僅かに顎が持ち上がり流し目が見 下ろす。赤い唇の間から、白い歯が覗いた。 「男を上げたわね、山本武」 「そーっすか?」 ビアンキは山本の隣に並ぶと、毛皮でその魅惑的な唇を隠し低い声で囁いた。 「あれからまだ私はリボーンを一人占めできてないんだけど。どうしてかしら、山本武」 非難というには毒々しい目が、そのくせ艶かしく潤んで訴える。 「ツナがいても、その魅力でいつだって一人占めできますって」 「嘘を吐くなら、もっと誠実な嘘になさい」 山本が眉尻を下げると、ビアンキはそんな表情も目の端に留めず歩き出した。毛皮が重 たく優雅に揺れる。山本はその後ろ姿が角の向こうに消えるまで見送る。懐に忍ばせてい たディオールのルージュは渡し損なう。 上階の部屋ではリボーンが帽子で顔を隠し、ソファの上に寝そべっている。山本は勝手 にブランデーを頂戴するが、一舐めしようとしたところで思いとどまる。山本は沢田の執 務机の上にブランデーのグラスを置いた。机には金の留め金のついた真新しい腕時計が載 っている。発信機のことは沢田も知っていた。リボーンはそれを知っていて尚、沢田は腕 時計を外さないと信じていた。沢田を信じていたのだ。 あの夜、受話器の向こうから聞こえてきたリボーンの声。感情を限界まで押し潰した声。 しかし山本には蒼白になったリボーンの表情が想像できた。勿論、そのことは誰にも言わ ない。沢田には、きっと言う必要もない。そう判断したからこそ山本はリボーンに、沢田 の本当に向かっていた場所を告げたのだ。山本は腕時計を持ち上げる。ただの金の留め金 かもしれない、と思った。 「そろそろ迎えに行くか、小僧」 珍しく、リボーンがハンドルを握った。黒塗りの車は穏やかに走り出した。目の前から 降ってくる粉雪がフロントガラスに当たる直前で、ふわりと風に舞う。路面電車を追い越 す。遥か右手にドゥオーモの白い姿が見える。リボーンは運転しているというのに、帽子 を目深に被ったままだ。車内は静かだった。 リボーンは橋のたもとに車を停めた。運河のほとりに二人が佇んでいた。白い雪の上に は花束が供えられている。沢田と獄寺は肩を添わせるでなく、ただ並んで立ち尽くしてい る。リボーンが車を降りる。山本もそれに続く。リボーンは庇を持ち上げ、自分の足で立 つ沢田を見詰めた。山本も車にもたれかかり同じように見た。 傷ついた足はこれからも一人で立ち続け歩き続けるだろうし、そうしなければならない だろう。だから山本は待つ。沢田が振り返り歩いてくるのを。その後に続く獄寺を。すぐ 側に立って、待っている。 雪が止んだ。雲が柔らかく千切れる。運河の彼方が光り、切れた雲間から淡い橙色の陽 が射した。沢田が振り向く。その足が歩き出す。逆光に隠された表情が見えるようになる までもう数秒、山本は、待つ。 シトロエンの孤独 |