10さわさわと音を立てて草地を叩く雨が、ふわりと浮き上がり音のない霧雨に変わる。朝 の景色は霧雨の中で寂しい灰色に沈黙している。寝そべった人の背のような、なだらかに 隆起した丘陵。その足下に蹲る森の影。両の草地、その間を縫って北へ伸びる線路。全て が柔らかくけぶる下、しんとした空気を無骨に震わせ列車が近づいてくる。列車はミラノ を目指し、ひた走っている。 獄寺は真っ黒な額をドアに押し付け、じっと車窓から外を見詰めていた。煤で真っ黒に 汚れた両手を上着のポケットに突っ込んでいる。上着は灰にまみれている。連結部には暖 房の熱も届かず、底冷えのする鉄の床が足をかじかませる。彼はポケットの中で虹色の搭 乗券を握り締めた。 真っ黒に焼け焦げた部屋の中心にはリボーンが立っていた。獄寺はありとあらゆる残骸 を掘り起こし、消炭となった腕時計を一つ見つけ出した。振り返るとリボーンは山本から の連絡を受けていた。リボーンは無言で獄寺の懐に手を突っ込み、あのローマ行きの搭乗 券を掴み出した。彼はそこに一つの地名を殴り書きした。 ミラノ、あの白昼の弾雨。雨音に掻き消された沢田の嗚咽。沢田はたった一人で。あの 人はたった一人で。 淡い灰色の景色を透かして、目の下に隈を作った自分の顔が亡霊のように浮かび上がる。 彼はガラスに映った双眸を凝視する。不意に。がくんと膝が崩れた。彼は列車の揺れるま まによたよたと後ずさった。目の奥に熱いものが突き刺さる。唇が震える。葉の擦れ合う ような微かな声を、震える唇は紡いだ。 「沢田さん…」 この目が向こうから見詰め返された。獄寺は目を見開いたまま、うわ言のように何度も その名を呟いた。カーブにかかり、列車が大きく揺れる。獄寺は尻餅をつくと、ようやく これが動き続けていることに気づいた。弾かれたように立ち上がり、車内を走る。足が縺 れる。止めろ…、と声が掠れる。獄寺は叫んだ。 「止めろ!」 車輪が火花を散らしながらレールの上を滑る。ブレーキの音を響かせ急停止した列車か ら、吐き出されるように獄寺の身体が落ちた。獄寺のよろめく傍らで列車は再び動き出し みるみる遠ざかってゆく。しかし獄寺はそれを一顧だにせず、来し方に目を凝らした。彼 は線路の上を走り出す。尖った鉄色の石に何度も足を取られながらも走り続ける。冷たく 頬を打つ霧雨。頬の煤が幾つも筋になって流れる。口からは忙しなく白い息が吐き出され る。やがて、小さな人影が見えた。 沢田は、杖をつき、微動だにせず佇んでいた。それは土を盛りコンクリートで固めただ けの、屋根もない駅だった。沢田の、コートはそぼ濡れ、横顔は彫像のように真っ白で動 かない。ガラス球のように凍てついた眸が半眼閉じ、虚ろな視線を霞む地平に投げる。唇 には濡れた煙草が一本くわえられている。 灰色の空の下で。柔らかな棘のように身体を包み込む霧雨の中で。風もなく項垂れた枯 れ色の草地の間で。遠く暗い森を背にして。沢田はただ独り、佇んでいた。 獄寺は両腕を伸ばした。骨が軋む。遠くから、貨物の近づく音が聞こえる。冷たい霧雨 が拒むように指を刺す。勢いを増して近づく轟音に腹の底が震える。もっと手を伸ばす。 重たい鉄の壁に指先を押しつけるように骨が圧される。千キロの彼方にあるように沢田の 身体は遠い。指が潰される。痛みに眸が潤む。その目を見開く。 横面を張り飛ばすように貨物が走り抜けた。虹色の搭乗券が灰色の空に舞い上がる。獄 寺は膝をつく。 震える腕に抱きしめられた沢田の、唇が急に歪んだ。煙草が唇から離れ、コンクリート の上に音もなく落ちる。 過ぎ去ったものの反響が森に、空に遠く木霊する。灰色の雲が優しく揺れる。霧雨がさ あっと音を立てて降り注ぐ。その下で、低く嗚咽する沢田の声が聞こえた。 途中下車 |