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 優しく一人で死ぬときは、天気は雨がいいだろう。もう死ぬ気弾では蘇らない。雨の中
で、静かに眠らせてもらう。銃声も嗚咽も情けない犬の遠吠えも、幾万の雨音に掻き消さ
れるのがいい。冷たければ冷たいだけ、激しければ激しいだけ、それはいい。と思う。
 外は静かな雨だった。歌に謳われた麗しのソレントも、闇が一滴一滴落ちるような雨の
下でしんと静まり返っている。沢田は後部座席で喘ぐように呼吸しながら固く瞼を閉ざし、
人々の胸に郷愁呼び起こすという景色には目もくれなかった。もっとも窓にはカーテンが
引かれている。脇の下のホルスターが胸を圧迫するほど重い。血の気を失った唇をきつく
結び、沢田はむっつりと沈黙に打ち沈んでいた。
 バックミラー越しに不審の目が投げかけられているのが、目を瞑っていても分かる。ハ
ンドルを握る若い運転手には、何故ドン・ボンゴレがこれほどまでに顔の色をなくしてい
るのか理解できないのだ。今向かっている会食の席に集まるのは、確かに敬愛と畏怖を込
めて名を呼ばれるような男達ばかりだが、それとてこのボンゴレと同盟を結んだファミリ
ーばかりだ。その中心に位置するボンゴレのボスが臆する謂れなどないはずだから。
 沢田の疲労を解っているのは隣に座る山本だけだ。例えばリボーンも獄寺もこの疲労を
知ってはいるが、所詮ただの疲労である。彼らは根っからのマフィアなのだ。そうだ、沢
田も今はマフィアだ。今回の会食も恒例のことで、何度となくこなしてきた。なのに沢田
は出発直前までごねた。それでも腰を上げたのは、十年来の家庭教師の一睨みによった。
が、ようやく立ち上がった沢田へ、追い討ちをかけるような一言が飛んだ。
「人前で杖をつくな」
 沢田は黙って杖を置いたまま車に乗り込んだ。左足、脹脛に受けた銃弾は貫通したもの
の、骨も腱も無事だった。しかしミラノの、あの白昼の弾雨。古いアパートの立ち並ぶ運
河のほとりで、沢田は三人の部下を失った。アスファルトの上を流れる夥しい量の血。あ
の日も雨が降っていた。雨は血を洗い流し、沢田は自分が声を上げて泣いていることにも
気づかなかった。
 窓の向こうで雨に打たれる景色は矢のように過ぎ去り、会食の席は刻一刻と近づく。雨
を越して今を遅しとマフィアどもは、この二十三歳の若造の到着を待ち侘びている。天井
がやかましく音を立て始める。雨脚が強くなる。音を立てるように沢田の瞼が開いた。ガ
ラスを打つ雨の影がその目に映る。沢田の喉がひゅっと鋭い音を立てる。山本が全身で振
り向く。沢田はドアに手をかける。
 赤信号に遮られ、車はゆっくりと減速する。車が完全に停止する直前、一際大きな雨音
が車中を襲いくる。運転手はバックミラーではなく、自分の首を捻って後部座席を見る。
瞠目する。そして悲鳴一つ上げず、絶望に顔の色を失う。そこにドン・ボンゴレの姿はな
い。開け放したドアの向こうには激しく雨が打ち続けている。
 山本のコートの下で沢田は濡れた顔を拭う。強く打ちつける雨にコートはあっと言う間
にずぶ濡れになった。沢田は瞼を開く。ほとんど引き摺られていた足がようやく地を踏む
実感を取り戻す。顔を上げるとそこに山本の顔がある。それがまるで不思議なことのよう
に彼は薄く笑い、頬を打つ雨に小さく呟く。
「思ったより痛いな…」
 山本に抱えられ沢田は走り出す。一歩ごとの痛みに、左足から血の流れ出すような錯覚
を覚える。あまりに胸が喘ぐので、ホルスターを引き千切るように路地に捨てる。その指
先は凍えている。


 ドン・ボンゴレが山本に連れられ失踪したことを獄寺は遠くはなれた北の街で知る。雨
音が受話器を通じてミラノにも降る。獄寺は受話器を握り締めたまま耳を打つ痛みに奥歯
を噛み締める。ホテルの窓は真っ白な霜に覆われている。ミラノは音もなく降る雪の下に
沈黙している。



弾雨





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