間違いのない仕事




 眠りの底からゆらりと立ち上がるような半覚醒の意識。軽い酩酊に任せながら沢田は瞼
を閉じ、首を逸らせる。もたれる背中を支えるのは獄寺の腕であり、ローマの夜である。
しっかりと強い腕に支えられながら、しかし沢田の意識は重力を失ったかのようにかすか
に浮遊している。
「なにか」
 うわごとを呟くように、僅かに沢田の唇が開いた。
「なにか?」
 獄寺が尋ね返す。
「なにか…くれよ」
「なにかって…?」
「…なにか…」
 沢田の体重が背後に集中し、獄寺の胸の上に身体は落ちる。硝煙の匂いがふわりと舞い
上がり、ゆらゆらと空気は静まる。
 静まった空気に波を立てることを極力恐れるかのように獄寺の指が動く。闇の隙間を縫
って沢田のこめかみにたどり着く。そっと、ほんのわずか、ごくわずかだけ指先で髪の毛
を持ち上げて、耳の形をなぞる。
「愛するものが死んだ時には、」
 掠れた声が囁いた。
「自殺しなきゃあなりません。」
 沢田の肉体はかすかに震え、その意識はローマの夜とともに少し波に揺られた。それは
ただの一揺れだったが、ゆるやかに大きく、あまりにも揺れと肉体が一致しなくて、とう
とう沢田は瞼を開ける。途端に豪奢なホテルの天井と獄寺の尖った顎が夜明かりにかすか
に目に映る。
「日本の授業はタルかったっすね」
「…そうだね」
「国語とか、優等生の解釈とかクソでしたね」
「でもいつも成績よかったよね、獄寺くん」
 獄寺は指先で顎を掻く。
 でも、と呟く。
「この詩は…そのとおりだと思います」
「物騒な」
 沢田は呆れた声で、あるいは諦めた声で囁き、指先を伸ばす。
「男だな」
 獄寺の掻いたところを爪で軽く掻く。
 まだ意識は揺れている。ゆらりと獄寺の張り詰めた表情が揺れる。沢田は瞼を閉じて酩
酊に任せる。ローマの夜はしっとりと沢田を抱き締め、低い声で囁く。それはモーツァル
トには負けるけれども、銃声に比べればずっと出来のいい子守歌に、沢田にとっては違い
なかった。






獄寺の暗唱した二行は、中原中也「春日狂想」より。
表記は現代口語にあらためています。

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