Love letter台所が空になったということは飴玉が一つもなくなってしまったということだった。サ ンダルがカサカサと包み紙を踏んだ。ランボはガサッガサッと包み紙を蹴飛ばしながら部 屋に戻る。カーテンをほんの少しだけ捲って下を覗くと、ひっそりと陰に沈む無人の石畳 の道。幼少期を過ごした日本と違い空の青さは宝石のように曇ることがない。正午過ぎ。 表通りはどうだろうか。観光客が多いかもしれない。 捲ったカーテンの隙間からかすかな光がさし、暗い床の上に落ちた色とりどりの飴玉の 包み紙を照らした。ビニール質のものが幾つかチラリと光った。目尻を垂れさせた眠そう な瞳がそれを横目に眺め、カーテンを閉めた。 忍ばせたのは腰にナイフを一本。飴玉を買いに出るだけだ。後はそれをつまんで眠るば かり。夜、愛しいボスに会いに行く他はランボに仕事などない。 建物の犇く狭い裏路地はかすかに肌寒いほどの陰に沈んでいる。石畳が青く染まる。青 い陰の中をほっそりとした影はゆく。果実のような薄緑の瞳を軽く伏せ、交互に前に出る サンダルの指先を見詰めながら、するりと路地から路地へ渡る。大丈夫だ、子猫の気配さ えない。 角の露天もまた陰の中にあった。犇き合う露天の中でも、そこは特に涼しい特等の一角 で、奥に下がったカーテンの向こうにはこの辺一帯に顔を利かせた老婆が日がな石のよう に座っている。レモンや瓶詰め鉱水を主に並べた店先の少女は、ランボがユーロ札を数枚 取り出すと、笑って大きな袋にいっぱいの飴玉を詰めた。紫色の唇から前歯の欠けている のが見える。ランボは紙袋を受け取ると、少女の胸にユーロ札を一枚捻じ込む。 思いの外、人は少なかった。熱い日差しの下で、果物がほのかな腐臭を漂わせる。辛う じて屋根の陰に隠れた店主の顔は不景気そうに歪んでいる。 不景気の伝染を避けて、ランボは早々に裏路地に引っ込む。青をセロファンのように幾 重にも重ねた陰がランボを包む。ランボは瞼を閉じ、嘆息して袋の中に手を突っ込む。包 み紙がカサカサと音を立てる。二つ三つ頬張り、外付けの螺旋階段を上る。ヤサは四階。 ランボは階段の数を逆から数える。39、38、37……。 テンカウントに入ったところで、ランボは思考を止めた。腰のナイフを振るう。紙袋が 腕から落ちて、カンカンカンカン!と雨音のように飴玉が螺旋階段を鳴らす。 彼の視界を塞いだのは黒い大きな影だった。突如、ランボの前に立ちふさがった男は上 体を仰け反らせた。 「誰だ!」 ランボはナイフを繰り出すが、相手の右手に握られた銃がことごとくそれを阻む。黒い 階段の鉄の上に、青い陰の中に火花が散る。 問いには答えず、男は冷ややかな隻眼でランボを見下ろす。ランボが逆袈裟にナイフを 振り上げると、風に舞ったこげ茶の髪の下に潰された片目が見えた。ランボは咄嗟に男の 失われた目の側にナイフを振り下ろす。 ト、ト、ト、と血の滴る音がした。黒錆の浮いた階段の上に血が滴っている。男は左手 でナイフの刃を掴み、冷たい右目でランボを見下ろす。 「日本帰りだと聞いたのだが」 「だから? 何だよ」 ランボはその手に刃を食い込ませる。 男は表情を変えず、溜息をつくように言った。 「あまりにも浅はかだ」 背後に一撃を食らったというのは、正確には記憶なのだろうか。ゴツリと自分の頭蓋骨 の鳴る音を最後にランボは気を失った。 第一に狭い場所での戦闘に慣れている風ではない。日本ではどのような経験を積んでき たんだ。ボヴィーノとは言え五歳から銃器を扱っていると聞き及んだんだが、俺の評価は 過大すぎたか。 その通りですよ。だから言ったでしょう。 ボンゴレのリボーンが十八番目の愛人にしているという噂は。 本当です。信用ある筋から幾つも情報が入っています。 どうしてこの程度の男が 「リボーンの愛人に?」 顎の下に硬いものが触れ、顔を上げさせられる。ランボはようやく目を開いた。黒く磨 かれた革靴が自分の顎を押し上げている。見上げると隻眼の男が自分を見下ろしている。 「具合がいいんでしょう。もっぱらそういう噂ですね」 若い声がその背後から聞こえた。金髪を短く刈り、耳、鼻、唇と言わず通されたピアス がいかにも若者然としているが答える口調も声も、外見に反した落ち着いたものだった。 嘲る様子さえない。ただ呆れている。 「どうします」 「与えられる限りの痛手を与える」 隻眼の男が懐から銃を抜いた。それが銀色に光る。ランボは辺りが随分暗いのに見上げ るのを眩しく感じるのに気づく。男達の頭上に横に細い窓が嵌っていた。天井近くの窓。 ここは…地下室だろうか。 銃口が自分の眉間を向く。ランボは奥歯を噛み締めたが、しかし隻眼の男はそれをくる りと手の中で回転させ背後の若い男に預けた。 「それとてあの小僧に届くかは解らんがな」 「伝書鳩、ですか」 革靴が顎の下から抜かれる。ランボの顔面は埃くさい床に音をたてて落ちる。 「さっきから…随分と言ってくれるけど」 顎に響く痛みに耐えながらランボは口を開いた。隻眼の男は既に背を向けている。若い 男が視線を遣る。瞳は黒だ。いや隻眼の男の髪の色と同じか? 暗いハシバミ色の瞳がラ ンボを捉える。 「俺、リボーンの愛人なんかじゃないよ。俺は認めてないんだから」 「…だそうですが?」 若い男が、彼の上司らしい男の黒い背中向けて問い掛ける。 「関係ない」 帰ってきたのは一言だった。 「戸口に一人残して、後は部屋に入れろ」 「じゃあ、俺も外で見張りましょうか」 「ここにいろ」 若い男は従順に頷き、ランボの視界から消えた。離れたところでドアを開ける、金属の 軋む音が聞こえる。 「な…にするつもりだよ。俺を痛めつけてリボーンを挑発しようってのか」 靴音が幾つも近づいてくる。ランボは恐怖を悟られぬよう低い声で隻眼の男の背中に向 かって問い掛ける。頭の隅では足音を数える。四人いる。 革靴の底がランボの顔を蹴った。若い男の靴だった。 「猿轡はしない。好きなだけ喚け。五月蝿いお喋りは気に入らないが、まあ、せいぜい助 けを乞えよ」 闇から伸びてきた手が、ぐっ、と頭を押さえつけた。うつ伏せにされ、両肩を押さえ込 まれる。襟首を掴まれ、喉が詰まったかと思うと服を切り裂く音が響いた。 若い男がナイフを取り出した。刃には血がついている。男はそれを細い窓から射す日差 しに翳した。それはランボのナイフだった。若い男はぺろりと舌を出す。男の舌は先が蛇 のように二つに割れ、各々の先端をピアスが貫いている。男は眩しそうにナイフを見詰め、 刃についた血を舐め取った。 「回ってるか?」 若い男が尋ねると、また知らぬ声が闇から「録画開始しました」と答えた。さあっとラ ンボの顔から血の気が引く。若い男は中腰になり、ランボの背中にナイフの刃を向けた。 「ラブレターの第一字だ。親愛なるリボーン殿」 熱い痛みが一筋、背中に走った。 二人の男が両足をそれぞれ押さえつけ、上半身はもう身動きもできない。若い男は荒い 縄を器用に操り、手際よくランボを縛り上げてゆく。まるで荷造りでもするように感情な く縛り上げるが、相手は確実にランボであり、後ろでに縛られた手首と、首に回された縄 が繋がっていると解ったとき、ランボは抵抗の言葉を吐くことを止めた。 背中に一筋入れられた痛みと、荒縄の痛み。全身が痛いと逆に耐えようもあるようで、 ランボは黙って目を瞑る。もう声は上げまい。どう傷つけられても、背中の痛みでナイフ のそれは知った。ならば慣れることができる。 と、腰に触れる手がある。ランボの腹の底に不意に恐怖が湧き上がった。バックルを外 す音。下半身に肌寒さが走る。やめろ、と叫ぼうとして、腕を動かしてしまい喉が締まる。 咳き込んでいるうちにずるずるとパンツを下ろされる。 「やっ、やめろ!」 見下ろす若い男の耳でピアスが金属的な光を反射させる。ランボの目の中でチカチカと 星が飛ぶ。 「牛なら牛らしい格好でしなきゃな」 「やめろ!」 両足は大きく開かれ、各々に押さえつけられている。無理矢理侵入するそれは鉄の棒の ようにランボの皮膚を破りながら捩じりこまれた。 「いやっ、や、やめ……!」 浅はかだ、と闇から呟く隻眼の男の声がした。しかしランボは悲鳴を止められなかった。 痛み以上に恐怖が捩じりこまれるかのようだった。 五月蝿いとばかりにランボの目の前に別人の性器が押し付けられる。ランボは顔を背け たが、手が伸びてきてランボの口を割り、それは口の中に押し込まれた。屈辱の余り咬み つこうとすると後ろから首に回された縄を引かれ、息が詰まる。意識の落ちるギリギリま で縄は引かれた。ランボは口の端から唾液を垂れ流しながらそれを舐めるしかなかった。 背後で交接部がぬめる音を立てる。血の音だろうか。ランボは息苦しさに霞む頭で思う。 「ちゃんとイかせてやれ」 若い男が言う。 「ラブレターの続きを書くんだからな」 蛇の舌がちろちろと見え隠れする。 ランボが新たな恐怖に戦慄した瞬間、濡れた手がランボの性器を掴んだ。ぬめる手は煽 り立てるようにそれを上下に扱く。ランボは眉を寄せ、初めて目尻に涙を浮かせる。それ は俺の血だ。ぬめってるのは俺の血なんだ。 悲鳴が細切れになり、息が熱くなる。 「慣れていやがる」 それが誰の科白かは解らない。ランボは目を瞑り必死で舌を使いながらも、下半身に生 まれ始めた熱に追われ始めている。 「スケベそうな顔だ」 知らぬ声が言い、カタカタと何かの動く音。薄っすらと目を開けると、ハンドカメラが 顔の横に設置されている。ランボはそれを見ながら涙を流した。ぶるりと身体が震える。 「感じてる。見られて感じるのか?」 背後からまた知らぬ声。追い立てる手の動きが速くなる。ランボは意識は黒い渦の中に 飲まれる。しかしその中でも自分の精液が床に落ちる音を聞いた。 ランボの口に性器を突っ込んだ男の息が速くなる。髪を掴まれる。柔らかな髪がぐしゃ りと音を立てる。喉の奥に体温より高いものが吐き出される。 性器はずるりと口から離されたが、ランボは咳き込み項垂れた。口の端から唾液と白い 滴が筋をなして伝い落ちる。 咳が止まると、背中にひやりとした感触が押し当てられた。 「これはイった分」 冷静な声と共に、痛みが刻み込まれる。 「これはこぼした分だ」 ずくずくと後ろでは男の腰の動く音が聞こえる。男のそれが侵入当初より膨張し熱を持 っているのが解る。しかし寸前で男は性器を引き抜き、低いうめきを挙げた。熱い飛沫が 背中に飛び散った。傷の上にもだ。 首を締め続けていた縄から手が離される。ランボの身体はぐったりと折れ、床に伏せた。 硬い靴音と、ごそごそと聞こえる衣擦れの音。 今度は背中から身体を抱える腕。さっきまで自分を犯していた者のように手の温度が高 くない。 「次はちゃんと中に出してやるよ」 耳を舐める音と共にそう聞こえた。 ず、ず、と傷ついた口を貫く感触。それは止まらない。ランボの身体がその重みで下へ 沈む。自ら貫かれる。ぐい、と音を立てるように派手に両足が開け広げられた。ランボは 薄目を開ける。正面から何もかも晒した自分の全てを余すことなく記録するかのように、 カメラは設置されている。 「ほら、もう立ってるぜ。どろどろだ」 言葉で弄られながら性器を掴まれると、言葉どおりにそれは勃起した。 「そら、動けよ、中に欲しいんだろ」 涙が出た。頭は白と黒がぐるぐるといびつな渦を巻く。解るのは掴まれた性器のダイレ クトな快感と、貫くものがやがて生み出すジリジリとした快楽。かけられる言葉が屈辱的 だとは、もうランボは思わなかった。しかし涙だけがぼろぼろとこぼれ、しゃくりあげて 泣いていた。 無様だ、と闇から声が聞こえた。 * 「送り先を間違えてるぞ」 モニタを見ながらリボーンが言った。 「ボヴィーノに送り返せ」 「お前宛だ」 不機嫌そうに沢田が言った。 「見たんだな、ボス」 「見たさ、ボスだもの」 言葉の最後と銃声はほぼ同時だった。沢田の背後で硝子の砕ける音がした。ブラインド が揺れた。沢田は眉を動かしもせず、リボーンの銃口を見返した。銃口からは細い煙が上 がる。その向こうでリボーンの目は険しくそばめられている。 銃口は長い沈黙の後でようやく下を向き、ホルスターに収められた。沢田は頬杖をつい て俯き加減になり、言った。 「見たのは俺とお前だけ。極秘に何とかしろよ。山本を貸す」 「いらねー」 「なら一人でやればいいよ」 リボーンはDVDを取り出すとポケットに落とし、ズカズカと部屋を横切る。ドアノブ が掴まれた瞬間、沢田は俯いたまま上目遣いにリボーンを見た。 「孤独に死ぬなよヒットマン」 弾丸は沢田の耳を掠め、もう一枚の窓を撃ち割った。またブラインドが揺れる。喧しい 音の鳴り響く中、リボーンは乱暴に扉を蹴り飛ばし出てゆく。しばらくして石畳の道をタ イヤの引き千切られるような音が響き、車が一台出てゆく。 沢田は無言で正面の真っ黒なモニタを見ていたが、不意に自分のワルサーを取り出し一 発放った。それは中心から少し右に外れた所を貫き、白い煙を上げた。 |