スキャンダル



 町外れの道を行く、郊外の、岬の先の、荒涼たる大地と海の境に教会はある。海風に鐘
の微かに震うその音が、遙か太古よりこの半島に歌う神の声にも聞こえた。
 山本に手を引かれバージンロードを歩きだしたランボはその音に慄然とし、一瞬足をす
くませた。この道の先、淡く白い光の中に立つ鋭く細い影が、あの黒い背中が急に現実感
を帯びて迫ってきたのだった。山本の腕が緩く、しかししっかりとランボを促した。また
一歩、前へ歩む。長い思慮を一歩一歩重ね、ようやく祭壇の前に立った時、もはやランボ
の心を占めていたのは恐怖だった。それは心を底から震わす未知への恐怖だ。初めて虚空
に身を投げ出す小鳥のようにランボの体は震えていた。
 山本の腕がそっと離れる。その解き放たれる感触にランボの震えはひたりと収まった。
ピンと神経が研がれ、透明な水で目を洗ったかのように視界が澄む。殺しの前のような不
思議な心持ちだった。
 祭壇の前に司祭が待っていた。過ぎた日々と共に身も魂も漂白してしまったかのような
老いた司祭だった。真っ白な祭司服が背景に溶け込み、手の中に聖書があたかも教会の主
であるかのように鎮座している。さながら司祭は石造りの供物台のように光の中、佇んで
いるのだった。
 そして隣にはリボーン。光の中の亀裂のようにその立ち姿は見えた。ランボはその横顔
を盗み見た。瞼が伏せられていた。
 不意に、光の中から湧きい出すように、声が流れ出した。
「汝」
 リボーンの瞼が開く。
 その一瞬をランボは永劫にも似た時間を以て見つめた。鉱石のように光り、深淵を覗か
せる黒い眸。それは決して動じない基石のようにひたと前を見つめた。
 声。
「この者を生涯の伴侶とし、富める時も、貧しき時も、健やかなる時も、病める時も、こ
の者を愛すると誓うか」
 声が問いかけの疑問符を以て終えたその時、確かに全世界は静寂に満たされたとランボ
は感じた。
 微かにリボーンの息を吸う音さえ聞こえた。ランボは再び体を堅くした。が。
「誓わねー」
 その声は余りにも堂々と教会に響いた。本来響くはずであるツッコミも叫びもどよめき
も、空気の栓を抜いたかのように、みるみる抜けていった。
 ランボは口を大きく開けたまま目を白黒させていたが、リボーンの視線が貫いた途端、
焦点が定まった。
「ランボ」
「うえっ!?」
「オレはお前に操もたてねえ。今夜にも他の愛人と寝る。明日にはこの街にいねえ」
「なっ…」
「ランボ!」
「リボーン!」
 それは音を響かせ、リボーンの眉間を狙った。ランボは筋肉をきしませ拳銃を握った腕
を真っ直ぐに伸ばした。
「オレの命を狙い続けるか」
「ああ」
「オレの息の根を止めるまでオレを付け狙い続けるか」
「ああ!」
「誓うか」
「誓う!」
「よし」
 リボーンは参列席を振り返ると、一点に視線を据えた。
「ドン・ボンゴレ」
 沢田が視線を返す。
「オレは絶対にボヴィーノの殺し屋の手にはかからねー」
「誓えるか」
「お前の名にかけて」
「よし」
 沢田は立ち上がると意を得たように笑った。
「確かに聞き届けた」
 リボーンはニヤリと笑みを交わすと、踵を返し、ランボに腕を伸ばした。たじろいだラ
ンボの銃口は思わず宙を向く。リボーンの腕はた易くランボのネクタイを掴んだ。
「誓う」
 リボーンが低く、ランボにだけ聞こえるように囁いた。
「ち…誓う」
 ランボが囁き返した瞬間、ネクタイはぐいと引かれ。
 参列席では獄寺が隣席に囁きかける。
「十代目…」
「結婚式って言ったら誓いのキスだろ」
 沢田は苦笑している。
 リボーンは宙をさまようランボの銃を取り上げ、ランボのこめかみを狙う。その隙にラ
ンボの腕がリボーンの懐から銃を抜き取り、心臓の上に押しつけた。
「さあ、ハネムーンだ」
 リボーンの声に促されるように沢田が獄寺の腕を叩いた。獄寺はうなずき火花を散らせ
たマイトを数本放る。
 轟音と共に盛大に鐘が鳴り響いた。



 瓦礫の山と化した教会跡で、沢田と獄寺と山本は葉巻を吸った。
「派手な祝砲だったなあ」
 山本が煤にまみれた顔を綻ばせて笑った。
 風が吹き、鐘が割れた音をたてて断崖を海へ転げ落ちた。派手な水しぶきと水音。
 誰ともなし溜め息をつく。
「…そろそろ戻りますか?」
 獄寺が沢田の肩にコートをかける。
「いや」
 沢田は笑った。
「もう少しここにいようか」
 山本が、火の消えた獄寺の葉巻にジッポを近づける。獄寺は素直にそれを受けた。
 紫煙が三筋、碧空に踊った。






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